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この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

ハンカチ王子ブームの裏に

2006年08月27日 | スポーツ
夏の甲子園で初優勝を遂げた早稲田実業の斉藤投手が大人気です。
ハンカチで汗をぬぐう姿が印象的なことから、ハンカチ王子などと呼ばれ、高校生からおばちゃんまで全国の女性が斉藤投手に熱い視線を送っています。
そのブームを受けて、ハンカチが売れているというから、日本人のブーム志向を再認識する思いです。

私が興味深く感じたのは、昭和四十四年の決勝戦との違いです。
この年の夏の甲子園の決勝も、松山商業・井上投手と三沢高校・太田投手の投げあいとなり、延長十八回で勝敗決せず、翌日再試合となっています。
長い高校野球の歴史の中でも、決勝戦で引き分け再試合になったのは、この昭和四十四年と今年の二回だけだそうです。

昭和四十四年の時に、日本中の目を釘付けにしたのは、敗れた三沢高校の太田投手の方でした。
初の東北勢の優勝をかけて一人で投げぬいた太田投手。
翌日の再試合で力尽きて敗れ、試合後にマウンドの土を集めている場面は、日本中の涙を誘ったといいます。

それから四十年近くの月日が流れ、歴史上二度目の決勝戦再試合。
今回、圧倒的にブームとなっているのは、三連覇の夢を絶たれた駒大苫小牧の田中投手の方ではなく、優勝した斉藤投手の方でした。

女性からの人気の裏には、当然男性としての魅力があるのは間違いないのでしょう。
太田投手も甘いマスクで人気者になったものでした。

しかし、それだけでしょうか。

駒大苫小牧の田中投手も相当に魅力的な人物です。
準決勝くらいまでは、メディアの注目はもっぱら田中投手に集まっており、寡黙な斉藤投手はむしろ影が薄いくらいでした。
それが、優勝した途端にこの人気です。

私は、今の斉藤投手の人気の裏には、この四十年の日本人の価値観の変化があるように思えてなりません。
「判官びいき」という言葉もあるように、かつて日本人は「戦いに敗れた者」に共感し、それを美化して伝説の人物に仕立てる傾向にありました。
歴史上の人物で言えば、源義経、楠正成、真田幸村、など、人気者の多くが敗れ去った悲劇のヒーローたちです。
太田投手が大人気になったのも、甘いマスクもさることながら、「全力を出して戦い敗れた悲劇のヒーロー」という看板が大きかったような気がします。

しかしここ十数年で、日本人の「判官びいき」の価値観はずいぶん薄れたような気がします。
国際標準の価値観に染まった結果なのでしょうか、やはり努力の末に勝利をモノにしたヒーローに人気が集まる傾向が強いようです。

もし、今回斉藤投手が力尽き、田中投手の力投によって駒大苫小牧が三連覇を達成し、深紅の優勝旗を北海道にもたらしたとしたら…

はたしてメディアはどちらを追いかけたでしょうか。
早稲田実業の門の前に、あれほどの人だかりができたでしょうか。
ハンカチは、ブームになったでしょうか。

「判官びいき」の価値観こそ素晴らしい、と言うつもりはありません。
敗れた者への賞賛は「勝敗は二の次」といった異なる価値観へと変化しがちで、それが勝負事の世界で日本人が世界に遅れをとってきた一因であったとも考えられます。
勝負事の世界で、勝者が輝いて見えるのは当然のことでもあります。

しかし、一方で「判官びいき」の心は、日本人が世界の中で持っているアイデンティティの一つでもあったような気がするのです。
勝者ばかりに注目し、勝負に敗れた瞬間に敗者のことは忘れ去っていく。
何か、日本人として大切にしていたものを一つ失いかけているような気がするのです。

ハンカチ王子もよいのですが、三連覇の夢を絶たれた田中投手にも、かつての太田投手と同じような眼差しを向けてもらいたい。
私は、日本の心を保っていたい一人として、そう思います。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/b62f4315dcc9266946379ba1566a410d

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