胡坐(あぐら)という言葉があります。
胡の坐と書きます。
胡は、古く中国人が遊牧民を指して名づけた言葉です。
胡椒(こしょう)、胡麻(ごま)、胡瓜(きゅうり)、胡弓など、「胡」のつく言葉は数多くあります。
坐は、「人と人が土の上にいる」様子を表した漢字で、まさに「座る」という漢字です。
日本では正座がフォーマルな座り方と考えられがちですが、正座が一般的になったのは江戸時代以降のことで、昔は胡坐や片膝を立てた座り方が主流でした。
中でも、胡坐は大陸の遊牧民から伝わった座り方と考えられていて、継体天皇稜といわれる今城塚古墳から出てきたはにわには、数多くの「胡坐」の人物像が出土しています。
継体天皇の時代の日本は、北方の遊牧民族の文化を色濃く伝えていたといわれています。
遊牧民族は、馬に乗るのに適したいわゆるズボンのような服を着ていて、あぐらをかくように座るのがその装いにフィットしていたと考えられます。
そうした座り方の文化が「胡」の「坐」、あぐらとして日本に伝わってきた、とも考えられるようです。
1500年ほど昔の話です。
胡の坐と書きます。
胡は、古く中国人が遊牧民を指して名づけた言葉です。
胡椒(こしょう)、胡麻(ごま)、胡瓜(きゅうり)、胡弓など、「胡」のつく言葉は数多くあります。
坐は、「人と人が土の上にいる」様子を表した漢字で、まさに「座る」という漢字です。
日本では正座がフォーマルな座り方と考えられがちですが、正座が一般的になったのは江戸時代以降のことで、昔は胡坐や片膝を立てた座り方が主流でした。
中でも、胡坐は大陸の遊牧民から伝わった座り方と考えられていて、継体天皇稜といわれる今城塚古墳から出てきたはにわには、数多くの「胡坐」の人物像が出土しています。
継体天皇の時代の日本は、北方の遊牧民族の文化を色濃く伝えていたといわれています。
遊牧民族は、馬に乗るのに適したいわゆるズボンのような服を着ていて、あぐらをかくように座るのがその装いにフィットしていたと考えられます。
そうした座り方の文化が「胡」の「坐」、あぐらとして日本に伝わってきた、とも考えられるようです。
1500年ほど昔の話です。