今から20年前のこと。
埼玉県は秩父の、とある中学校は、
とても荒れている学校だったという。
その中学校の校長先生になったのが、小嶋登さんというお方。
「荒れている中学校を、歌で立て直したい」
「歌声の響く学校」を作ろう。
そこで小嶋校長先生は、生徒たちに合唱をする機会を増やすことにした。
生徒たちは反発した。
合唱なんて、かったりー。
でも、校長先生は負けなかった。
音楽の高橋浩美先生(当時は坂本先生)とともに、
生徒たちを粘り強く指導していった。
その結果、
その中学校はほんとうに歌によって立て直されたという。
ある日のこと。
高橋先生は校長先生にこう提案した。
「卒業する生徒たちのために、何か歌を送ってあげましょう。作詞をしてください」
校長先生は、
「わたしにはそんなセンスはないから」と固辞したが、
翌日、高橋先生の机には校長先生直筆の歌詞が・・・。
白い光の中に 山並みは萌えて
はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず
勇気を翼にこめて 希望の風にのり
この広い大空に 夢を託して
懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあの時
心通ったうれしさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて
勇気を翼にこめて 希望の風にのり
この広い大空に 夢を託して
今 別れのとき 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に・・・
その歌詞に感動した高橋先生。
わずか15分で、その歌詞に曲をつけたという。
そしてその曲は、
「卒業生を送る会」のサプライズとして、先生たちによって歌われた。
翌年からは、生徒たちも歌うようになった。
その曲の名は、
「旅立ちの日に」。
今では学校の卒業式で歌われる歌の定番のひとつとなっている。
・・・・というようなことを、去年のブログでも書いたなあ、そういえば。
その小嶋登さんが、お亡くなりになった。
合唱、いや、合掌。
「旅立ちの日に」作詞者、小嶋登さん死去 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
全国の小中学校の卒業式で歌われている「旅立ちの日に」の作詞者で、元中学校校長の小嶋登(こじま・のぼる)さんが20日、急性心筋梗塞のため死去した。80歳だった
告別式は26日午後1時、埼玉県秩父市上影森829の1メモリアルホール秩父で。喪主は長男、直樹(なおき)氏。
1988年に、荒れていた秩父市立影森中の校長となり、「歌声の響く学校」として再生を目指した。「旅立ちの日に」を作詞したのは定年退職を控えた91年。当時、同中の音楽担当だった高橋浩美教諭(49)から「卒業生に贈る歌詞を作って下さい。歌にしたい」と依頼され、「白い光の中に 山なみは