メモ帳

各種メモ代わり

大雪山 遭難 一年後

2010-08-02 06:00:00 | 大雪山 遭難
本屋で「山と渓谷」8月号を立ち読みしていて、
「トムラウシ山遭難 1年後の後悔」という記事を見つける。

2009年7月16日の遭難事故から1年、十数名の下山組をひきつれた
サブガイド(匿名でAさんとなっているが、以前の記事を読んで
いる人には名前はわかっていることでしょう。)へのインタビュー
という記事になっている。

テントを持っていたのになぜ使わなかった?
と思っていましたが、インタビューではそのころには
正常な判断ができなくなっていたようです。

少なくとも彼も北沼渡渉点で水に落ちてるんですね。
(「少なくとも」というのはメインガイドも落ちたのか
どうかがよくわからないため)

7月21日発売
「トムラウシ山遭難はなぜ起きたか」山と渓谷社刊、1600円

気象通報と天気図

2009-09-04 20:51:47 | 大雪山 遭難
9月4日(金)

16時、久しぶりにラジオの気象通報を聞きながら天気図を描いてみる。
それこそ、ほぼ40年ぶり。

昔と、地点が変更になっているところ、地名が変更になっているところ
がある。やはり新しい天気図用紙を購入しなきゃいけないようだ。

緯度、経度で点を抑えていくのも、最初は点を打てずに苦労したが、
2点目からは放送に追いつくようになった。

等高線の引き方も少し忘れていましたが、2~3回練習すれば
感を取り戻しそうです。

tenki.jp に行くと、放送を聞きながら書いた天気図の正解が載っている。
この天気図が携帯で見れるんだったら、自分で天気図を書かなくてもいいかな?

大雪山の遭難でガイドが天気図を書いてなかったことにびっくりしたが、
この図が見れるんだった(見れるかどうかは知りませんが)、天気図を
書かないことを非難してはいけないですね。

でも、山中で携帯の電波が届かないことを考えて、天気図を書く準備は
必要でしょうね。

大雪山 遭難

2009-08-28 21:36:15 | 大雪山 遭難
最近、いやに来訪者が多いと思っていたら、「大雪山 遭難」が
キーワードだったんですね。Googleでニュースを検索していて
自分のブログが出てきて、やっとわかりました。

ググってこの頁に来た人のために、
以前にも書きましたが、
 http://subeight.wordpress.com/2009/07/31/mr-toda-text/
では詳しい分析がされていますので、情報を得るためにはこのサイトへ
行くことをお勧めします。

山が好きなものとしては、なぜあんな悲劇が起きたのか?
気になってニュースを追っているだけです。
ニュースサイトは日にちがたつと、いつの間にかアクセスできなくなる
頁が多いので、記録として気になる記事を保存しています。

そのうち詳しい報告がでることを期待していますが、
気になっている一つは「装備」
 個人の雨具、防寒具がどうだったのか、
 さらに「テント」ないしは「ツェルト」の動き、
もうひとつは天気予報
 最近は自分で天気図を書くことはしないのですかね?
 記事の中にありますが、2ヶ月前から書き始めるなんてことは
難しいですが、出発前に過去の1週間分程度の雲の動き、
天気図の動きを押さえておけば、あとは山に入ってから書き出しても
何とかなるのでは・・・
(というか、昔私がやっていたのはその程度でした。)、
携帯電話って山の中でもそんなに通じるんですか?
もっとも今回、最新の天気予報を得ることができていれば、
天候回復を期待するもむべなるかなという状況だったようですね。
(出典:http://subeight.wordpress.com/2009/07/30/professional/)

今日、来月のトレッキングのためにツェルトを買おうかと
思ったら、いつの間にか値上がりしていた。
8月17日に調べた時には税込10,500円だったものが、
今日調べると税込11,500円に1000円の値上げ!

これって大雪山の影響でしょうか?
それとも単なる円安の問題でしょうか?

大雪山 遭難 その後4

2009-08-28 20:16:54 | 大雪山 遭難
4日間ばかり、他所に出てネットにつなげにくい状況でしたが、
その間に、道警の実況見分があったようで、またたくさんの
ニュースがアップされているようです。

下の記事にはビデオが貼り付けてあり、「ヒサゴ沼避難小屋」の
「ヒサゴ沼」がどんなものかビデオを見て初めて分かりました。
山の上にしては結構大きな沼?池?ですね。
道警 山頂付近で実況見分 トムラウシ遭難 (08/26 09:56、08/26 15:29 更新)

遭難当日に一行が出発したヒサゴ沼避難小屋周辺で実況見分を行う道警の捜査員ら=26日午前8時55分、本社ヘリから(写真=中川明紀、動画=小室泰規撮影)

 【新得】大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で7月、中高年のツアー客ら8人が凍死した遭難事故で、道警は26日午前、山頂付近の事故現場で実況見分を始めた。道警は、一行がたどった経路や、ツアー客が救出された地点などを確認。悪天候下でツアーを続行したガイドの判断が適切だったのか調べ、今後ガイドらの業務上過失致死容疑での立件を視野に捜査を進める。

 実況見分は、道警の捜査員8人と現場付近に詳しい山岳ガイド1人で行われ、7月16日の遭難当日に一行が出発したヒサゴ沼避難小屋付近、男女5人が死亡した北沼付近の2カ所を調べた。ツアーで無事だったガイド2人は、体調不良のため立ち会わなかった。

 道警のヘリでヒサゴ沼避難小屋に到着した捜査員らは、午前8時半ごろから実況見分を開始。小屋の前で花を手向け、周辺の写真を撮るなどした。

 この後、捜査員らは北沼付近まで進みながら、当日一行が移動した経路を検証。亡くなった人の発見地点なども確認した。

 実況見分は27日も行い、9月にはあらためて2人のガイドを伴って実施する方針。道警は7月18日にツアーを企画した旅行会社「アミューズトラベル」(東京)の本社などを業務上過失致死容疑で家宅捜索している。

出典:http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/184748.html





トムラウシ山遭難事故で北海道警が実況見分
遭難事故の実況見分をする捜査員ら(北海道・トムラウシ山で、読売機から)=伊藤紘二撮影

 北海道・大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で7月、東京の旅行会社「アミューズトラベル」が企画した縦走ツアーの参加者ら8人が死亡した遭難事故で、道警は26日朝、実況見分を始めた。

 ツアーガイド2人は体調不良などで同行せず、捜査員と地元山岳会の会員1人の計9人が参加した。道警は27日も実況見分を行い、9月にもガイドを伴って再度実施する方針。

 午前7時頃、捜査員らを乗せた道警のヘリコプターが、遭難当日にパーティーが出発したヒサゴ沼避難小屋に到着。避難小屋の見分を行った後、遭難時と同じルートをたどりながら、最初に女性が低体温症で動けなくなった北沼、さらに南沼まで移動し、ガイドとして注意義務を怠った点がなかったかどうかなどを検証した。遭難現場では、捜査員が花束をささげ、黙とうした。

 道警は見分の結果を踏まえ、近くガイドらから事情聴取し、同社やガイドの責任を明らかにする方針だ。
(2009年8月26日11時19分 読売新聞)

出典:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090826-OYT1T00362.htm?from=nwlb




トムラウシ遭難で実況見分
実況見分する道警捜査員ら(26日午前10時51分、北海道・トムラウシ山で、本社機から)=伊藤紘二撮影

 北海道・大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で、東京の旅行会社「アミューズトラベル」が企画した縦走ツアーの参加者ら8人が死亡した遭難事故で、道警は26日朝から、実況見分を始めた。ツアーガイド2人は体調不良などで同行せず、捜査員と地元山岳会の会員1人の計9人が参加した。

 午前7時頃、捜査員らを乗せた道警のヘリコプターが、遭難当日にパーティーが出発したヒサゴ沼避難小屋上空に到着。避難小屋の見分を行った後、遭難時と同じルートをたどりながら、最初に女性が低体温症で動けなくなった北沼、さらに南沼まで移動し、ガイドとして注意義務を怠った点がなかったかどうかなどを検証した。遭難現場では、捜査員が花束をささげ、黙とうした。

 実況見分は27日も行われ、9月にもガイドを伴って再度、実施するという。道警は見分の結果を踏まえ、近くガイドらから事情聴取し、一行が遭難に至った経緯を詳しく調べ、ガイドやアミューズトラベルの責任を明らかにする。

 ツアーは7月13~17日のうち、3日間で旭岳からトムラウシ山の約45キロを縦走する計画で、愛知、広島、宮城などの50~60代男女15人とガイド3人が参加していた。
(2009年8月26日 読売新聞)

出典:http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20090826-OYT8T00583.htm?from=nwlb




大雪山系遭難:美瑛岳遭難事故で実況見分 道警

 上川管内美瑛町の大雪山系美瑛岳(2052メートル)で7月、登山ツアー客の女性(当時64)が凍死した遭難事故について、旭川東署は24日、現場の実況見分を行った。ツアーの主催者で、ツアー客を引率したオフィスコンパス(茨城県つくば市)のガイドとポーターを、事故後初めて現場に立ち会わせ、女性がどこで体調を崩したのか、ガイドがビバークせずに避難小屋に向かった判断に誤りがなかったのか、などについて調べた。

 実況見分はツアーの行程をたどる形であり、捜査員ら計8人が午前5時、登り口だった望岳台を出発。十勝岳(2077メートル)、美瑛岳を経て、遭難があった美瑛富士(1888メートル)との分岐点や、女性が死亡した美瑛富士の避難小屋で経過の確認などをした。

 ツアーは女性客3人とスタッフ3人の計6人。7月16日夕、ツアー客の1人が美瑛岳から美瑛富士へ向かう標高1850メートル地点で歩けなくなったため、ガイドが付き添う形でビバーク。残る4人は避難小屋へ向い、その途中で歩けなくなった女性をポーターが背負って避難小屋に運んだが、凍死したという。

 道警は業務上過失致死の疑いでガイドや同社を捜査しており、ツアー客ら8人が凍死したトムラウシ山(2141メートル)の遭難事故についても、26日に実況見分を行う予定。【横田信行】

毎日新聞 2009年8月25日 1時28分

出典:http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20090825hog00m040002000c.html




遭難前日、無事パーティーの3倍歩く 大雪山系8人凍死

2009年8月25日5時31分

 北海道大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で8人が凍死した事故で、遭難した旅行会社主催の18人のツアー客らは、同じ避難小屋からほぼ同時刻に出発して無事故で下山したパーティーに比べ、前日に3倍近い距離を歩いていたことが、道警への取材でわかった。

 前日もひどい雨で登山道はぬかるみや水たまりが多く、ツアー客は体力を消耗したとみられる。道警は、蓄積した疲労が遭難を誘発した可能性があるとみて、生死を分けた二つのパーティーの行動を比較して捜査。当日のガイドの判断や旅行会社の安全管理が適切だったか、近く同山で実況見分を行って調べる。

 道警によると、無事故で下山したのは静岡県のパーティー。旅行会社のツアー登山ではなく、同県内の山岳会に所属する60代の6人(男性2、女性4)で、大雪山系への登山口の一つの層雲峡を7月13日に出発。2泊3日で下山する計画だった。

 しかし、初日から雨天となり、その後も悪天候が予想されたため、予備日を使って1日あたりの移動距離を短縮し、体力を温存すべきだと判断。宿泊する山小屋も3カ所で3泊に増やしたという。

 一方、遭難したツアーは1日遅れの14日に旭岳温泉から入山。2泊3日で下山する計画のまま行動した。このため、別々に入山した二つのパーティーが15日、最終宿泊地であるヒサゴ沼避難小屋で同宿し、翌16日に下山することになったという。

 道警によると、15日の移動距離は、静岡県のパーティーが約6キロ、遭難したツアーは約16キロ。道警は、疲労が翌日の事故に影響した可能性があるとみている。静岡県のパーティーは翌朝、遭難したパーティーから約10分遅れで出発したが、数時間後に追い越していたという。

 静岡県のパーティーが所属する山岳会の会長は「2カ月前から天気図をつけ、異変を感じて予備日を設けていた」と話している。

出典:http://www.asahi.com/national/update/0825/TKY200908240432.html





登山事故のガイド、ラジオ持たず 2日前の予報から天候判断

 北海道・大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で7月、旅行会社「アミューズトラベル」(東京)が主催した登山ツアーの一行18人のうち8人が凍死した事故で、ガイドがラジオを持参せず、遭難当日の天候は2日前に携帯電話サイトで確認した予報を基に判断していたことが23日までに、同社への取材で分かった。

 道警は8月中にも、ガイド立ち会いの下、登山ルートを実況見分し、当時の装備や安全管理に問題がなかったかどうか捜査を進める方針。

 同社がこれまでに参加者や遺族に配った経過説明の文書などによると、遭難前日の7月15日、ガイドは宿泊した避難小屋で翌日の天気について、携帯サイトで14日に確認した予報から「午前中までは崩れるが午後からは大丈夫」と予想した。

 同社幹部は取材に対し、ガイドが14日の情報を基に判断したのは「携帯電話の電波が通じず、情報を更新できなかったため」と説明。3人いたガイドのうち1人もラジオを持っていなかったことについては「問題だったかどうかは分からない」と話している。

 北海道山岳ガイド協会理事の目黒義重さん(58)は「携帯電話があればラジオが無くても天気は分かるし、通信手段としても使えるが、つながる場所が限られる。山の上で天気を確認するにはラジオが一番だ」と指摘している。
2009/08/23 18:03 【共同通信】

出典:http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009082301000431.html




トムラウシ遭難 ガイド、ラジオ持たず 2日前の予報で天候判断 (08/23 18:31、08/23 23:30 更新)

 大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で7月、8人が死亡した遭難事故で、登山ツアーを主催した「アミューズトラベル」(東京)のガイド3人全員がラジオを持たず、遭難当日の天候を2日前に携帯電話サイトで確認した予報を基に判断していたことが23日、関係者の話などで分かった。

 同社の遭難経過説明文などによると、遭難前々日の7月14日に避難小屋でガイドの1人が携帯電話の天気サイトで天気図を確認。この情報を基にガイドは15日夜に「(遭難した16日の天気は)午前中までは崩れるが午後からは大丈夫」と予想した。

 同社関係者は、ガイドが遭難当日に天気予報を確認できなかったことについて「携帯電話の電波が通じなかった。テレビがあれば天気予報を確認するが、それがなかったので携帯電話しか頼れなかった」と説明。3人いたガイド全員がラジオを持っていなかったと明かしたうえ、「問題だったかどうかは分からない」と話している。

 北海道道央地区勤労者山岳連盟の松浦孝之理事長(札幌)は「登山家であれば、ラジオで天気概況を聞き、自分で天気図を描いて天候の変化をみる。携帯電話でどの程度の情報を得られたのか疑問」と指摘している。

出典:http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/184273.html

大雪山 遭難 その後3

2009-08-19 21:50:33 | 大雪山 遭難
WEB TOKACHI に記事中の遭難地図。

【緊急企画 夏山遭難】トムラウシ山の惨事(上)
2009年07月18日 15時11分

 トムラウシ山で中高年の登山ツアー客18人が遭難し、8人の命を奪った遭難事故。ツアー客はどういう状況下で山頂を目指したのか。夏山での惨状を報告する。
以下略

出典:http://www.tokachi.co.jp/feature/200907/20090718-0002104.php

詳しく情報を追っているブログを見つけた。
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20090811/p1

さらに詳しいサイトを見つけた。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/
このサイトではツアー主催から参加者への
 「お詫び」
 「トムラウシ山遭難事故の経過」
参加者の戸田氏からの
 「トムラウシ山遭難事故の経過についてにたいするコメント」
も掲載されている。
これ以上詳しいサイトはないようであるし、私もしばらくこのサイトを
ウォッチすることにしよう。

下は7月23日のサンケイの記事ですが、今回の検索で
たどり着きました。遭難、救助の過程が割と詳しい。

悪天候の山中、極限状態で次々と… 大雪山遭難ドキュメント (1/3ページ)
2009.7.23 13:46
このニュースのトピックス:航空・海難・山岳事故

 中高年の登山客ら10人が死亡した北海道・大雪山系の遭難事故は、23日で1週間。「アミューズトラベル」(東京、松下政市社長)のツアー客とガイド18人のうち、8人が死亡したトムラウシ山(2141メートル)では、自力で下山したツアー客の証言から、悪天候の山中で極限状態になった様子が明らかになってきた。


トムラウシ遭難 生存者が証言

 一行は14日午前に東川町の旭岳から入山。約12キロを歩いて白雲岳避難小屋に宿泊したが、夜から雨が降りだした。翌15日は約9時間で約18キロの縦走を続け、午後2時ごろ、ヒサゴ沼避難小屋に到着した。

 ぬかるんだ道を歩き続けてきたが、別パーティーの静岡県の男性(66)は「そのときは特別に疲れた様子もなく、わいわいと楽しそうにしていた」と話す。しかし小屋では干したレインウエアから滴が落ち、寝袋がぬれて、寝られない人もいた。疲れが取れる場所ではなかった。

奇声

 翌朝は3時半起床。雨と風が強く、出発予定が30分遅くなった。ガイドは「午後から晴れるから大丈夫」と説明し、午前5時半に小屋を出発。しかし稜線(りようせん)に出ると吹きすさぶ風に体力を奪われ、遅れる人が出始めた。

 午前10時半ごろ、約4キロ進んだ北沼分岐付近で歩けなくなる人が出た。座り込んだ人を囲んで風よけをつくった。ガイドは待機を指示したが、約1時間半後には「寒い、寒い」と奇声を発する人も。戸田新介さん(65)=愛知県清須市=は「これは遭難だ。救援を要請しろ」と怒鳴った。

 ガイド3人が協議し、死亡した吉川寛さん(61)=広島県廿日市市=と多田学央さん(32)が、客5人とテントを張って残ることを決断。多田さんは松本仁さん(38)に「10人を下まで連れて行ってくれ」と頼んだ。

第1報

 正午ごろ、松本さんは戸田さんら10人を連れて下山を開始。しかし「早く救助を呼ばないと」と急ぐ松本さんの足が速く、11人はすぐばらばらに。足がもつれ始めていた松本さんも、約5キロ先のコマドリ沢分岐付近で動けなくなった。前田和子さん(64)=広島市=が「起きて。子供もいるんでしょ」と声をかけたが、座り込んだまま。

 その時、前田さんの携帯電話が鳴った。午後3時48分、心配した夫(67)からだった。電話が通じることが分かり前田さんらは午後3時54分、110番。遭難の第一報だった。

 ろれつが回らない松本さん。そこに亀田通行さん(64)=広島市=が追いついた。松本さんから次の指示はなく、亀田さんは「2人で帰ります」。前田さんと亀田さんは暗くなった登山道を歩き、16日午後11時45分、下山。

 松本さんは17日、風を避けるようにハイマツの下にいたのを発見、救助された。

生還と死

 一方、戸田さんは11人がばらばらになった後、コマドリ沢分岐から山頂方向に約1キロの前トム平の手前で、歩けなくなった女性に手を貸していた長田良子さん(69)=仙台市=に「手伝って」と頼まれた。もう1人女性がいたが、突然倒れて起き上がらない。

 戸田さんらは2人を引っ張って雪渓を滑り降りたが、戸田さんは「自分のやれる範囲を超えている」と思い、歩き始めた。近くでは真鍋記余子さん(55)=浜松市=が別の女性を介抱していた。

 歩き始めた戸田さんはビバーク(一時露営)のための場所を探した。しばらくして追いついてきた長田さんに「ビバークしたら死んじゃう。一緒に頑張りましょう」と励まされ、また歩き出した。

 その後、長田さんは斐品真次さん(61)=山口県岩国市=と17日午前0時55分、自力で下山。戸田さんは途中で仮眠を取り、午前4時45分に下山した。真鍋さんは手を貸していた女性とビバーク。午前5時17分に道警ヘリに救助されたが、女性は冷たくなっていた。

出典:http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n1.htm


大雪山 遭難 その後2

2009-08-17 20:52:16 | 大雪山 遭難
報道によって情報が違いますね。


テントなしで、寒さしのぐ=装備不十分で凍死か-大雪山系遭難事故・北海道警

8月17日16時7分配信 時事通信
 北海道大雪山系の遭難事故で、9人が死亡したトムラウシ山(2141メートル)山頂近くで低体温症のためビバークした5人が、当初、簡易テントのツェルトのみで0度近い寒さをしのいでいたことが17日、道警への取材で分かった。道警は一行の人数に応じた十分な装備がなかったとみて調べている。
 一行はガイド3人と客15人。強い風雨にさらされるなどして、客数人が体調を崩したため、7月16日正午すぎ、ガイド2人と客5人は山頂付近でビバークした。残りは下山したが、ガイド1人がテントを持って下山組を率いたことから、ビバーク組はテントなしで救助を待つこととなった。
 道警によると、救助要請のため携帯電話が通じる場所を探していたビバーク組のガイドが、約1キロ先の南沼キャンプ地近くで非常用に置かれたテントやガスコンロなどを偶然発見。湯を沸かすなどして客の保温に努めたが、2人は凍死した。また、近くでビバークしていた別のガイドと客もテントがなく凍死した。 

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090817-00000087-jij-soci

これだと、ツェルト(簡易テント)はあったようですね。
先の読売新聞の記事ではツェルトもなかったように読めるのだが。
ツェルトとテントがごちゃ混ぜになってるのか?

時事通信の「簡易テントのツェルトのみで」という非難めいた口調も気になりますね。
そりゃ、しっかりしたテントの方がいいにはきまってますが、ツェルトが有るか無いかは雲泥の差です。体力があれば(今回はそこが問題ですが)ツェルト1枚で結構がんばれるものです。

というか、学生時代の北アの夏山や、九州の山では季節を問わす、テントの代わりにツェルトを使っていましたね。

ツェルトとは?

 山で何かあったときに最も頼りになるのが、ツェルトと呼ばれる簡易テントです。ツェルトが一つあれば、雨や雪が降っていても、あるいは風が吹いていても相当快適に一夜を過ごすことができます。「ツェルトがあれば助かったのに」と言われる遭難事故はたくさんあります。軽量でコンパクトですから、例え日帰りでも常にザックに忍ばせておきましょう。

出典:http://www.noasobi.net/gear/zeltdome.html









大雪山 遭難 その後

2009-08-17 00:11:13 | 大雪山 遭難
あれから一か月ということで、その後の報道が各社より。

一か月前の報道では分からなかったのが、次々にグループが分かれて行ったので、
 どのグループの人が助かり、どのグループの人が凍死したのかということ

以下の報道を読むと

16日午前5時半地点1出発(客15名、ガイド3名)
16日午前10時半ころ地点2(本隊 客14名、ガイド2名)
         (ビバーグ1 61歳ガイド1名、女性客1名 => 明記はされていないが、2名とも死亡か?)
16日正午ころ地点3(本隊 客10名、38歳ガイド1名)
     (ビバーグ2 32歳ガイド1名、男性客1名、女性客3名 => 客2名死亡)
このあと客10名+ガイド1名の本体がバラバラになりながら下山することになり、
ガイドのペースについていけず、=> 客4名死亡

ガイドたちは4人用の簡易テントを二張り持っていたようだが、それがどこに行ったのか?
 少なくとも一つは最後のガイドが持っていたようだが、ビバーグ1の二人に簡易テントを置いていかなかったのか?二つとも最後のガイドが持っていたのか?

ビバーグ2の5名は、登山道整備の業者が置いていたテントを偶然に見つけて、その中で暖をとっていたというが、この5名に簡易テントは無かったのか?

ビバーグ1とビバーグ2の地点は数百メートルの距離のようだし、ビバーグ2を決めるためには3名のガイドが相談しているようだ。では、
 ビバーグ1の2名が同じテントに合流することはできなかったのか?
 たぶん、客の1名は動けなかったのだろうが

簡易テント二張りの動きも報道してもらいたい。

昔は、ツェルト(簡易テント)をいつもリュックに入れてましたよね。
小屋どまりの時でも。

天気図、NHKのラジオ放送を聞きながらよく描いたもんだ。
だいたい山に入る1週間前から書いていたが、今はレーダーも発達して
いるので、そんな前から書く必要はないようですね。でも、
山中ではガイドだったら夕方、ないしは夜の放送を聞きながら描くのが当然でしょう。
「携帯電話で見えるはず」なんていうレベルの問題じゃないでしょう!


トムラウシ山遭難:引率ガイドの判断が焦点 北海道警捜査
(1)16日午前5時半出発(2)午前10時半ごろ、女性客1人が動けなくなり、61歳ガイドと一緒に残る(3)正午ごろ、32歳ガイドと男性客1人、女性客3人でビバーク開始(4)午後3時54分、女性客と38歳ガイドが救助要請

 北海道新得町の大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で登山ツアー客ら8人が遭難死した事故から16日で1カ月。北海道警は業務上過失致死容疑で捜査を進めており、引率したガイド3人の判断や行動が適切だったかが焦点となっている。ツアーを企画した旅行会社「アミューズトラベル」(東京都千代田区)の見解とツアー客の証言の食い違いも浮上しており、道警は17日に同山で実況見分を行う。【木村光則、吉井理記、田中裕之】
 ◇天気図見ず?

 アミューズトラベルは7日、ツアー客と遺族に「トムラウシ山の遭難事故の経過について」と題する文書(A4判・2ページ)を送付した。生還したガイド2人とツアー客の一部の証言を基に当時の状況をまとめたものだ。

 その文書によると、ガイドは遭難した7月16日の天気図を見ていなかった可能性がある。一行は7月14日に旭岳から入山。15日から雨が降り、遭難した16日朝も雨だった。だが、32歳ガイドは14日の天気予報から「午後から晴れる」と判断し、ヒサゴ沼避難小屋を予定より30分遅れの午前5時半に出発した。

 同山で20回以上のガイド歴がある北海道小樽市の山岳ガイドの立本明広さん(39)は「なぜ最新の天気図を見なかったのか。尾根の上なら携帯電話で天気図が見られるはず」と指摘する。
 ◇引率は適切か

 北沼周辺に残った人を除き、38歳ガイドはツアー客10人を引率して進んだが、客たちは次々と脱落し、男女4人が凍死した。

 アミューズ社は当時の状況を文書で記す。

 「ゆっくりしたペースでトムラウシ分岐に15~20分程度で到着したが、点呼したら8人しかいなかった。ガイドは極限状態にあり、2人を捜しに行く精神力も体力も残されていなかった」

 これに対し、男性客は反論する。

 「女性客はペースについていけなかった。(ガイドは)列の先頭ばかりにいて後ろに下がってくることはなかった。(分岐での)点呼も後方に向かって『おーい』と呼び掛けただけだ」

 だが、同社の文書にはこの証言はない。

毎日新聞 2009年8月16日 11時20分(最終更新 8月16日 11時46分)

出典:http://mainichi.jp/photo/news/20090816k0000e040019000c.html





北海道・大雪山系遭難:トムラウシ山遭難1カ月 ガイドの判断捜査、道警あす実況見分
 ◇証言に食い違い

 十勝管内新得町の大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で登山ツアー客ら8人が遭難死した事故から16日で1カ月。道警は業務上過失致死容疑で捜査を進めており、引率したガイド3人の判断や行動が適切だったかが焦点となっている。ツアーを企画した旅行会社「アミューズトラベル」(東京都千代田区)の見解とツアー客の証言の食い違いも浮上しており、道警は17日に同山で実況見分を行う。【木村光則、吉井理記、田中裕之】

 ■天気図見ず?

 アミューズトラベルは7日、ツアー客と遺族に「トムラウシ山の遭難事故の経過について」と題する文書(A4判・2ページ)を送付した。生還したガイド2人とツアー客の一部の証言を基に当時の状況をまとめたものだ。その文書によると、ガイドは遭難した7月16日の天気図を見ていなかった可能性がある。

 一行は7月14日に旭岳から入山。15日から雨が降り、遭難した16日朝も雨だった。だが、32歳ガイドは14日の天気予報から「午後から晴れる」と判断し、ヒサゴ沼避難小屋を予定より30分遅れの午前5時半に出発した。

 同山で20回以上のガイド歴がある小樽市の山岳ガイドの立本明広さん(39)は「なぜ最新の天気図を見なかったのか。尾根の上なら携帯電話で天気図が見られるはず」と指摘する。

 ■不十分な装備

 北沼周辺に着いた16日午前10時半ごろ、1人の女性が動けなくなり、61歳ガイドとともに残った。ほかの16人は先に進んだが、まもなく女性客2人が動けなくなり、正午ごろ、32歳ガイドと客4人がビバークを始めた。

 男性客は「(3人の)ガイドたちは無線機でやりとりせず、何度も行き来しながら話し合っていた。1時間半くらい、吹きさらしの場所に待機させられて体力と体温を奪われた」と証言する。

 また、ガイドは4人用簡易テント二つしか持っていなかったとみられる。当初は10人用のテントも持っていたが、別のパーティーのためにヒサゴ沼避難小屋に置いた。ビバークした際に使ったテントは、登山道整備業者が南沼近くに保管していたもので、ガイドが16日夕方、偶然発見したという。

 道山岳協会理事の一人は「携帯電話が使えない山なら無線機は持っていくべきだ。大型のテントがあれば北沼付近での待機中に風雨で体力が奪われるのを避けられたのではないか」と指摘する。

 ■引率は適切か

 北沼周辺に残った人を除き、38歳ガイドはツアー客10人を引率して進んだが、客たちは次々と脱落し、男女4人が凍死した。

 アミューズ社は当時の状況を文書で記す。

 「ゆっくりしたペースでトムラウシ分岐に15~20分程度で到着したが、点呼したら8人しかいなかった。ガイドは極限状態にあり、2人を捜しに行く精神力も体力も残されていなかった。ガイドは8人の客に『道しるべに向かって下山してください』と伝え、救助の電話をする一心だけで歩み始めた」

 これに対し、男性客は反論する。

 「女性客はペースについていけなかった。(ガイドは)列の先頭ばかりにいて後ろに下がってくることはなかった。(分岐での)点呼も後方に向かって『おーい』と呼び掛けただけで、そのまま行ってしまった」

 だが、同社の文書にはこの証言はない。
 ◇99年の事故ガイド有罪

 登山ツアーを巡る遭難事故では、過去にガイドの法的責任が問われたケースがある。

 後志管内倶知安町の羊蹄山で99年9月に起きた遭難事故は、今回のトムラウシ山での遭難と同様に、悪天候の中、ツアーを強行。ツアー客がちりぢりとなり、女性客2人が遭難死し、ツアーを引率した男性添乗員(ガイド)が業務上過失致死罪に問われた。

 札幌地裁は判決で、「遭難当日、強風低温の天候が予測された」とした上で、「(添乗員は)ツアー客が分離して進めば、状況判断を誤り、山頂付近を迷走するなどして凍死することを予見できた」と指摘した。「遅れたツアー客が合流するのを待って安全を図るべき注意義務に違反した」として有罪判決を下した。

 ただ、道警はツアーを企画した旅行会社の企画責任者も業務上過失致死容疑で立件したが、札幌地検が容疑不十分として起訴を断念した。

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 ■ことば
 ◇トムラウシ山遭難事故

 7月16日、登山中だったツアー客15人とガイド3人のパーティーが遭難。女性客6人と男性客1人、ガイドの男性1人の計8人が山中で凍死した。一行は14日から2泊3日で大雪山系を縦走する予定で、客は愛知や広島県など本州から参加した50~60代の中高年者だった。

毎日新聞 2009年8月16日 北海道朝刊

出典:http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20090816ddr041040004000c.html




大雪山系遭難1か月、ガイドらテント持たず野営

 北海道・大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で先月16日、東京の旅行会社が企画した縦走ツアーの参加者ら18人が遭難、計8人が凍死した事故で、同行ガイドらは当初、風雨をしのぐためのテントもなく、低体温症で動けなくなったツアー客と山頂付近でビバークしていたことがわかった。
ツアー客らがビバークしたテント=本社チャーターヘリから田村充撮影

 捜査幹部が明らかにした。道警は、パーティーの人数に対し携行する装備品が不十分で、ガイドが最後に天気予報を確認したのは遭難の2日前だった点を重視。ツアーを企画した「アミューズトラベル」(東京)側の刑事責任追及も視野に、事故から約1か月の17日、ガイド立ち会いの下で、遭難現場での実況見分を行う。

 一行のうち低体温症で動けなくなったツアー客らの一部が山頂付近でビバーク。しかし、簡易テントを持参していたガイドが下山したため、0度近い風雨の中で救助を待っていたという。その後、登山道整備業者が非常時用に残していた大型テントと毛布、ガスコンロなどの装備品を、付き添っていたガイドが偶然発見。テントに入った5人中3人は湯を沸かして体を温め、無事救助されたが、2人が死亡。テントから数百メートル離れた場所にいたガイドとツアー客の2人も凍死しているのが見つかった。

 また、ガイドは16日に天候が回復すると判断していたが、2日前の14日に携帯電話の天気予報サイトの情報を確認しただけ。捜査幹部によると、出発後に強風がやむと判断していたことも正確な情報に基づいていない可能性が高いという。

 道警では、ガイドの判断が適切であれば被害を防ぐことができたと判断。ツアー日程を優先して出発を強行した可能性もあるとみて、今後はアミューズ社の安全管理体制について調べを進める方針。

(2009年8月16日03時01分 読売新聞)

出典:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090816-OYT1T00077.htm

大雪山 遭難

2009-07-21 06:46:49 | 大雪山 遭難

名峰襲った荒天、「寒さで震えた」生還者絶句
雪の残るトムラウシ山頂付近の捜索(読売機から)=冨田大介撮影

 「震えるほど寒く、突風にあおられて倒れた人もいた。下山途中でメンバーが次々と脱落していった」。

 「日本百名山」にも選ばれた名峰、北海道・大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で登山客らが死亡した遭難事故。自力で下山した生還者らは、厳しい冷え込みや強風、横殴りの雨に襲われたパーティーが、散り散りに引き裂かれていった様子を語った。

 自力で下山した愛知県清須市、戸田新介さん(65)によると、一行は宿泊した山小屋を16日午前5時に出る予定だったが、「風は強くてビュービューの状態で、雨も降っていた」ため、いったん様子を見た。約30分後、ガイドの1人に「行きましょう」と促されて出発した。

 その後、トムラウシ山頂手前でパーティー後方にいた2人が倒れ、一行はその場から動けなくなった。その場に約1時間とどまり、戸田さんは「救助を要請しよう」と提案したが、体力の残っているメンバーで先に進むことになり、倒れた2人やガイド1人を含む数人を残して十数人で改めて出発した。

 だが、途中からついて行けなくなるメンバーが出始め、一行は次第に散り散りになったという。戸田さんも途中で脱落し、17日午前1時半頃に1人でビバーク。約2時間後に再び下山し、ふもとの国民宿舎「東大雪荘」近くの林道で救助された。戸田さんは「途中でついていけなくなった。風がすごく、とても寒かった」と話していた。

 同じパーティーに参加し、17日午前6時頃に自力下山した女性は「風はかなり強かった。歩ける人だけ下りてきたが、途中で座り込む人がいた。私は途中から2人で行動したが、もう1人が歩けなくなり、午前4時頃から1人で山を下りた」と疲れ切った表情で語った。

 別のパーティーのメンバーで、同じ山小屋に宿泊した静岡県函南(かんなみ)町の男性(66)は16日早朝、遭難したパーティーから5分ほど遅れて山小屋を出発した。「横殴りの雨が降り、突風にあおられて倒れた仲間もいた。遭難したパーティーはとてもペースが遅く、バラバラになった人たち全員を追い越してしまったが、『この人たちは大丈夫だろうか』と心配していた」と話す。この男性と一緒に下山した静岡県沼津市の女性(69)は、「遭難したパーティーには、風で飛ばされて転倒した人もいて、『大丈夫か』と思った。自分たちも強風で岩にしがみつくほどだった」と劣悪な天候を振り返った。

 道警によると、遭難の一報が入ったのは、登山ツアーを企画した東京都千代田区の旅行会社。遭難した18人のパーティーのうち3人が、携帯電話の電波が通じる5合目まで下山して通報した。携帯電話のメールでは、「4人の具合が悪い。かなり危ない」とガイドが伝えてきたという。
(2009年7月17日14時56分 読売新聞)

出典:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090717-OYT1T00611.htm?from=nwla


大雪山系10人死亡、下山組も散り散りに
大雪山系トムラウシ山山頂付近に設置されたテント周辺で続く捜索活動(17日午前6時10分、読売チャーターヘリから)

 北海道・大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で、東京都内の旅行会社が企画した縦走ツアー客ら計19人が遭難、同山系で計10人が死亡した事故で17日、下山当時の悲惨な様子が明らかになった。

 18人で出発したパーティーは、山頂手前でビバークした4人が死亡。山頂を迂回(うかい)後に動けなくなった女性3人が死亡しているのが見つかった。結局、自力で登山口まで下りることができたのは、5人だけだった。

 道警によると、18人のパーティーは16日午前5時30分頃に宿泊先のヒサゴ沼避難小屋をスタート。強風がやむのを待っていたが、ガイドの判断で予定の30分遅れで出発したという。

 しかし、強風に加え、横殴りの雨が降りしきる中、体温を奪われて歩みが遅くなる人が続出。出発から約5時間後の午前11時前には、女性が低体温症になり、さらに1時間後には、女性1人が意識不明となった。

 参加者の中から、救助要請を求める声も上がったが、ガイドは歩けなくなった人のビバークを決断。ガイド2人と男女5人が、「北沼」付近にテントを張り、ガイドを含む残る11人は、そのままトムラウシ山頂を迂回して下山するルートを選んだとみられるという。

 しかし、捜索では、山頂からトムラウシ温泉へ下る登山道の分岐点で男性1人が動けなくなっていたほか、さらに約2キロ先の「前トム平」付近で、女性4人が動けなくなっていたのが見つかった。

 残る6人はさらに下山を続け、午後4時前には5合目付近までたどり着いたが、この頃にはガイドを含む3人が衰弱していたという。ガイドが携帯電話で道警に通報したのはこの頃で、体力の消耗が激しかった一行は最後は散り散りになったとみられる。

 午後4時30分頃、ビバーク先からガイドが携帯電話メールで「7人下山できない」と救助要請。さらに約30分後に「4人ぐらいダメかもしれない」と伝えた。日没後の午後8時過ぎには、道警がガイドの携帯電話と通話、容体を確認するため、定時連絡を入れるように指示したが、約3時間後の午後11時18分、電話に応答しなくなったという。

 救急車などが待機していた登山口に、最初の下山者が姿をみせたのは午後11時30分頃。日付が変わり、午前1時にはさらに2人。夜が明けた同4時45分、5人目が自力で下山した時には、すでに最初の犠牲者がヘリで収容されていた。

 また、18人とは別に入山していた男性は「南沼」付近で死亡しているのが見つかった。

 仲間とはぐれ、1人で下山したという女性は「途中で座り込む人もいた。途中から2人で行動していたが、相手が歩けなくなった」と振り返った。
(2009年7月17日22時38分 読売新聞)

出典:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090717-OYT1T00942.htm?from=nwla


北海道・大雪山系遭難:「午後から晴れ大丈夫」 ガイド、出発直前話す

 大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で旅行会社「アミューズトラベル」(東京都千代田区)が企画した登山ツアー客ら8人が遭難死した事故で、ツアーの男性ガイドが16日早朝の出発直前、「午後から晴れるから大丈夫」と話していたことが分かった。ガイドと同じ避難小屋にいた別のパーティーの男性が証言した。道警は、暴風雨にもかかわらず、ガイドが判断を誤ってツアーを継続した可能性があるとみてガイドから事情を聴いている。【和田浩幸、水戸健一】

 ツアーの18人と15日夜にトムラウシ山北側の避難小屋で一緒に泊まった静岡県の男性(66)によると、16日午前3時半ごろに起きたところ、外は雨が降り、風も強く、出発を見合わせていたという。その後、ツアーのガイドが「午後から晴れるから大丈夫だ」と話し、同日午前5時半ごろに18人が出発。間もなく男性らも小屋を出た。しかし、風雨はますます強くなり、岩にしがみつきながら進むような状況だったという。

 釧路地方気象台によると、16日午前5時の十勝地方の天気予報は「曇り、昼過ぎから晴れ」。ガイドはこの天気予報で「午後から晴れる」と判断したとみられる。しかし、十勝地方は同日昼にかけて風が強くなり、同日午前10時半ごろには、ツアーの女性客1人が寒さによる低体温症で動けなくなった。午前11時25分には強風注意報が出た。

 北海道山岳ガイド協会の川越昭夫会長によると、ガイドは登山の際、天気予報をラジオなどで確認し、山の気候が平地より少し遅れて変わることを念頭に自ら天候を予測するという。川越会長も16日朝、トムラウシ山から約20キロ離れた大雪山系の旭岳を登山する予定だったが、「天気予報が午後から回復だったものの、雲の動きを見て天気の回復は遅れる」と判断し、登山を取りやめていた。
 ◇「寒さ、想像超えた」ツアー会社社長、危険性把握せず

 アミューズトラベルの松下政市社長は19日、十勝管内新得町の町民体育館で記者会見し、「この時期にこれほどの寒さが来るというのは、想像を超えていた。そこまで危ない山だという認識はなかった」と述べ、夏のトムラウシ山登山の危険性を十分把握していなかったことを認めた。

 遭難当時、トムラウシ山頂付近の日中の気温は8~10度、風速は20~25メートルと台風並みで、体感気温は氷点下だった可能性がある。しかし、松下社長は「私たちが思う危険というのは滑落する、もしくは増水するようなところ」と述べ、悪天候による気温の低下は念頭になかったという。

 ただ、パーティーの防寒対策が不十分だった可能性があることについては、「装備リストに必要なものを書いてある。防寒具は通常、参加者が基本的に責任を持って持参していただく」と強調し、会社の責任を否定した。

 また、松下社長は、18日に、事故後初めて札幌市のガイド(32)から遭難の様子を聞いたことを明らかにし、「ツアー客の体調は(16日の避難小屋からの)出発時は問題なかった。歩き始めたときも『疲れてもう歩けない』という人はいなかった」と述べた。ツアー客が下山途中にちりぢりになったことについて、ガイドは「覚えていません」と答えたという。
 ◇  ◇  ◇

 死亡したツアー登山客8人の遺体は19日朝、遺体安置所の十勝管内新得町の町民体育館から自宅に向かった。遺族は疲れきった様子で無言のまま。松下社長や道警の捜査員らは雨の中、じっと手を合わせて遺体を乗せた車を見送った。遺族は同日午後、新千歳空港からそれぞれ帰路についた。【金子淳、田中裕之】
 ◇「見切り発車、無謀」参加者、ガイドの対応に怒り 「判断する機会与えられなかった」

 ツアーに参加し、自力で下山した愛知県清須市土器野、戸田新介さん(65)が19日、毎日新聞の取材に応じ、遭難時の様子について証言した。「悪天候の中の出発は『見切り発車』で、無謀だった」とガイドの対応に怒りをにじませた。

 遭難当日の16日朝は雨が降っていた。出発予定(午前5時)直前にガイドがツアー客に言った。「5時に予定していたが、あと30分様子を見ます」。出発することは既に決まっていた。

 ガイドら3人と客15人が歩みを進める中、天候は悪化。北沼手前で小川を渡り振り返ると、流れが激しさを増し、波を打った。戸田さんは「帰れんな」と直感したという。午前10時半ごろ、北沼の辺りで女性1人が動けなくなった。女性にガイドが付き添った。他の客は別のガイドの指示で、約1時間半、近くの吹きさらしの場所にしゃがんで待機したという。

 じっととどまる時間が体力を奪っていったという。戸田さんはガイドに声を荒らげた。「何をやっとんだ。これは遭難だ。救援を依頼しろ。指示を出せ。じっとしとってはいかん」。ガイドは「先に行ける人は出発します」と先を目指した。

 ところが出発後すぐに別の客も動けなくなった。その後、ガイド1人と客10人が一団となって下山することになったが、出発後にばらばらになった。途中、戸田さんは別の客と協力し、歩けなくなった女性客を支えながら歩いた。「女性は転んだら自分では起きあがれない状態になっていた」という。女性を何度も抱き起こしながら声を掛けた。「こんなところで死にたくないだろ」。女性はうなずいていたが、生還することはできなかった。

 戸田さんは約35年の登山歴。戸田さんは「自分が見たことを知らせる義務がある」と取材に応じた。「遭難当日、私たちは『こういう危険があるけど行きますか?』と、判断する機会を与えられなかったのはおかしいと思う。なぜこんなことが起きたのか、何があったのかを知りたい」と語気を強めた。【福島祥】

出典:http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20090720ddr041040002000c.html


登山客、ガイドに業煮やし「救援要請を」 大雪山系遭難(1/2ページ)

2009年7月20日4時46分

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写真:寒さをしのぐために着たフリースを前に、当時の状況を説明する戸田新介さん=19日夜、愛知県清須市、古沢孝樹撮影寒さをしのぐために着たフリースを前に、当時の状況を説明する戸田新介さん=19日夜、愛知県清須市、古沢孝樹撮影

 「遭難だと認めて救援を要請しろ」。北海道大雪山系トムラウシ山の遭難事故で、なかなか救援要請をしないガイドに業を煮やし、こう求めたと、旅行会社アミューズトラベルのツアーに参加し、自力下山した愛知県清須市の戸田新介さん(65)が証言した。山頂付近で動けなくなった人が出始めて約1時間半たってからのことだ。戸田さんは「ガイドの判断は場当たり的だった」と憤る。

 戸田さんによると、16日午前10時半ごろ、山頂に近い北沼付近で女性が動けなくなり、ガイドが1人付きそった。戸田さんら他のメンバーは「何をしているのか」と、少し先で待っていたが、ガイドは一向に戻ってこない。風雨が強まり、「寒い。わーわー」と奇声を発し始める女性も出た。

 1時間半が過ぎた。戸田さんはその場にいた別のガイドに「どうするんだ。様子を見てきてくれ」と頼んだ。しかし、さらに10分が過ぎても何の反応もない。我慢出来なくなった戸田さんは大声で叫んだ。「この事態をどうするんだ。遭難だと認めて救援を要請しろ」

 すると、北沼付近にいたガイドが戻って来た。「歩ける人は、先に下りてもらえますか」。救援要請は聞き入れられず、違うガイドが先導して先を進むことになった。

 1時間半も風雨の中で立ち止まっていたため、体が思うように動かないメンバーが多い。ペースが速いガイドにはついていけなかった。

 戸田さんは最後尾に回り、遅れている女性を励ました。女性は、すでに体に力が入らない状態。「前トム平」辺りの雪渓では女性につえを握らせ、「しりもちスキー」で引っ張るなど、助け合った。だが、やがて散り散りになっていった。

 戸田さん自身も体力の限界が近づいた。何とか助かったのは、山頂に近づいた時に雨がっぱの下にフリースをもう1枚、着たからだという。着替えるために雨がっぱを脱ぐと雨にぬれるが、「このままでは寒さでやられる」と思い切った。

写真:寒さをしのぐために着たフリースを前に、当時の状況を説明する戸田新介さん=19日夜、愛知県清須市、古沢孝樹撮影寒さをしのぐために着たフリースを前に、当時の状況を説明する戸田新介さん=19日夜、愛知県清須市、古沢孝樹撮影

 戸田さんは指摘する。「重ね着をさせるなど、ガイドが指示を出すべきだったのではないか」。戸田さんのほかに防寒対策をする人はほとんど見られなかったという。

 今回のコースは岩場も途中にあり、風雨が加われば難コースになる。雨でぬれた岩場で足を滑らせたり、風で波立つ小川の前で立ちすくんだりする人もいた。

 16日、朝の風雨を見て、出発を取りやめるべきだったと今も思う。「ツアーだとこちらから中止を言いにくい。ガイドが参加者全体のことを考えて判断を下さないと。リーダーシップをとれる人がいなかった」と悔しがった。(渡辺周)

出典:http://www.asahi.com/national/update/0719/NGY200907190029.html


複数客、出発前にガイドに「中止を」 大雪山系遭難

2009年7月20日4時49分

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 北海道大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で8人が死亡した遭難事故で、パーティーが前泊した避難小屋を出発する前に、悪天候や沢の増水、疲労の蓄積などを不安に思った複数のツアー客が「中止した方がいい」とガイドに申し出ていたことが北海道警への取材でわかった。出発後も「引き返した方がいい」「救助要請を」と訴えたツアー客がいたという。

 道警は、ツアー客が悪天候で身の危険を感じつつ、ガイドの判断を信じた可能性があるとみており、関係者からさらに事情を聴く方針だ。

 ツアーは旅行会社アミューズトラベル(東京)の主催で、14日に旭岳温泉を出発し、2泊3日で四十数キロを縦走するコース。予備日は設けられていなかった。遭難時は55~69歳の15人と男性ガイド3人という構成だった。

 捜査幹部によると、一行はひんぱんに風雨に打たれ、15日はヒサゴ沼避難小屋で眠ったが、16日早朝はかなり疲れが残っている客がいたという。さらに小屋の外は激しい風雨で、当初午前5時ごろの出発を約30分間遅らせた。

 この際、複数のツアー客が、ガイドに「今日は中止した方がいいのではないか」と申し出たという。しかし、ガイドは午後から天候は回復すると判断し、午前5時30分ごろ出発したという。

 出発してしばらくすると、「体調が非常に悪い」と訴える人が出て、それを聞いた他の客が「引き返した方がいいのではないか」「救助を求めた方がいいのではないか」とガイドに訴えたというが、ツアーは続行。昼前には山頂に近い北沼付近で女性1人が低体温症で歩行困難となり、さらに男女4人も進めなくなった。この北沼付近には客5人、ガイド2人の計7人が野営することになったが、このうち4人が凍死した。

 アミューズトラベルの松下政市社長は19日記者会見し、16日の出発時のツアー客の体調について、ガイドから聞き取った話として「みなさん問題ない。歩き始めるときに、体力的に今日は疲れたから歩けないとか、そういう方はいませんでした」と話した。

出典:http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200907190369.html


大雪山

2009-07-20 00:21:30 | 大雪山 遭難


大雪山系遭難:前例ない10人死亡 夏の大雪山系で惨事 /北海道

7月18日11時0分配信 毎日新聞
 ◇日程やガイドなど慎重に捜査--道警
 大雪山系のトムラウシ山と美瑛岳で10人が亡くなった山岳遭難事故は、夏山では前例のない惨事となった。過去の山岳遭難を巡っては、ガイドが業務上過失致死罪に問われて有罪になったケースもあり、道警はツアーの日程が過密でなかったか、ガイドのツアー客引率が適切だったか--など慎重に調べる。
 登山ツアーの遭難事故でガイドの刑事責任が問われた初のケースは、99年9月の羊蹄山(1898メートル、後志管内倶知安町など)遭難事故。男性ガイドが関西の登山ツアー客の女性2人を凍死させたとして業務上過失致死罪で起訴された。
 裁判ではガイドに注意義務違反があったか否か、凍死は予見可能だったか--が主な争点になった。札幌地裁は04年3月、「2人が集団から離れたことに気づいたが、遅れて来ると考えて登山を続け、道に迷わせ凍死させた」として、ガイドに禁固2年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
 また、トムラウシ山で02年7月、台風が接近して風雨が強かったにもかかわらず、男性ガイドが福岡県の女性ツアー客に増水した川を渡らせ、客が凍死した事故も刑事裁判になった。札幌地裁は04年10月、ガイドに禁固8月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
 今回のトムラウシ山の遭難事故では、悪天候にもかかわらずガイドは予定通りに出発し、ツアー客の一人は「無謀だと思った」と話した。美瑛岳でもガイドが同様の判断をしていた。現時点では当時の詳しい状況は不明だが、北海道山岳ガイド協会幹部は「検証は必要」と指摘する。
 ◇本州の登山者は「軽装」 気温急変に対応できず
 遭難者はいずれも本州からの登山ツアー客だった。本州ではある程度の登山経験があったとみられるが、北海道は夏でも気温が氷点下になる。専門家は本州と北海道の夏山に対する認識の違いが遭難につながった可能性もあるとみている。
 札幌市内で登山用品小売業を営む栃内(とちない)譲さんは「道内の登山者ならば、普段の生活で『夏でも寒くなる』ことを知っているので、夏山にもフリースを持っていく。しかし、本州のツアー客の認識は異なる」と指摘。道内の夏山は本州からの登山ツアー客が目立つが、栃内さんは「軽装で出かける人が多いような気もする」という。
 また、北海道山岳ガイド協会の川越昭夫会長は「中高年の趣味として手軽という登山の一面が裏目に出た」と話す。警察庁によると、08年の山岳遭難は1631件(前年比147件増)、遭難者は1933人(同125人増)。年代別にみると、中高年の登山ブームを反映して、60代が576人で最も多く、50代が370人、70代が340人--と続く。40歳以上の中高年は1567人に達し、全体の81・1%を占めている。川越会長は「中高年は『自分はまだ若い』という気持ちを捨てきれない。晴れている時はよいが、天候が崩れると、やはり、体力がなく、低体温症に陥りやすい。中高年の登山は体力的に無理のない計画と十分な事前準備に配慮する必要がある」と警鐘を鳴らす。
 ◇ツアー業者に安全対策求める--高橋知事
 高橋はるみ知事は17日、「道内の山は夏でも気象の変化が激しく、十分な装備と経験、体力を必要としている。このことを周知していく必要がある」と述べ、登山ツアー業者に安全対策を徹底するよう通知する考えを明らかにした。
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 ◇遭難・救出ドキュメント
 ■トムラウシ山
 ▽16日
午前5時半ごろ 18人のパーティーが大雪山ヒサゴ沼の避難小屋を出発。トムラウシ山山頂を目指す
同11時ごろ  トムラウシ山頂付近で女性が体温低下で動かなくなる。男性ガイド1人が付き添い、残る16人は下山
正午ごろ    山頂付近で別の女性も体温低下で意識不明。この女性を含む女性3人と男性2人の計5人でビバークを始める
午後3時55分 男性ガイド1人と2人が5合目まで下山。110番で救助を要請
同4時45分  ビバーク中のガイドからツアー会社に「下山できない。救助要請します」とメールが届く
同5時15分  同じガイドからツアー会社に「4人ぐらいダメかもしれないです」とメール
同11時45分 道が自衛隊に災害派遣要請
同11時50分 広島市のツアー客の男女2人が登山口付近に自力で下山
同11時59分 先に下山していた2人が登山口に到着し道警救助隊員と接触
 ▽17日
午前0時55分 仙台市の女性と山口県岩国市の男性が登山口に自力で下山
同3時55分  道警山岳救助隊や自衛隊鹿追駐屯地などの約40人がトムラウシ山の捜索を開始。道警と自衛隊のヘリコプターも出動
同4時35分  トムラウシ山の中腹で倒れている女性を発見。ヘリコプターで収容。後に死亡確認
同4時45分  愛知県清須市の男性が自力で下山
同5時ごろ   中腹で別の女性を発見、ヘリコプターで収容。後に死亡確認
同5時10分  下山中の浜松市の女性を発見し、ヘリコプターで救出
同5時35分  頂上付近で意識不明の男性を発見、収容。後に死亡確認
同5時45分  頂上付近でビバークのためテントを張り、手を振る登山者を発見
同6時半ごろ  頂上付近で女性1人を救助。意識なし
同6時50分  頂上付近で男性3人、女性4人を救助。このうち、男性1人、女性3人が意識なし。後に死亡確認
同9時半ごろ  自衛隊が頂上付近で、単独で登山していた茨城県笠間市の男性の遺体を発見
同10時45分 中腹の残雪地帯で、最後の行方不明者となっていた男性ガイドが倒れているのを別の登山客が発見。命に別条はなし
同11時20分 死者5人と生存者5人のヘリ搬出完了
正午      捜索活動を終了
 ■美瑛岳
 ▽16日
午後5時50分 茨城県つくば市の登山ツアー会社から道警に「美瑛岳にいるパーティー6人のうち、女性客1人が低体温症で動けなくなったようだ」と連絡
同6時     消防防災ヘリ要請
同8時26分  美瑛町役場関係者、消防、警察の計9人の救助隊が登山開始
同9時20分  道警山岳救助隊などが美瑛富士の登山口から美瑛岳へ向かう
 ▽17日
午前0時40分 美瑛富士の避難小屋で、救助隊が美瑛岳で遭難した6人のうち3人を保護。その後、同所から約2キロの地点でビバーク中の3人も発見。避難小屋で兵庫県姫路市の女性の死亡を確認。他の5人は命に別条なし
同3時     救助隊2次隊6人が出発
同5時04分  ビバークしていた男女2人が消防防災ヘリで救出される
同6時33分  避難小屋の女性の遺体をヘリで搬送
同7時10分  残る3人が救助隊とともに下山開始
同9時50分  美瑛富士登山口に無事、到着

7月18日朝刊

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090718-00000001-mailo-hok


社説:大雪山系遭難 ツアーの安全徹底を

 北海道大雪山系のトムラウシ山と美瑛岳で登山者の遭難が相次ぎ、10人が死亡した。山岳史上に残る記録的な惨事である。遭難時の山系周辺の天気は大荒れで、冷え込んだ上に強風が吹いていたという。犠牲者は雨にぬれて体温を奪われ、低体温症などに陥ったとみられる。

 遭難したのは計25人。このうち単独行の死者以外は、別々の観光会社が募集した2組のツアー登山者のパーティーだった。道警も関係者の事情聴取を始めたばかりで、具体的な登山計画や遭難時の状況などについてははっきりしていないが、荒天下で避難小屋から出て遭難したとの証言もあり、同行していたガイドの判断や計画にミスや無理がなかったかどうか、今後の教訓とするためにも、慎重に見極める必要がある。

 ツアー登山は、最近の登山ブームを背景に人気を呼んでいる。複数の観光会社が競い合うように企画、募集しており、インターネット上には広告があふれている。登山口の最寄りの空港や駅前などで即席のパーティーを組み、ガイドが引率する。下山後は温泉に泊まる企画も目立つ。同行者を見つけにくい登山ファンには便利で、仲間を見つける楽しみもあるという。

 旅行会社側は参加者の登山経験や体力に応じたコースを設けたり、装備や服装などについても事前に指導している様子だが、気心が知れず、体力差もある参加者が寄り集まったパーティーならではのハンディは否めない。慣れぬ仲間と同行すれば、余分な体力も消耗する。ツアー参加費を徴収し、下山後の宿舎まで予約している場合、ガイドらが天候の急変などに即応して計画を変更できるかどうかにも疑問なしとしない。同種のツアーを運営する旅行会社には、安全を徹底する義務と責任がある。企画の総点検を求めたい。

 警察庁によると、昨年中の山岳遭難は1631件、1933人で記録が残る1961年以降の最悪となり、死者・行方不明者も281人を数えて最多となった。遭難者の8割以上を40歳以上の中高年が占めているだけに、今回の遭難を機に中高年の登山の危険性を指摘する声が高まる可能性もあるが、だからと言って、中高年がことさら萎縮(いしゅく)する必要はあるまい。登山には危険が伴う。若者だって遭難する。最近の遭難者に中高年が目立つのは若者層のファンがめっきり減っているせいだ。

 ただし、山を愛するならば、これまで以上に慎重に計画し、入念に準備し、体力も見極めてから山に向かいたい。登山の喜びを多くの若い世代に伝えるためにも、中高年の登山者には率先して事故のない楽しい登山を心掛けてもらわねば困る。

出典:http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090718k0000m070128000c.html?inb=yt


北海道・大雪山系遭難:「収容者、意識なし」/本州の客、目立つ軽装(その1)
 ◇ヘリ無線、切迫の声
 ◇救助の男性「寒かった」

 北海道大雪山系トムラウシ山と美瑛岳の遭難は2パーティー、1個人の計10人の死亡が確認され夏山としては過去に例がない大規模遭難となった。夏でも水が凍るといわれる大雪山系で、助かった男性は「寒くて死にそうだった」と振り返る。悪天候の中で予定を強行した判断に疑問を呈する声も上がる中、大雪山をよく知る地元の山岳関係者ですら「これほどの事故は記憶にない」とうめいた。

 「午前4時36分、道警ヘリが男女2人を発見」「ヘリに収容、女性は心肺停止、男性は意識不明」--。

 遭難の一報から12時間余りが経過した17日午前4時40分。前日の暴風雨が静まったトムラウシ山登山口(新得町)の現地対策本部では、無線から切迫した声が次々と流れた。「これはダメかもしれない」。救助隊を指揮する西十勝消防組合の幹部がつぶやいた。

 約10分後、無線で伝えられた男女2人のうち、女性を収容したヘリが登山口の空き地に着陸。ヤッケを着て、フードを頭からスッポリとかぶった女性が道警の機動隊員に抱きかかえられて降ろされ、救急車へ運ばれた。

 続いて別のヘリが、登山道で救助した女性を乗せ着陸。女性は報道陣のカメラの放列を避けるように顔を手で覆い、小走りで道警が用意したワゴン車に乗り込んだ。最終的にトムラウシでの死者は、パーティー8人、個人1人の9人に達した。

 大雪山系は標高2000メートル級が続く。1500メートルを超えると大きな木は生えないため、強風が吹くと遮るものがない。今回のツアー客も強い風雨にさらされ、体感温度が一気に低下したとみられる。

 無線は「収容者は意識なし」と最悪の事態を告げる内容ばかり。救助に出動した新得山岳会の小西則幸事務局長は「テントを持たず、山小屋を利用する縦走では小屋の設置場所が限られ、どうしても行程に無理が生じる。こうしたことに悪天候が重なり、事故を招いてしまったのではないか」と推測する。

 悪天候の中で登山に踏み切ったガイドの判断ミスを指摘する声も上がった。午前4時半ごろに下山したツアー客の戸田新介さん(65)=愛知県清須市=は15日の晩に泊まったヒサゴ沼避難小屋を出発する時、風が強いと感じたといい、「ガイドは出発すると判断したが、無謀だと思った」と話す。遭難時の様子については、「寒くて死にそうだった。ガイド1人が付き添って下山を始めたが、ペースが速すぎてちりぢりになってしまった」という。こうした判断について北海道山岳ガイド協会の幹部は「ガイドはツアー客を目的地まで安全に連れていくことが務め」と前置きした上で、「本州からのツアー客を案内する場合、旅程が詰まっており、帰りの航空便の時間にプレッシャーを感じる。16日朝、出発時に悪天候の空を見上げて、難しい判断を迫られたはず。現段階で判断の良い悪いを問えないが今後の検証は必要だ」と指摘した。

 一方、美瑛岳では午前6時半、1人の遺体がヘリで収容された。その後、下山した女性は「とにかく寒かった」とぽつり。

 ツアー客のポーターを務めた男性は「十勝岳を越えたあたりからだんだん風が強くなった」と話す。ツアー客が寒がり始め、動きが鈍くなり、夕方前にはガイドも低体温症の症状を訴えるようになったという。予定を続行したことについては「視界は悪くなかった。ガイドの判断なので……」と言葉少なだった。
 ◇「最後の登山」暗転 名古屋・川角さん、年齢制限前に

 大雪山系トムラウシ山の登山には東海地方では、愛知県から5人、岐阜県から1人がツアー客として参加していた。うち2人は無事が確認されたが、60歳代の記念に参加、悲劇に見舞われた人もいた。

 ツアーを企画したアミューズトラベルの名古屋支店(名古屋市中村区)の井上高広支店長によると、同支店から申し込んだのは愛知県や岐阜県の8人。ツアーは上級者コースで、70歳以下の年齢制限と過去に同社のツアーに参加した登山歴などが参加条件になっていた。井上支店長は「主催者として大変残念で申し訳ない」と話した。

 遭難した名古屋市守山区の味田久子さん(62)方では、夫が「先ほど北海道警から死亡連絡があった」と声を詰まらせた。味田さんは一緒に遭難した、名古屋市緑区の川角夏江さん(68)と登山仲間。夫によると、川角さんが間もなく70歳になるため「最後の山登りをしたい」と話していたといい、「自分も体力のあるうちに」と同行を決めた。夫は「13日に元気に出発していった。16日深夜に旅行会社から遭難を伝える電話があり『状況が分かり次第、連絡する』ということだったが、朝まで何も言ってこなかった。17日夜には戻るはずだったのにとても残念だ」と話した。

 川角さんは長男修一朗さん(34)と次男(34)の3人暮らし。夫と事故で死別し、幼いころから2人を育て上げてきた。

 登山を始めたのは10年以上前。北海道での登山は初めてで、出かける前に「年齢的にこれが最後の大きな登山になる」と話していたという。川角さんは、23日には69歳の誕生日を迎えるはずだった。修一朗さんは「亡くなったと連絡があった時は頭が真っ白だった」と口元を押さえた。

 一方、岐阜市から参加した野首功さん(69)、愛知県清須市の戸田新介さん(65)は無事が確認された。野首さんの妻(62)は「一緒に登っていて亡くなった方が本当にお気の毒です」と話した。野首さんはトムラウシ山はあこがれの山だったといい、「70歳になる前に」と今回のツアーに参加した。【中村かさね、稲垣衆史、石山絵歩、飯田和樹】

出典:http://mainichi.jp/chubu/newsarchive/news/20090717ddh041040007000c.html

大雪山

2009-07-19 03:54:56 | 大雪山 遭難


大雪山系遭難 「出発、無謀だった」…生存者証言

7月17日21時55分配信 毎日新聞
大雪山系遭難 「出発、無謀だった」…生存者証言
拡大写真
登山者が遭難したトムラウシ山(手前)と美瑛岳(後方ほぼ真後ろ。雲で覆われている)=北海道で2009年7月17日午後1時42分、本社機から三村政司撮影
 北海道大雪山系トムラウシ山と美瑛岳の遭難は2パーティー、1個人の計10人の死亡が確認され夏山としては過去に例がない大規模遭難となった。夏でも水が凍るといわれる大雪山系で、助かった男性は「寒くて死にそうだった」と振り返る。悪天候の中で予定を強行した判断に疑問を呈する声も上がる中、大雪山をよく知る地元の山岳関係者ですら「これほどの事故は記憶にない」とうめいた。

【関連写真特集 現場地図も】相次ぐ悲報、緊迫する救出の様子…大雪山系遭難

 ◇下山中ちりぢりに

 「午前4時36分、道警ヘリが男女2人を発見」「ヘリに収容、女性は心肺停止、男性は意識不明」--。

 遭難の一報から12時間余りが経過した17日午前4時40分。前日の暴風雨が静まったトムラウシ山登山口(新得町)の現地対策本部では、無線から切迫した声が次々と流れた。「これはダメかもしれない」。救助隊を指揮する西十勝消防組合の幹部がつぶやいた。

 約10分後、無線で伝えられた男女2人のうち、女性を収容したヘリが登山口の空き地に着陸。ヤッケを着て、フードを頭からスッポリとかぶった女性が道警の機動隊員に抱きかかえられて降ろされ、待機していた救急車へ。両足はダラリと垂れ下がり、目は閉じたまま。顔は血の気がなく、真っ白だった。

 続いて別のヘリが、登山道で救助した女性を乗せて着陸。女性は報道陣のカメラの放列を避けるように小走りで道警が用意したワゴン車に乗り込んだ。

 大雪山系は標高2000メートル級が続く。1500メートルを超えると大きな木は生えないため、強風が吹くと遮るものがない。今回のツアー客も強い風雨にさらされ、体感温度が一気に低下したとみられる。救助に出動した新得山岳会の小西則幸事務局長は「大雪山系では夏でも水が凍るほど気温が下がり、しっかりとした装備が必要。テントを持たず、山小屋を利用する縦走では小屋の設置場所が限られているため、どうしても行程に無理が生じる。こうしたことに悪天候が重なり、事故を招いてしまったのではないか」と推測する。

 悪天候の中で登山に踏み切ったガイドの判断ミスを指摘する声も上がった。午前4時半ごろに下山したツアー客の戸田新介さん(65)=愛知県清須市=はヒサゴ沼避難小屋を出発する時、風が強いと感じたといい、「ガイドは出発すると判断したが、無謀だと思った」と話す。遭難時の様子については、「ガイド1人が付き添って下山を始めたが、ペースが速すぎてちりぢりになってしまった」という。

 一方、美瑛岳では午前6時半、1人の遺体がヘリで収容された。その後、下山した女性は「とにかく寒かった」とぽつり。「後はガイドに聞いてください」と言うと無言だった。

 ◇遺体安置所で悲しみの対面

 トムラウシ山で死亡した9人の遺体が安置された北海道新得町の町民体育館では17日、遺族が続々と訪れ、変わり果てた身内の姿に対面した。

 午後7時過ぎには、死亡した3人の遺族7人を乗せたバスが到着。登山ツアーを企画したアミューズトラベルの松下政市社長が「かかる事態を引き起こし誠に申し訳ありません」と陳謝したが、遺族はみんな無言のまま、悲しみをこらえていた様子だったという。【金子淳】

 ◇亡くなった方々

 《トムラウシ山》川角夏江さん(68)=名古屋市▽味田久子さん(62)=同▽木村隆さん(66)=同▽竹内多美子さん(69)=愛知県弥富市▽岡恵子さん(64)=岡山県倉敷市▽市川ひさ子さん(59)=浜松市▽植原鈴子さん(62)=広島市(以上ツアー客)▽吉川寛さん(61)=広島県廿日市市(ガイド)

 《美瑛岳》尾上あつ子さん(64)=兵庫県姫路市(ツアー客)

 ◇下山した方々

 《トムラウシ山》長田良子(おさだりょうこ)さん(68)=仙台市▽真鍋記余子(まなべきよこ)さん(55)=浜松市▽戸田新介さん(65)=愛知県清須市▽野首(のくび)功さん(69)=岐阜市▽亀田通行さん(64)=広島市▽前田和子さん(64)=同▽石原大子(もとこ)さん(61)=同▽斐品(ひしな)真次さん(61)=山口県岩国市(以上ツアー客)▽多田学央(たかお)さん(32)=札幌市北区▽松本仁さん(38)=愛知県一宮市(以上ガイド)

 《美瑛岳》浦野ひろ子さん(62)=埼玉県草加市▽大西倫子(のりこ)さん(55)=兵庫県姫路市(以上ツアー客)▽小市匠さん(34)=茨城県つくば市▽小坂吏(こさかし)亮さん(32)=北海道▽白石淳也さん(27)=札幌市(以上ガイド)

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090717-00000024-maip-soci