相棒-劇場版II- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜 (2010)

2011-01-14 14:30:38 | Weblog
相棒-劇場版II- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜 (2010)

U.S. Release Date:

■監督:和泉聖治
■キャスト:水谷豊/及川光博/川原和久/小西真奈美/岸部一徳/國村隼/小澤征悦/宇津井健/江波杏子/他
■音楽:池頼広
■字幕:
■お勧め度:★★★(★)

 「水谷豊主演の大ヒット刑事ドラマの劇場版第2弾。警察組織内部に渦巻く恐るべき陰謀に立ち向かう特命係の右京、尊の活躍を骨太のストーリー展開で描き出す。及川光博、岸部一徳らのレギュラー陣に加え、小西真奈美、小澤征悦、宇津井健、國村隼ら豪華ゲスト陣も多数出演。監督は前作に引き続いてのメガフォンとなる和泉聖治。
 警察組織の要所である警視庁本部内で、警視総監以下、幹部12名を人質に取った前代未聞の籠城事件が発生する。犯人からの要求のないまま時間ばかりが過ぎ、捜査本部が対応に苦慮する中、杉下右京と神戸尊は犯人が元警視庁刑事の八重樫であることを突き止める。しかし、右京の意見が聞き入れられることなく、事件は機動隊と特殊捜査班の強行突入による犯人の射殺と人質全員の解放によって幕を閉じる。ところが八重樫の動機は結局不明のまま、人質となった幹部たちも一様に曖昧な証言に終始する。一連の事態に疑問を抱いた右京と尊は、真相を探るべく独自の調査を開始するが…。」(allcinema.net/より。)

れいによってテレビシリーズを見てない上に、警視庁と警察庁の違いも分からない。ストーリーは、まさに警視庁と警察庁の覇権争いらしいので、ほとんどサッパり分からない。それでもミステリー物としては面白かった。「I」は全くつまらなかったが、主人公の水谷豊が地道にというか強引に捜査を続けていく姿は説得力ある。それにテレビシリーズでは岸部一徳がライバルというか好敵手なのだろうか。必ずしも悪者としては描かれず、警視庁だか警察庁を「省」に格上げするというのが目的らしく、そういえば防衛庁やらも「省」になったような気がするので、なぜ警視庁だか警察庁も「省」にしてないのか不思議ではある。何か問題があるのだろうか。「省」になると、トップは政治家になるので、格上げされる方の幹部としては反対なのだろう、という点が、物語りのキーになっている。しかし、なんせ中央省庁の内部問題というのは、小市民的な立場から見ると、どうでもいい事なので、テレビシリーズを見てないと、何の面白味も無い。それに、岸部一徳や宇津井健というような大物俳優をトップ官僚役に使うと、それぞれの過去ばかりが思い出されて、実際の官僚とは、かなり違うイメージになってしまう。むしろ劇場版では無名俳優を使った方が、恐くて面白かったのじゃないだろうか。劇場版だからといって、主人公以外にレギュラーを使う必要があるのだろうか。個人的には水谷豊は若い頃からのファンで、奥様(ラン)はどうなったのだろうかという事も含めて、見て良かったし、端役ながら、恐いお姉さん役が多くて今だに印象に残っている江波杏子の健在ぶりが見れたのは楽しかった。最寄りのシネコンで観る最後の作品としては、内容的にも、最大の8番スクリーンで観れたのは良かった。次回の予定は全く不明。ちょっと離れた所に2軒、シネコンがあるが、サイトすらブックマークしてない。しかしこのビルはどうなるのだろうか。ほとんど全体がシネコンで、そこにマックとスポーツジムらしきものが入っているのみ。当事者は無限放置すると言っているが、潰して駐車場ビルにするのがオチだろう。10年、ありがとう。


ヒアリング度:
感動度:★★★
二度以上見たい度:★★
劇場で見たい度:★★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

ノルウェイの森 (2010)

2011-01-07 16:27:48 | Weblog
ノルウェイの森 (2010)
(Norwegian Wood)

U.S. Release Date:

■監督:トラン・アン・ユン
■キャスト:松山ケンイチ/菊地凛子/水原希子/霧島れいか
■音楽:ジョニー・グリーンウッド
■字幕:
■お勧め度:★★

 「1987年の発表当時、空前のベストセラーとなり社会現象を巻き起こすとともに、日本のみならず世界中で翻訳され多くのファンを生み出した村上春樹の同名小説を「デトロイト・メタル・シティ」の松山ケンイチと「バベル」の菊地凛子主演で映画化した青春ラブ・ストーリー。学生運動が盛んな昭和40年代を背景に、深い喪失感を抱えたまま対照的な2人の女性の間で揺れ動く青年の切なくも瑞々しい青春の葛藤と再生の日々を、美しい映像で赤裸々かつ繊細に描き出す。共演はモデル出身でこれが演技初挑戦となる水原希子。監督は「青いパパイヤの香り」「夏至」のトラン・アン・ユン。
 唯一の親友・キズキを突然の自殺で失ったワタナベは、悲しみから立ち直れないまま東京の大学で学生生活をスタートさせる。ある日、ワタナベはキズキの恋人・直子と偶然の再会を果たす。同じ喪失感を共有する2人は次第に惹かれ合っていくが、2人の関係が深まるにつれ、直子は心のバランスを崩してしまい、ついには京都の療養所に入院することに。直子と会うことも叶わないワタナベの前に、直子とは対照的に若者らしい明るさと生命力に満ちた緑が現われる。積極的な緑との交流を持ちながらも直子の状態が心配でならないワタナベ。そんな中、ようやく直子との面会が許され、京都へと向かうワタナベだったが…。」(allcinema.net/より。)

上の「解説」は、全くの的外れ。これは精神分析的な病気の「直子」の物語り。直子と「キズキ」は3歳の頃からの幼友達で、直子が10代になると、幼友達としての感情を、キズキに対する愛情と勘違いする。それでセックスをしようとするが、できない。それで傷つく。キズキの方は、おそらくは、この勘違いに気づいていたのだろう。直子はきわめて純真な女(の子)。キズキも、おそらくはそうだっただろう。姉とか妹にセックスを強要されたら、純真な男は自殺したくもなるだろう。さらに悪いことは、女に目覚めた直子が、その性欲を、必ずしも愛してはいない「ワタナベ」に向けてしまう。ここまでやったら精神分析的には、ひどい病気になるだろう。療養所に行っても、当時でも、おそらくは今でも、精神分析的な治療は受けられなかっただろう。結果は目に見えている。直子にとっては、ワタナベというのは、存在自体が病気の根源。最低限、できる事は、二人を別れさせる事だろう。療養所では、明らかにそれをやっていない。要するに何の治療もしていない事になる。さらに悪いのは、療養所の同じ患者であるレイコの存在。彼女は二人の仲を取り持つ役目をしてしまう。ついでに自分の勝手な都合だか感情だかで、ワタナベとセックスというマヌケな筋書き。ワタナベにしても、直子をどう思っていたか不明。愛情があり、性欲もあったが、直子が死んだ後に、直子とは全く性格の違う「緑」と一緒になるという変な展開。それに彼が唯一、付合っていたのは、プレーボーイタイプの先輩。結果から見ると、直子に対する感情は、情け心に過ぎなかったような感じがする。本当に愛していたのであれば、これは気づけという方が無理だろうが、直子を捨てる事だっただろう。精神分析の問題がテーマだとすれば、当時は少なくとも治療の可能性は何も無い問題をテーマにした事になる。これのどこがベストセラーになったのか。それこそ、これをラブ・ストーリーとして読んだのだろうか。あるいは、村上春樹は読んでもないし興味もないが、文体だけでベストセラーなんていうのはいくらでもあるだろう。三島由紀夫の例を出すまでもなく。本作が原作に忠実に映画化したとすると、その意味が全く分からない。強いて見所があるとすれば、菊地凛子が、精神分析病者の役割をうまく演じている事だろう。

なお、来週以降、最寄りのシネコン閉館のため、本メールマガジンは「不定期」刊行になります。


ヒアリング度:
感動度:★
二度以上見たい度:★
劇場で見たい度:★
ビデオ/DVDで欲しい度:★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)