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都市ガスへ転換

2010-01-23 23:08:54 | Weblog
1月23日(土)
日中は暖かかったが、夕方から冷えてきた。
明日の最低温度へー2度という予報が出ている。

我が家はこれまでプロパンガスだった。
家を建てるとき、田舎なので都市ガスが来ていないのだと
思っていた。

しばらくして判ったことは、同じ町内会で、
我が家のある一つの班(16軒ほど)だけ都市ガスが来ていない。
両隣の班の所は都市ガスがきているということが分かった。
なんででしょうね?
きっと宅地のミニ開発で岡山ガスはペイしないと判断したんじゃ
ないでしょうか?

南北に長い班に分かれているので、東の班と西の班の間、
我が家が属する班の東西は60m程度でしょうか?
そこだけ都市ガスから取り残された陸の孤島となっていた。

岡山ガスもこれじゃまずいと気づいたのでしょうか?
苦節20数年、両隣の班の間をつなぐついでに、わが班の
領域にもガス管を張り巡らすことになり、
希望調査がやってきた。

今更ガス?どうせ換えるなら電化住宅!というところも多く、
結局都市ガスへの転換を行うことにしたのは4軒ほどだった。

その工事が今朝9時ころから始まった。
道路、自宅の外回りの工事はすでに済んでいたので、
今日は我が家と、隣の家の家の中のガス器具の交換・調整。

我が家も家を建ててから20年、風呂・給湯機も耐用年数を超えて
そろそろ寿命という言うことで、これを都市が使用に変更・調整
するのは無理ということで、ついでに新しいのに交換してもらうことに。

自動お湯張り、自動保温つきのものにしてもらった。
ほかには台所のガスコンロだけ。これは一昨年に新しく買い直していたので、
都市ガス用に器具の交換・調整をしてもらう。

終わったのが3時前後だった。

岡山ガスより、ガスコンロでご飯がたける鍋がプレゼントされた。
このコンロに「炊飯」という記号が書かれていたが、
この鍋で炊飯にすれば自動で炊きあげて、ガスも消えるように
なっているとか。
このコンロに交換してもらったとき、そんな説明は一切なかった。
さすがガス会社、ガスを使ってもらうためには鍋もタダでくれる。
タダほど高いものは無い?か

浅川マキ

2010-01-23 01:24:40 | Weblog
40年ほど前でしょうか、大ファンの連中が中洲のホールでライブを主催。
そうは言ってもマイナーな人でしたからチケットが売れるか?
赤字になったらどうしようかと言いながらも動き出したら停められない。
そんな連中の端っこで切符のもぎりをやりましたが、ホールが満席、
通路もいっぱいになったのにはびっくりした記憶がありますね。
隠れファンがいっぱい居たのですね。
ライブで聴いたのはあの時一回だけですが、LPはまだ押入れのどこかに
あるはず。

下手なカラオケで年末にも歌ったばかりでした。

1月17日名古屋で逝去。
合掌。

かもめ・・・浅川マキ


夜が明けたら・・・浅川マキ


ちっちゃな時から・・・浅川マキ


ふしあわせという名の猫・・・浅川マキ


浅川マキ 赤い橋


浅川マキ  朝日楼~朝日のあたる家~ "The House of the Rising Sun"


少年 浅川マキ


愛さないの愛せないの・・・浅川マキ


裏窓・・・浅川マキ


前科者のクリスマス・・・浅川マキ






歌手の浅川マキさん急死 「かもめ」「夜が明けたら」

2010年1月18日15時3分

 情念のこもった独特の歌唱スタイルで知られる歌手の浅川マキ(あさかわ・まき)さんが死去した。67歳だった。公演のため滞在していた名古屋市のホテルで倒れているのが17日夜、見つかった。愛知県警中署によると、死因は急性心不全とみられるという。

 石川県出身。キャバレーや米軍キャンプで黒人霊歌を歌い、1968年に故寺山修司さん演出によるひとり舞台に出演。70年に「かもめ」「夜が明けたら」などを収録したアルバム「浅川マキの世界」を発表した。

 寺山さん、北山修さんらが詞を提供した曲だけでなく、ビリー・ホリデーの曲など自身による作詞・訳詞も高い文学性が支持された。アンダーグラウンドを中心に活躍し、山下洋輔さん、坂田明さん、坂本龍一さんら多くのミュージシャンと共演した。

 85年に網膜剥離(はくり)で一時活動を中断したが、東京の新宿ピットインなどで積極的にライブを行っていた。15、16日にも名古屋市のライブハウスでピアニストの渋谷毅さんらと公演。最終日の17日に姿を見せなかったことから関係者がホテルを訪ね、浴室に倒れているのを見つけた。

     ◇

 ピアニスト・山下洋輔さんの話 詩と音楽をあれほど完璧(かんぺき)に自分の中で一体化させて表現した人はいない。あの魔力に取り付かれると他の歌手が聞けなくなる。彼女は、南里文雄さんから坂本龍一さんまで気に入ったミュージシャンとは必ず共演を実現させ、私もアルバムで伴奏させてもらった。声がかかるのは一種の勲章だった。

出典:http://www.asahi.com/obituaries/update/0118/TKY201001180177.html