気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

はじめての俳句🖊14~麦の秋

2021年06月15日 | 喜代の俳句

※夕日の麦畑/gutyanさん/写真AC

夕暮れにふるさと想う麦の秋

季語:麦の秋:夏

麦が黄金色に熟して取りいれ時になる初夏のころをいう。「秋」は実りのときの意。→ 麦刈り※俳句歳時記

提出した句:【麦の秋ふるさと想う夕茜】

作品の背景:故郷は二毛作なので、田植えの前に麦を刈る。
この季節はとても忙しく、父母は夕焼けがみえなくなるまで田んぼ仕事をしていた。

先生の添削:「麦の秋」は夏の季語ですね。こちらの句は「麦の秋」と「夕茜」の印象が強く、
どちらかというと「麦の秋」を主として詠まれたほうがよろしいかと思いました。

「夕茜」のところを「夕暮れ」とし、少々語順を整えてみましょう。

【夕暮れにふるさと想う麦の秋】

綺麗な言葉なので(夕茜)を用いてみようと思って作った句で、それを省くことになったのは正直残念だった。

(夕茜)は季語でないので(麦の秋)との季重なりにはならないので良いのかなと思ったのだけれど・・・。

でも…確かにふたつの言葉が主張しあって、季重なりのような句になってしまっていた。

文字数の限られた中にてんこ盛りしようという、私の欲深い根性の表れか?…反省点…。

※俳句では「茜草」と表記して「あかね」と読む、初秋の季語。
ちなにに秋茜(あきあかね)はトンボのこと。

「あかね」は、植物のことで、秋に黄白色の花が咲き、根から赤い塗料が取れる。

その塗料の色を茜色、そしてそのような色をした空を茜空という。

 夕茜ありきで使用しようと思いDLしてあった写真

※夕暮れ/lofiさん/写真AC

この茜色の空、とても綺麗なので、そのうちこの写真に載せられる句を詠んでみたいと思う。

      

【ふるさとは遠きにありて思うもの】

これは俳句ではなく、詩歌の(室生犀星-承景異情)冒頭です。

コロナ禍でかれこれ、もう、一年半ほど故郷に行っていないので、

意味合いはすこし違うかもしれませんが、「遠く」が距離的なものでなく、

「行くに行かれない」ゆえ「思う」というのは何故か似ているような気がします。

このごろ思いつく句が、故郷のことが多く、しかもそれは思い出の中のふるさとなのです。


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