対岸にナシ族の集落が見える
開発可能なところはすべて段々畑に
茶馬古道は哈巴雪山(はばせつざん)の山腹の厳しい斜面を横切って通る。斜面の耕作できるところはすべて段々畑となっている。耕作できないような厳しいところは山羊の放牧場として活用している。放牧場といっても山羊の場合は草を求めて移動するので必ず誰かがついている。山羊は思いの外 平気で高いところやがけの上に登る。山羊の見張りは退屈な仕事だ。こんな時間を雲南の人々はフルスや巴烏(バウ)を吹いて過ごしていたのだろう。この年は100年ぶりの干ばつといわれ、この山の草も元気がない。草が生えないと山羊の食料が足りない。これはナシ族など山岳民族にとっては死活問題だ。山羊たちはパサパサの乾いた草を争うように食べていたけど、大丈夫だったのだろうか。 写真は山腹のナシ族の耕作地。この集落地の場合、段々畑の最上段に十数戸の民家がある。右下の草地のようなところが山羊の放牧場となる。