言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

スペイン・バスク旅行にて

2016年08月12日 | 旅の話し
スペインを旅してきました。初めてのスペインでしたが、バスクに住むスペイン人の友人夫妻を訪ねるのが目的だったので、マドリッドにもバルセロナにも寄らず、訪問先をバスク地方に絞り、中心都市のビルバオとその周辺で一週間ほど過ごしました。
 友人に案内され、毎日のようにあちこちを回りましたが、やはり楽しいのは彼らと話した会話でした。中でもバスクの言葉について話すと、彼らにもいろいろと思うところがあるらしく、話は盛り上がります。
バスク民族は、スペイン北部とフランス南西部にまたがる地方を中心に暮らす民族で、もともとはバスク語という、スペイン語や他のヨーロッパ言語とはかけ離れた言葉を持っていました。今ではそれぞれスペイン、フランス社会に溶け込み、その国の言葉を使っています。
 スペインでフランコ将軍が政権を担っていた時代には、バスク語教育は禁止されていたので、この世代は今もバスク語を話さない人が多いといいます。その後、寛容的政策の中でバスク語を見直す向きもあり、私の友人が学校に通った時代には、バスク語とスペイン語を選択でき、今では両方を話す人も多いそうです。
 友人の女性は、スペイン語が母語で、バスク語の他、イタリア語、英語も話し、中国語や日本語も勉強している貪欲な外国語マニアです。
 そんな彼女と、言葉について白熱した議論を交わしました。
 彼女は「本音でいうとね」と前置きして、バスク語を学び話すことにそれほど価値を感じないと言いだしました。
 スペインに住むバスク人はおよそ二百万人。全員がバスク語で話したとしても、二百万人にしか通じない言葉です。しかもバスク語は、他の欧州言語のような他言語との関連性がない、いわゆる独立語です。単語もスペルも文法もすべて一からの学習になります。スペイン人が兄弟言語であるイタリア語を学ぶのとは、かかる労力が異なります。
「そんなに苦労して、他の場所では通じない言語を学ぶなんて、時間の無駄。それなら英語や日本語を学んだ方がよほど多くの人と話しができるわ」
 確かに、言葉をコミュニケーションの道具として捉えれば、正論です。コミュニケーションを取るためであれば、世界に幾つも言語がある必要などなく、全員が同じ言葉で話した方がよほど相互理解には効果的でしょう。
「でも言葉にはもう一つ、その国の文化やアイデンティティを維持する役割もあるよね」
 と、私は議論のための対論を出してみました。
 日本では文明開化の時代に、公用語を英語にしたらどうかという意見が出ていました。欧米文化を吸収し近代化を進めるにあたり、日本語という他の国では通じない言語はブレーキになるというわけです。しかしこの時、日本語こそが日本の文化と精神性を維持するのに欠かせないもので、皆が英語を話すようになっては日本人のアイデンティティが崩れるという意見が英語公用語論を覆し、結局公用語としての日本語は守られました。
 そんな日本の歴史を彼女に話すと、彼女は大きく頷いて聞いていました。そう、その通り。確かに道具としての言語としては効率的・実用的とは言えないが、バスクのアイデンティティを維持するためには、やはり言葉は重要な役割を果たすはずです。
 言葉は文化を表すものである。四季折々の豊かな自然から生まれた日本人の精神性は、日本語でこそうまく表せるものであり、英語では表現しきれないことが必ず出てきます。逆もまた然りです。
 また日本語を話しているとマインドが日本人らしくなるような気がするのも、単なる気のせいではないと思います。
 言葉には、コミュニケーションのツールとしての役割と、文化や精神を表しアイデンティティを維持する役割がある。その二つともが、言葉の持つ力であり、意識すべきことなのだと、彼女と話していて再確認したのでした。
 
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