先日(11月12日)いつも送られてくるタウンニュースを見ていたら「極楽寺で本願忌を一部公開 開基・北条重時を供養」という記事がありました。記事を読むと11月3日が北条重時の命日で極楽寺ではその日に重時を本願(寺院などを創立した人)として、供養しているとのことでした。これまで非公開だったので知らなかったのですが、今回は来年から始まる大河ドラマの北条義時つながりで一部関係者に公開したようです。
私は最近、北条重時のこのブログのタイトルになっている『六波羅殿御家訓』を読み、北条重時について調べているところであまりのタイミングの良さに何か縁を感じ驚きました。また極楽寺は5年前の2016年11月24日にガイドになる前の実地研修で54年ぶりの11月の大雪のなかでガイド研修を行った場所。降りしきる雪のなか審査する先輩の冷たい目を感じながら忍性菩薩や北条重時をガイドしたことを鮮明に覚えています。そしてこの11月3日に散歩の途中で北条重時のお墓のある忍性の霊廟の近くまで行き、遠くから重時の墓に礼拝したばかりでした。
さて北条重時は建久九年6月6日の生まれで弘長元年11月3日に卒去。兄の北条泰時を六波羅探題として、娘婿の北条時頼(泰時の孫)を連署として支えました。享年64歳と長生きの人生でした。息子の長時、子孫の赤橋守時は執権。守時の妹の登子は足利尊氏の妻であり義詮の母ですから重時のDNAは足利将軍家にも受け継がれたことになります。そして重時が子の長時に残した『六波羅殿御家訓』は長時が六波羅探題としての役目を果たすうえでの心得をまとめたもの。もう一つの『極楽寺殿御消息』は子々孫々にわたり上のものに仕える心得を書いたものと言われています。重時のDNAと紙に書かれた家訓が代々受け継がれ、北条氏を支え、そしてその後の武家支配の世を作ったかもしれないと考えると感慨深いですね。
中世史を勉強するために歴史書を読むとどうしても将軍源頼朝や北条時政・義時・泰時・時頼・時宗らの歴代執権がクローズアップされますが、北条泰時を支えた時房、時頼を支えたこの重時の存在を忘れる訳にはいきません。逆にこういった人物がいたからこそ北条氏の時代が長く続いたと思います。これは現代の経営者も同じで、戦後に大きくなった企業には天才的経営者を支えた人物の存在やその企業のフィロソフィーが代々受け継がれ、ソニーやホンダ、トヨタ、パナソニック、京セラなどには必ず〇〇イズムというものが残されています。