地球が静止する日 The Day the Earth Stood Still 2008

2008-12-27 09:41:01 | Weblog
地球が静止する日 The Day the Earth Stood Still 2008

U.S. Release Date: 2008

■監督:スコット・デリクソン
■キャスト:キアヌ・リーヴス/ジェニファー・コネリー/ジェイデン・スミス/キャシー・ベイツ
■音楽:タイラー・ベイツ
■字幕:林完治
■お勧め度:★★★(平均点)

 「51年に製作されたSF映画の古典「地球の静止する日」をキアヌ・リーヴス主演でリメイクしたSFスペクタクル・サスペンス。ある使命を帯びて地球に降り立った宇宙からの使者を前に、ついに存亡の危機を迎えた人類の運命を壮大なスケールで描き出す。共演はジェニファー・コネリー、キャシー・ベイツ。監督は「エミリー・ローズ」のスコット・デリクソン。
 ある日、謎の巨大な球体が地球に飛来、アメリカ政府が厳戒態勢を敷く中、宇宙からの使者クラトゥがセントラルパークに降り立つ。あらゆる分野の専門家を集めた対策チームが組織され、亡き夫の連れ子ジェイコブと2人暮らしの生物学者ヘレンも強制的に招集される。やがて軍の施設でクラトゥに対する尋問が試みられるが、クラトゥは特殊な能力で拘束を解くと施設から姿を消してしまう。クラトゥの目的も判らぬまま世界中がパニックとなる中、クラトゥは協力者にヘレンを選び接触を図る。そしてついに、ヘレンはクラトゥから衝撃の事実を告げられるのだったが…。」(allcinema.net/より。)

チラシに書いてあることは例によって大嘘こんこんちきなので無視するにしても、スペクタクル・サスペンスというより環境問題の社会派作品だろう。キアヌ・リーヴス演じるクラトゥは太陽系以外の世界にある諸文明を代表して地球に来て、地球環境の視点から人類をどうするか、それを決めるという意味での「使者」。彼は70年前に中国に派遣されたエージェントと会い、表面的には否定的だが、実際は人類に対して思いのあるレポートを聞くが、彼自身は人間という種族(種属)にはあまり詳しくない。それが証拠に地球環境の危機を国連の場で訴えようとするが、祖国防衛が任務である国防長官(キャシー・ベイツ)に阻まれる。むしろ偶然、出会ったヘレン博士(ジェニファー・コネリー)やその恩師らしき教授から人類の別の側面を知り、むしろこの教授の詰問から、人類の悪行を表面的に捉える事の早計さを感じ、次第に好意的になっていく。科学的、客観的に見れば人類は地球の敵で、地球環境を救うには人類抹殺が手段という結論を下しながらも、その結論の早計さに気付き、人類を助けることになるという筋書きで、ここらへんはおそらくは1951年のオリジナルとは少し違った部分だろう。逆に言うとオリジナルをリメイクする事で、テーマと筋書き的には少し無理が生じた。1951年には、今ほど地球環境は悪化してなかっただろう。それこそ温暖化やオゾン層破壊はなかったし、資源は無尽蔵、冬になれば横浜でも11月から雪が降って、夏にはちゃんと台風も来た(今年は確かゼロ)。無理というか原作があるために中途半端な作品になってしまったかもしれない。環境問題で一番、難しいのは、普通に生活していると、ヒートアイランドとかは別にしても、環境の悪化を直に感じることが出来ないことが多いし、むしろ生活に追われ、環境や地球の危機は頭では分かっていても、自分で実際、なにが出来るかという事が分からない。割り箸を使い捨てにする事が悪いという事は分かっていても、昔、何かで読んだか知ったアメリカ女性だったか、自分の箸を持ち歩いて、感情を逆撫でするようなのが居たが、社会の中でしか生きられないという運命を背負った人類としては、自分の命か地球の命かというのは、個々人で決めるしかないだろう。作品では本当の危機に際して初めて人類は地球を救う決断をするだろうというのがテーマになっているが、これもちょっと、今の環境問題の複雑さと現実とは懸け離れたテーマだろう。地球を救うために人類を抹殺するというのは、言うのは簡単だが、テーマとして描くには、50年前ならショッキングだったかもしれないが、今では短絡的で説得力が無い。とは言っても、他に問題の立て方があるかというと、これも疑問で、上に書いたような事を、どっちみち分からないという事で無視すれば、唯一の警告の仕方かもしれない。作品としての面白さはむしろ各々の人物が立場の違いから、様々な考え方で事に当るという所で、クラトゥの立場以外にも、国防長官として武力で国を守るという考えから、有能なせいでむしろ「物体」に対しては全く成す術も無いという事に気付き、ヘレンと同じ考えに到達する過程、あるいは逆に普通の軍人である事から武力しか頭に無い指揮官、ヘレンの息子役のジェイコブ(ジェイデン・スミス)にしても、軍人として死んだ父親を思う気持ちからクラトゥには敵対的ながら、クラトゥの行動を見るうちに考え方が変わっていく過程とか、むしろ人間関係の描き方が面白い作品だろう。あとは演技を見るなら例によって演技をしない事が持ち味のキアヌ・リーヴスの面白さだろう。演技は他人まかせで自分は主役という美味しい役をやらせたら、それこそハリウッド随一という部分が最高に発揮された作品。リーヴスはほんと、こういう役が巧い。過去の「マトリックス」で余計なアクションで誤魔化しを強制された彼としては、久々に自分流の演技ができた作品だろう。総じてチラシ、その他の宣伝さえ無視すればそこそこ楽しめる作品。


ヒアリング度:★★★
感動度:★★
二度以上見たい度:★
劇場で見たい度:★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

ブラインドネス Blindness 2008

2008-12-20 23:37:59 | Weblog
ブラインドネス Blindness

U.S. Release Date: 2008

■監督:フェルナンド・メイレレス
■原作:ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』(日本放送出版協会刊)
■キャスト:ジュリアン・ムーア/ダニー・グローヴァー(ナレーション兼任)/マーク・ラファロ他
■音楽:マルコ・アントニオ・ギマランイス
■字幕:太田直子
■お勧め度:★

 「「ナイロビの蜂」のフェルナンド・メイレレス監督が、ノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの小説『白の闇』を国際色豊かなキャスト陣で描いたパニック・サスペンス。ある日突然失明する謎の病気が感染症のように世界中に蔓延していく中、隔離施設に閉じ込められた発症者たちが極限状況で露わにしていく様々な人間の本性を寓話的に描き出す。主演は「エデンより彼方に」のジュリアン・ムーア。日本からも「CASSHERN」の伊勢谷友介と「寝ずの番」の木村佳乃が参加。
 ある日、車を運転していた日本人の男が突然視力を失い、目の前が真っ白になる事態に見舞われる。しかし、彼を診た医者によれば、眼球に異常はなく原因は不明だった。その後、同様の患者が各地で続出、混乱が広がっていく。感染症の疑いが濃厚となり、政府は緊急隔離政策を発動し、発症者を片っ端からかつて精神病院だった隔離病棟へと強制収容していく。最初の患者を診た医者もやはり失明し、隔離病棟送りとなるが、その際、医者の妻は自分も失明したフリをして夫に付き添うのだった。彼女だけは、なぜか失明を免れていたのだ。こうしてただ一人、目が見えていながら隔離病棟内に入り込んだ医者の妻は、やがて想像を絶する惨状を目の当たりにするのだが…。」(allcinema.net/より。)

つまらなそうだったので後回しにしたが、「邪馬台国」を観た方がよかった。なんとか賞(アカデミー賞ではなく)を取りそうな映画人好みの作品。エンタテインメント性ゼロ。

なぜ失明したかという病気の謎は解明されず、ただひたすら、突然失明した人々の醜態を描き、なぜ一人だけ失明しなかったのかという事も説明無し。これはこれでいいにしても、見えないことの苦しみを、「ICHI」の一言、「目が見えないから何を斬るか分からないよ」を、2時間10分かけて描いた「労作」。色々とテーマはあるのだろうが、ベテランの盲人ならいざしらず、いわば素人の盲人が住み行動するために、収容所も町もゴミだらけ。これだけゴミの山を見たら、有るテーマも吹っ飛ぶ。

映画作品として出来がいいというやつだろう。収容所の醜態を、一人だけ見えるジュリアン・ムーアの視点を借りて見るという構成で、観る側はそれに引き込まれる。醜態の描き方にしても、まさに赤裸々に人間の本性を描き、リアリズム系のアートっぽい。かつ、目が見えないことで物を奪い合う様は、ゾンビ映画っぽいが、それを恐怖映画っぽく描くのではなくて、リアルに描くことで、ゾンビ映画のノリとは一線を画したいという意図も見られる。これに、いかにも映画人が好みそうな真っ白な画面や真っ黒な画面を入れて、テレビだったら間髪入れずに放送局に苦情の電話が殺到しそうな「工夫」が見られる。こういう作品が嫌いな場合の唯一の見所は、一人だけ見えるジュリアン・ムーアの活躍。わずかばかりの信頼のおける被収容者を助け指導し、家族っぽい絆を築く。

作品中、人名が一切、出てこないが、これは原作の小説を忠実に映画化したためだろう。むしろ作品よりか、小説では人物をどうやって描いたのだろうか、こちらの方に興味が湧く。まさかいちいち「医者の妻」とか書かないだろう。おそらくは人名をあえて使わないことで、誰が誰なのか分からないという、それこそ失明状態を小説自体に織り込んだ書き方がされたと思うが、映画では人物が見えるし判別できるため、この構想は水泡に帰している。その意味では原作に忠実に映画化した事で、むしろ原作の、おそらくは最大の読み所を無にしてしまった失敗作。ゴミと醜態フェチ以外は、観る価値の無い作品だろう。カナダ、ブラジル、日本共同作品。なんで日本語の台詞にそのまんまの字幕が付いているのだろうか。どうでもいい所で笑える作品ではあるが。


ヒアリング度:★★★
感動度:
二度以上見たい度:
劇場で見たい度:
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:
ムカつく度:★★★★
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

252 生存者あり 2008

2008-12-14 11:24:03 | Weblog
252 生存者あり 2008

U.S. Release Date: xxx

■監督:水田伸生
■原作/脚本:小森陽一
■キャスト:伊藤英明/内野聖陽/山田孝之/香椎由宇/木村祐一/MINJI/山本太郎他
■音楽:岩代太郎/主題歌:MINJI『LOVE ALIVE』
■字幕:
■お勧め度:★★★★

 「史上最大規模の巨大台風が日本に直撃、人々が大パニックに陥る中、決死のサバイバルが繰り広げられるスペクタクル・ヒューマン・ドラマ。かつてない自然の猛威に見舞われた東京を舞台に、地下に閉じこめられた元ハイパーレスキュー隊員の弟とその救出に奔走するハイパーレスキュー隊長の兄を軸とした双方の行方をリアルかつ壮大なスケールで描く。主演は「海猿」の伊藤英明と「黒い家」の内野聖陽。監督は「舞妓 Haaaan!!!」の水田伸生。
 首都圏を襲った直下型地震から数日後の東京。都市機能はほぼ回復し、いつもの日常を迎えようとしていた。だがそんな中、地震の影響で海水温度が急上昇し、太平洋上に未曾有の巨大台風が発生する。その猛威は間もなく湾岸に押し寄せ、巨大な雹や高潮による洪水が凄まじい勢いで都心になだれ込んでくるのだった。その頃、元ハイパーレスキュー隊員の篠原祐司は、娘の誕生日を祝うため妻と銀座で待ち合わせをしていた。しかし、妻と娘は途中の地下鉄新橋駅でこの台風による災害と人々のパニックに巻き込まれ、離ればなれに。そして、祐司は家族を救うため新橋へ急行する。一方、祐司の兄でハイパーレスキュー隊の隊長を務める静馬は、部隊を率いて懸命の救助活動にあたっていた…。」(allcinema.net/より。)

なんか最近の邦画の好調ぶりが、日テレにも「伝染」したようで、期待をはるかに裏切る、どちらかというとパニック・ヒューマン・ドラマ。スペクタクル部分は殆ど大津波の部分だけで、パニック物として見た場合、従来の特に洋画のパニック物と違う、超える部分があってかなり感動的。従来のパニック物というのは、CGとかを見せるのが主で、それに適当な人間関係、それと誰が助かって、誰が死ぬかというのを当てるぐらいが関の山だったが、本作では助けられる側に、元ハイパーレスキュー隊員を配したことで、助ける側と助けられる側に、兄弟の絆とともに、作品構成上の絆ができて、この二人のレスキュー隊員やその他の助かった、ほんのわずかな人々、それらの人間模様などが、パニック物にしては、かなり深く描かれ、ヒューマン・ドラマ性豊かな作品になっていて飽きない。たしかに従来のパニック物の場合は何も分からない素人が知恵を出し合って生存の道を探すという面白さがあったが、これはパターン化していて、もう使えないだろう。あるいは同じレスキュー物にしても、題名は忘れたが沿岸警備隊のやつ、一人がヒーローになって、というのも古臭い気がする。だったらむしろ表面はパニック物にしておいて、実際はヒューマン・ドラマというのも、面白い作品展開だろう。もっともこれは原作者の功績かもしれないが。それにしてもテレビ局が作った作品にしては、かなり映画している。ただし日活と東宝の協力がかなりあったと思われるが。(ちなみに配給はなぜかワーナー)

題名の「252 生存者あり」というのも、ちょっとした工夫が見られる。これはSOSのモールス信号が、長さを変えての3-3-3なのに対して、長さを変えられない場合、2回、5回、2回という信号で、ハイパーレスキュー隊が使っているらしい。この信号を察知した兄のレスキュー隊員の方が、生き埋めになっているのは元レスキュー隊員の弟である事が分かり、彼であれば生存者をどう導くか、それを前提にして、かなり無謀な救出作戦を展開するというもので、ここらへんの絆というか信頼関係みたいなものが、単なるパニック作品の域を超えている。キャスト的にもかなり豪華で、かつ各々になんらかの過去や思いがあって、パニックを契機にして、それらを乗り越え成長していくといった部分もあって、人間模様の描き方も、パニック物にありがちな薄っぺらなものと違っている。それと本作品での東京の描き方にも工夫があると見たい。これは横浜のヘキ地に住んでいる者から見ると、ビルと赤の他人しか居ない東京というイメージ通りに描き、洪水に見舞われた地下鉄(これも東京の恐怖)の構内で人がバタバタ死んでゆき、死体だらけになるといったシーン、これはかなり思いきった決断があったような気がするし、これがあるために、ヒューマン・ドラマの部分が生きてくる。こういう思いきった決断や構成というのが、映画がテレビドラマと違う、あるいは映画ではできてもテレビドラマでは出来ない部分じゃないだろうか。これだけ死体の山を撮ったら、テレビだったら、なんとか委員会や団体から苦情が出て責任者は○○だろう。映画というのは、変な言い方ながら自分の意志で観るものだから、その分、思いきった事をやっても、観た方の責任にできる。この利点を活かせるかどうかが、テレビドラマと映画の違い、あるいは映画というものの存在価値じゃないだろうか。作品自体、十分、面白いにしても、こうした部分が見られたのは、また一段、邦画に期待が持てる。それとこれはちょっと無知で分からないが、地震で地下のマグマが噴出して海水温が上がり、巨大台風が発生し、それが普通の台風と同じ進路を取って東京を襲うというのは、かなり現実的な感じがして、いわゆる直下型地震より可能性が高いような気がするが、どうなのだろうか。気象庁も絡んでいる作品なので、これは予測されている事なのだろうか。ここらへんもちょっと発想の斬新さを感じる。


ヒアリング度:
感動度:★★★★
二度以上見たい度:★★★
劇場で見たい度:★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様 2008

2008-12-07 04:04:39 | Weblog
釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様 2008

U.S. Release Date: xxx

■監督:朝原雄三
■キャスト:西田敏行/三國連太郎/浅田美代子/中本賢/常盤貴子/山本太郎/竹内力+
■音楽:信田かずお
■字幕:
■お勧め度:★★★(★)

 「西田敏行、三國連太郎共演の大人気「釣りバカ日誌」シリーズ通算21作目(番外編2作を含む)。今回は鈴木建設御一行が社員旅行で大分県を訪れ、そこで再びハマちゃんが繰り広げる大騒動を描く。ゲストには常盤貴子、山本太郎、竹内力。
 会長になっても会社一筋で多忙な一之助に対し、相変わらず会社そっちのけで釣り一筋の伝助。そんなストレスとは無縁の伝助だったが、会社の健康診断で再検査となり、胃カメラを飲むハメに。さんざん大騒ぎして、総務部の派遣社員・河井波子を困らせた伝助だったが、再検査の結果は特に問題なし。晴れて社員旅行にも参加でき、大喜びの伝助。今回の行き先は大分県。幹事を務めるのは同県出身の波子。釣りのことしか頭にない伝助は、波子の兄・康平が地元で漁師をしていると知ると、さっそく釣りの手配を頼むのだったが…。」(allcinema.net/より。)

毎年恒例となったこのシリーズ、いつやるか分からないという緊張感(?)も含めて、正月やらお盆とかは関係無い身としては、楽しみなシリーズでもある。これはそもそもは「寅さん」に代わる正月映画だったような気がするが、格下げになって、混む正月にやるよりは、変な時期にやってくれた方が、自分一人で楽しめる(正月ができる)ような気がして楽しい。そのような事なので、あまり期待はしてなかったが、今回の作品はなぜか出来がいいのに驚いた。このシリーズ、全部、観てるわけでは無いので分からないが、最大の理由は西田敏行と三國連太郎が傍役に引っ込んで、常盤貴子と山本太郎の恋を取り持つキューピッド役に徹するというパターンを採用した事だろう。前にも書いたが、このシリーズで一番、好きなのは、風吹ジュンと小林稔侍の仲を取り持つやつ(釣りバカ日誌9)で、今は特に一応は主演の二人が衰えたこともあって、物語りとか、その他のキャストの良し悪しで作品の質が決まるような所が出てきた。この点、本作品は、このシリーズとしては当たりの方だろう。かなり細部に気を遣っている。前にも書いたが、タモ(網)が無いと30センチのイサキ(という魚)も上げられないほど体力が低下したハマちゃんに、最初のシーンで東京湾の大アナゴを上げさせるのは、製作者としての気づかいだろう。(説明すると、海の底に居るアナゴとかの魚は、走らない(左右に動き回らない)ので、力がなくても棒抜きできる)スーさんに至っては、本作品ではとうとう、釣り竿を握る場面もカットされた。初期~中期の作品と比べると、こういうのって、散り行く物の美といったような日本的な美が感じられ、この事は意図的に作品に盛り込まれている(観れば分かる)。この点も本作品の出来が良かったと感じた理由だろう。それとこれは、作品の筋書きによっては副次的(付け足し的)なものにされがちなハマちゃんの家庭が、浅田美代子、息子の鯉太郎の成長、それと特に釣り船屋の「八」が頻繁に絡んでくることで、会社ものというより、ホームドラマっぽい部分を強調した、できたのも、作品に内容を与えている。特にハマちゃんとみち子さんの絡みというのが、細かな会話や動作も含めて、とても愛らしく描かれ、むしろ常盤貴子と山本太郎の恋物語より印象深い。このへん、邦画というとテレビ会社ばかりで、映画会社は何をやっているのかと書いたが、本作品(松竹)は、やはり映画会社が作ったものという気がする。両者の違いというのは、テレビ会社の作品というのは筋が勝負、映画会社の作品は役者の使い方が勝負という点があるのじゃないか。この点、さすが映画会社が作った作品と思われる部分があるが、いかんせん、このシリーズ自体の制約があるので、あまり期待して観てはいけない作品に留まっているが、これはしょうがないだろう。元々は、酒酔気分で観る正月映画だったわけだし。それにしても全盛期の頃に比べると、同じシリーズでも少しづつテーマや雰囲気を変えているようで、この方向で行けば、どっちかが死ぬまでこのシリーズは続けられそうな印象がしてきた。特に面白くなくても、毎年恒例作品というのは、存在するだけで価値があるのじゃないか。他の国には無いだろう。「寅さん」~「釣りバカ」というのは、日本的な映画の伝統とも言える。そういうものは大切にするべきだし、実は個人的な理由で「寅さん」は大嫌いで、ほとんど一本も観てないが、むしろ今の「釣りバカ」を観ると、その良さが逆に分かるような気がする。それとこれは最近、観ている邦画に限られた事かもしれないが、洋画に比べると、後味の良さというのがある。「フレフレ少女」はもちろんだし、イマイチだった「ハッピーフライト」にしても、後味の良さという点では、平均的な洋画以上だろう。これは大事なことで、たとえば凄い作品であっても、後味の悪い作品というのは、観る価値はあっても記憶からは消したいような所があって、同じ、印象深い作品にすると言っても、後味の良い作品の方がいいし、極端な基準を設けると、後味の良し悪しで作品の価値を強引に評価することも出来るのじゃないだろうか。余談。近くの海が、また一段、綺麗になってしまった。綺麗な海に魚は居ない。


ヒアリング度:
感動度:★★★
二度以上見たい度:★★★
劇場で見たい度:★★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)