中国の思想と言えば孔子の儒教ですが、もう一つ道家・道教があります。勉強不足で恥ずかしいのですが、この道家の思想については、老子や荘子の名前を知っている程度で殆ど知識はありませんでした。そのキーワードは「道(タオ)」です。参考にした本は『荘子』(岩波文庫、金谷治訳注)。
その解説には、荘子の人生哲学は因循主義で一貫しており、その基礎にあるのが万物斉同の哲学だとあります。因循とは因り循(したが)うことですが、「常に自ずから然るもの(自然)に因る」というように使われます。この「自ら然る」ものとは、人間の働きを超越し存在するもので、万物の存在をつらぬく理法のような性格が強く、人間にとってどうしようもない必然的なもの、已むを得ざるものと考えられます。さらに因循主義をささえるものとして万物斉同の哲学があります。
万物斉同とは、いまある現実世界の対立差別のすがた(陰陽・大小・長短・彼此・善悪・美醜・生死など)をすべて虚妄として排除する立場。この対立差別というものの見方は、人間の勝手な認識、小賢しい判断であって、客観世界の真実のすがたではなく、立場が変われば逆のもので、一時的で相対的なかたちにすぎない。さらにいかに大きな違い、厳しい対立と見えることでも、それらの間に「道は通じて一つ」と考えます。つまり差別的な現象の奥にあってそれらをつらぬいている同一性=絶対的理法に注目します。その理法=道の中心(道枢)に立つとき、はじめて一切が無差別無対立だという真実の相が明らかになると・・・。F・カプラの著書『タオ自然学』は、まさにこの考え方そのものの現代物理学との共通点に注目していますが、アインシュタインの相対性理論や量子論が出てきた途端、残念ながら思考がフリーズしてしまいました。ギブアップです。
写真は広町緑地にある木道。新型コロナ対策での緊急事態宣言が延長されましたが、この広町緑地には夫婦や子連れの来園者の姿が増えました。広い緑地なので三密の心配はなく、森林浴も満喫でき、近くにこんな場所を提供してくれている鎌倉市に感謝です。
そして奥さんが運動不足気味の旦那を散歩に誘う微笑ましい様子を「ポチ化現象」と呼ぶことにしました。犬の散歩なら一人でも外出できますが、やはり男一人で徘徊するのは躊躇いがあります。
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