ワルキューレ Valkyrie 2008

2009-03-27 09:18:58 | Weblog
ワルキューレ Valkyrie 2008

U.S. Release Date: 2008

■監督/製作:ブライアン・シンガー
■キャスト:トム・クルーズ/ケネス・ブラナー/ビル・ナイ/トーマス・クレッチマン他
■音楽:ジョン・オットマン
■字幕:戸田奈津子
■お勧め度:★★

 「トム・クルーズと「ユージュアル・サスペクツ」のブライアン・シンガー監督が初タッグを組んだサスペンス・アクション。実話を基に、非人道的なナチス政権の暴挙に疑問を抱き反乱分子となったドイツ将校が同志と手を組み、ヒトラー暗殺計画に及んでいく過程とその顛末を緊迫感溢れるタッチで描く。共演に「から騒ぎ」のケネス・ブラナー、「ラブ・アクチュアリー」のビル・ナイ。
 第二次大戦下、劣勢に立たされ始めたドイツ。アフリカ戦線で左目を失うなど瀕死の重傷を負いながら奇跡の生還を果たしたシュタウフェンベルク大佐。純粋に祖国を愛するが故にヒトラー独裁政権へ反感を抱いていた彼は、やがて軍内部で秘密裏に活動しているレジスタンスメンバーたちの会合に参加する。そんなある日、自宅でワーグナーの<ワルキューレの騎行>を耳にしたシュタウフェンベルクは、ある計画を思いつく。それは、国内の捕虜や奴隷がクーデターを反乱を起こした際に予備軍によって鎮圧する“ワルキューレ作戦”を利用し、ヒトラー暗殺後に政権及び国内を掌握する、という壮大なものだった。同志たちと綿密に計画を練り、暗殺の実行も任されることになるシュタウフェンベルク。こうして、過去40回以上に渡る暗殺の危機を回避してきた独裁者を永遠に葬り去る運命の日がやって来るのだが…。」(allcinema.net/より。)

ハリウッド作品にしては出来のいい方だろう。「ワルキューレ作戦」実行過程はかなりサスペンスっぽいし、細部に気を使っているし、名前が分からないが傍役にかなりの豪華メンバー。内容的にも上の解説どおりで、「顛末」まで。トム・クルーズも適役だろう。ただしつまらない。

これ、観ているうちに感じたのは、白黒時代の超大作、「日本のいちばん長い日」(1967年、岡本喜八監督)のバクリだろう。ネタ切れハリウッドとしては。ヒトラー派を帝国軍部、反ヒトラー派を玉音放送を流すことで軍部を押さえて戦争を終わらせた木戸幸一(内大臣)派に置き換えれば。そして単なるバクリであるからして、サスペンス性は「日本のいちばん長い日」並ながら、色々な部分や要素が抜け落ちるというか描かれない。たとえばシュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)は愛国心からヒトラーを倒すことを決意するが、その決意に至るまでの心理描写がほとんど無く、単に「ワルキューレ作戦」という、予備軍を利用して政権を奪取するという思い付きに終わってしまっている。「日本のいちばん長い日」では、軍部にしても木戸派にしても、各々の国を思う気持ちがふんだんに描かれ、愛国心と軍人としての責務や立場とかの矛盾や対立とかも描かれ、そうした部分が見所だった。本作品ではサスペンス性だけで、そうしたものが全く描かれない。単純な話が、本計画はヒトラーの悪運の強さで失敗した、それだけ。

言いたいことは分かる。いわゆる「ナチス・ドイツ」というのは、ヒトラーがボスのまま戦争が終わってしまったからで、当時のドイツにはヒトラーに反対する者も、それもかなり上層部まで居た。ドイツ全部がヒトラーを信奉していたわけでは無いという事だろうが、それを描いて何の意味があるのか。それも、本作での反ヒトラー派の何人かは、明らかに単に政権を奪取して自分たちが新政権のボスになりたいという月並みな動機で動いたように描かれている。これは事実だろうが、こうした描き方のせいでシュタウフェンベルク大佐の愛国心も吹っ飛んでしまっている。結果的には政権奪取を目論んだクーデターが失敗する過程を描いただけの作品。それもノンフィクションっぽく描いてしまったために更に内容が希薄になってしまった。

たとえば何故ヒトラーを倒す必要があったのかというと、史実にあるとおり、ドイツの東西分断、ベルリンの壁、東の貧困といった事態を避けるためだったろうが、その史実が分かっているのであれば、それを作品に盛り込めば、たとえ嘘でも作品としてのテーマは作れただろう。それを単なる政権奪取の野望みたいなものとして描いてしまうと、単なるノンフィクションで終わってしまう。これに比べると、「日本のいちばん長い日」では、木戸幸一らが軍部の抵抗をかいくぐって玉音放送を流すことで戦争を終わらせ、昭和天皇には戦争責任の無いことの一つの根拠を作り、それがあったために、戦争責任を主に軍部に押し付けることに成功し、結果として日本の南北分断が避けられた。玉音放送作戦が失敗して最後まで軍部が戦い続けていたら、南北分断どころか国自体がなくなっていたかもしれない。どうせパクるなら、ここまでパクって欲しかった。たとえば「ワルキューレ作戦」を反ヒトラーの象徴的なものとして描き、これやその他の暗殺計画を、少しは美化して描くか、あるいは動機に上のような史実を予測させるような部分を混ぜれば、大きなテーマとして描けただろう。ネタ切れ状態で裏で密かに日本やその他の外国作品を観てパクりたがるのは分かるが、付加的な工夫とかが無いと、ちょっと観れない。


ヒアリング度:★★
感動度:
二度以上見たい度:
劇場で見たい度:★★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:
ムカつく度:
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

ヤッターマン 2008

2009-03-20 08:23:40 | Weblog
ヤッターマン 2008

U.S. Release Date:

■監督:三池崇史
■原作:竜の子プロ
■キャスト:櫻井翔/福田沙紀/深田恭子/生瀬勝久/ケンドーコバヤシ/岡本杏理/(小原乃梨子)
■音楽:山本正之
■字幕:
■お勧め度:★★★★(★)

 「“タイムボカン”シリーズの第2弾として人気を博した往年のTVアニメを多作の奇才・三池崇史監督が実写映画化したアクション・エンターテインメント。ヤッターワンなどのおなじみメカも忠実に再現し、ヤッターマンとドロンボー一味が繰り広げる攻防を壮大なスケールで描く。出演はヤッターマン1号に嵐の櫻井翔、2号に「櫻の園 -さくらのその-」の福田沙紀、ドロンジョに「下妻物語」の深田恭子。
 高田玩具店のひとり息子ガンちゃんは、父の発案した犬型の巨大ロボット、ヤッターワンを完成させる。そしてガールフレンドの愛ちゃんと共に愛と正義のヒーロー、ヤッターマン1号・2号に変身し、4つ全部集めると願いが叶うという伝説のドクロストーンをめぐってドロンジョ、ボヤッキー、トンズラーのドロンボー一味と熾烈な争奪戦を展開していた。そんな中、ガンちゃんと愛ちゃんは考古学者、海江田博士の娘・翔子の依頼で博士の捜索を手伝うことに。博士はドクロストーンの1つを手に入れると翔子に預け、2つ目を探す旅に出たまま消息が途絶えている。また、ドロンボー一味も博士の痕跡を辿っていると知ったガンちゃんと愛ちゃんは早速ヤッターマンに変身、ヤッターワンに乗って捜索に急行するのだが…。」(allcinema.net/より。)

このシリーズはアニメとしてはそれほど面白くなかったような記憶があって、中心人物はむしろドロンジョで、「今週のなんとか兵器」とかの多少は面白いワンパターン性の中に、むしろドロンジョがいじめられる所が面白かったような。声優としてもドロンジョ役の小原乃梨子さんが中心で、個人的な話しになると小原乃梨子さんというと「ハーロック」のミーメ役の方が印象に残っていて、ドロンジョ役はそれと対照的だったので、そのことが面白かったような部分がある。ミーメというのはアルコール(実態は単なる「酒」)を主食とする星の出で、何故かハーロックの事を一番よく知っている、声の低い謎の美女。「ヤッターマン」ではそれと対照的なドロンジョ役が面白かったので、出だしで深田恭子のドロンジョはミスキャストじゃないかと思って、日テレ/読売作品でもあるので、これは邦画としては久々の駄作だろうと思っていたら、なんと、原作を完全に書き直したラブロマンス・コメディ+特撮作品。それも大人向け。例:「ヤッターマン2号さん、ありがとう」「”さん”は要らないのよ」「子供は知らなくていい」。なんの事か分からないお子様は、観ない方がいいでしょう。深田恭子のドロンジョ役にしても、なんと彼女は「1号」に片思いをしてしまい(「泥棒から一番大切なものを盗んだお前は許せない。」)、その恋の結末は、そして物語りが終わったあと、ドロンボー一味はどうなったのかという結末まで描いた、これ一つで映画作品として独立自存、アニメの映画化作品とは言えないだろう。むしろ原作の型だけ借りて、ヤッターマン1号と2号の愛やドロンジョとボヤッキーの片思いを描いたラブラブ作品。これプラス深田恭子のコスプレは半端じゃなく「ナイス」だし、仮面姿が妙に似合っていて面白い、というか本人には悪いけど、仮面姿の方が印象に残る。それと本作品の特撮、かなりお金をかけたような気がする。エキストラ代を抜かせば、かなりの予算が投じられたかもしれない。これだけでも映画館で観る価値あり。音楽もかなりいい。これがあったので出だしの疑問も、これは何かありそうだなという印象を与える。早い話が原作のアニメを単に映画化するのではなくて、何を加えればいっぱしの映画作品になるか、この事をかなり深く、ないし浅く、考えて作った作品。この点、アニメの映画化作品に関しても、今や邦画はハリウッド作品のはるか上をいくと言えるだろう。小原乃梨子さんとその他、原作からの二人は、ドロンボー一味が出店するボッタクリ寿司屋のカモでゲスト出演。これも意味があるだろう。先週に引き続き、面白くて涙が出た。こうなると洋画は基本的に無視して邦画に期待。前に書いた白土三平「カムイ外伝」も期待の一作。


ヒアリング度:
感動度:★★★★★
二度以上見たい度:★★★★★
劇場で見たい度:★★★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★★★★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

ジェネラル・ルージュの凱旋 2009

2009-03-14 09:51:44 | Weblog
ジェネラル・ルージュの凱旋 2009

U.S. Release Date:

■監督:中村義洋
■原作:海堂尊(先生)
■キャスト:竹内結子/阿部寛/堺雅人/羽田美智子/高嶋政伸/國村隼/野際陽子
■音楽:佐藤直紀 主題歌:EXILE『僕へ』
■字幕:
■お勧め度:★★★★★

 「現役医師の作家・海堂尊によるベストセラー小説を基に、窓際女性医師・田口とキレモノ役人・白鳥の活躍を描いた「チーム・バチスタの栄光」の続編。原作シリーズ第3作目を映画化。再びコンビを組むハメになった田口と白鳥が、“ジェネラル・ルージュ(血まみれ将軍)”の異名を持つ救急救命センター長・速水に浮上した黒い疑惑の真相に迫る。主演は引き続き竹内結子と阿部寛。今回の焦点となる速水役に大河ドラマ「篤姫」、「クライマーズ・ハイ」の堺雅人。監督は前作と同じく「アヒルと鴨のコインロッカー」「ジャージの二人」の中村義洋。
 東城大学付属病院の不定愁訴外来医師・田口はある日、院内の諸問題を扱う倫理委員会の委員長に任命されてしまう。そんな彼女のもとに一通の告発文書が届く。その内容は、“救命救急の速水晃一センター長は医療メーカーと癒着しており、花房看護師長は共犯だ”という衝撃的なものだった。速水は“ジェネラル・ルージュ”の異名を持ち、優秀だが冷徹で非情な性格から悪い噂が絶えない人物。すると間もなくして、告発された医療メーカーの支店長が院内で自殺する事件が起こる。院長からまたしても院内を探る密命を受けてしまう田口。さらには骨折で運び込まれてきた厚生労働省のキレモノ役人・白鳥と再会し、彼にも同じ告発文書が届いていたことを知る。こうして2人は再びコンビを組み、この一件を独自に調査することとなるのだが…。」(allcinema.net/より。)

「ジェネラル・ルージュ」というのは実は「血まみれ将軍」じゃない、というミステリーに、医療メーカーのは「自殺」じゃなくて、誰が殺したのかというダブル・ミステリーに、一見、不つりあいな二人の恋物語りをプラスした作品。この1と2が実は関係していて、女が自分の口紅を男に渡すという事はどういう意味なのか。これはここで止めておいた方がいいだろう。

「ジェネラル・ルージュ」救急救命センター長は確かに我がままというか自分勝手であっても、病院経営という枠組みの中で救急救命センターを統括して患者を救うには、組織や規律べったり、あるいはそうした性格ではとても勤まらないのじゃないか。これは現役医師である原作者の病院批判というか願望かもしれない。このシリーズは基本的には面白系なのだろうが、「バチスタ」にしてもそうだったが、医療や医療機関の実態に関して、かなり批判的な部分があることは確か。「バチスタ」の時はテーマが深すぎて、面白系の部分が少し余計な感じがしたが、2作目という事で監督も原作のアレンジの仕方に慣れたのかもしれない。テーマこそ、それほど深くはないにしても、作品としての出来は上だし、娯楽作品として観れば秀作だろう。たとえば「バチスタ」では出過ぎの阿部寛を脇に回して、主要な人物を「公平」に描くことでミステリー性が高まっている。誰が悪なのかという意味で。最初は悪者っぽい「ジェネラル・ルージュ」の描き方も巧い。彼と看護師長、昔で言う看護婦長の関係も、さりげない描き方ながら、最後まで観ると一番、印象に残るし、この二人の人物像が、医療の実態と理想を描いているような部分もあって、内容相互の関係が、これは原作あっての事かもしれないが、かなり良く、分りやすく描かれている。医者の目的は何なのか、それは患者を救う事だと言ってしまえば簡単だが、その手段をどう確保するのか。当然の事ながらお金が要る。しかし病院経営上、過大な経費は割り振れない。ならば現場の医師としては何が出来るか。それがメーカーとの癒着だった。しかしその事で医師を責められるか。お金が無いから患者を救えなかった、とは病院は言えないだろう。医療の本来の目的が患者の救済にあるにも係わらず、実際は予算その他の、時として作品でも描かれるような下らない理由で患者が救えない。そうした状況に立ち向った「ジェネラル・ルージュ」、彼のような医師をどう思うか、これも原作者が読者に問うた点だろう。映画作りという事に関しては原作に単に忠実に映画化するというより、主要なテーマをしっかり押さえて、配役や演技で映画らしさ、小説では描けない部分を描き出すことに成功している。一番、目立つのは診療内科役の竹内結子のキャラだろうが、「バチスタ」ではそれほど目立たなかったのが、本作品では彼女の描き方もかなり効果的なものになっていて楽しい。ほとんど全編、ボーッとした役柄ながら、決定的な部分というかシーンで巨大な前歯2本を中心に撮ったあたりは、この監督の面白センスの良さに感心する。正直な話、涙が出たほど面白い。こうなると、お金のかかる特撮部分と、アクション以外の部分に関して言えば、全ての部分で邦画の方が上になってしまったような気がする。洋画との比較の問題にとどまらず。というか作品によっては比較すること自体が無意味になってしまったような。恋物語りの描き方にしても、「7つの贈り物/Seven Pounds」とかの即物的なものに比べると、本作品にしても「感染列島」にしても、はるかに上だろう。10年越しの恋を口紅ひとつで描くという。しかしこういう描き方というのは、「アイラブユー」を連発しないと恋物語り自体がそもそも描けないという文化のもとでは、分からないのかもしれない。だから「おくりびと」。本作品の場合は、姉さん女房という点がある。これはマザコンっぽい部分があるにしても、それと同じ理由で、洋画では描けないかもしれないし、描いても分からないかもしれない。としたら問題になるかもしれない。俳句が訳せないのと同じ理由で。(製作TBS/東宝)


ヒアリング度:
感動度:★★★★★
二度以上見たい度:★★★★★
劇場で見たい度:★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★★★★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

オーストラリア Australia 2008

2009-03-07 05:31:04 | Weblog
オーストラリア Australia 

U.S. Release Date: 2008

■監督&製作&脚本&原案:バズ・ラーマン(オーストラリア)
■キャスト:ニコール・キッドマン/ヒュー・ジャックマン他
■音楽:デヴィッド・ハーシュフェルダー
■字幕:戸田奈津子
■お勧め度:★★★★(★)

 「「ムーラン・ルージュ」のオーストラリア人監督バズ・ラーマンが、同郷のニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンを主演に迎え、戦時下の当地を舞台に綴るアドベンチャー・ロマン。はるばる異国の地に降り立った英国貴婦人が、広大な大陸を横断するという果てしない道行きの中、粗野なカウボーイとの運命的な出会いや先住民アボリジニとの交流など、様々な未知なる経験を通して新たな自分を見出していく姿をスペクタクルな大自然を背景に描く。
 イギリスの貴婦人レディ・サラ・アシュレイは、オーストラリアの領地を生計の足しに売却しようと旅立ったまま1年も帰ってこない夫を訪ねるため、ロンドンから初めてオーストラリアへ向かう。そして現地に到着すると、夫ではなく、ドローヴァー(牛追い)という名の無骨なカウボーイに出迎えられる。彼は、サラを領地“ファラウェイ・ダウンズ”へ問題なく送り届ければ、1500頭の牛を追う仕事を約束されていたのだった。初対面は共に印象が悪く、互いに反感を抱きながら領地への旅を続けるサラとドローヴァー。こうして、いよいよ領地へ辿り着くサラだったが、権力者の仕業で屋敷は荒れ果て、さらには衝撃の事実を知らされる羽目に。サラは、抵当に入れられた領地を守るため、1500頭の牛を遠く離れたダーウィンにいる軍へ売ることを決心するのだが…。」(allcinema.net/より。)

落ち目なのは洋画というよりハリウッド(アメリカ)作品なので、オーストラリアという新天地で全部作った作品。久々の秀作。見所がかなりある。おそらくは、この監督は「風と共に去りぬ」(1939年)に触発されているし、そのような作品でもある。この作品当時のオーストラリアは、同時代のアメリカ南部に近いし、レディ・サラ・アシュレイはスカーレット・オハラっぽい没落(しかけの)貴婦人。作品中、使われ、メインテーマっぽい「オズの魔法使い」(曲は「虹の向こうに」(Over the Rainbow))も1939年に公開。二人の関係も「風と共に去りぬ」の二人と似ているところがある。これに南北戦争を第二次世界大戦というより日本軍の攻撃に置き換えれば、攻撃の後で再会する二人とか、筋書きをパクッたというより、「風と共に去りぬ」的な作品にしたかったのだろうし、それに成功している。でもまあ、悲しいかな、今ではヴィヴィアン・リーとかクラーク・ゲーブルとかいったタイプの俳優は居ないので、その代わりといったら何だが、他の作品を蹴ってこれに主演したニコール・キッドマン。前半部分は、はっきり言って彼女が自分の魅力を自分のために作品に残すような魂胆が丸見えで、それと分かって観るなら面白い。ほとんど全てのシーンがニコール・キッドマンの「自画像」。これは彼女が監督に押し付けた出演の条件だろう。それを、おそらくは嫌々ながらも受け入れた監督の苦心が見られて、これも面白い。作品の構成自体もなかなかで、いわゆる見る視点が、作品が進行するにつれて代わったり戻ったりする。最初はアボリジニの男の子がキッドマンやヒュー・ジャックマンを見るという視点で、後半は後者二人が男の子を見るという視点に切り替わったりする。これがはっきり分かるので、各々の視点で何を描きたかったのかがよく分かる。作品中、人種差別とかのテーマはあるが、これはカモフラージュだろう。いまさら描くような事ではないし、見るテーマでも無い。ただしアボリジニの文化とかを描きたかったのなら、もう少しやりようがあったかもしれないが、アボリジニの男の子が主演っぽい所もあるので、余計だっただろう。結果的にはバランスが取れた。しかしいい作品ではあるにしても、好きな作品ではないにしても「風と共に去りぬ」とかに比べてしまうとインパクトが無い。しかしこれは作品というより時代的なものなのでしょうがないだろう。ニコール・キッドマンの演技力からすればヴィヴィアン・リーっぽい演技ができただろうが、敢てしていない。聡明な彼女のことだから、時代には勝てないということぐらい分かっていたのだろう。それで自分の自画像というのは、選択肢としてはこれ以外に無かったとも言える。スペクタクル的な見所としては、アトランタ炎上の代りの日本軍の空爆だが、これは史実ではないような記憶があるが、映画作品としての効果は十分。こういうシーンを入れる場合は、古くは「トラ!トラ!トラ!」、最近では「パール・ハーバー」から、そのまま借りてきてしまうパターンが多いが、本作品では後者を、作品の筋や設定と合うように特撮でアレンジした感じがある。というような事も含めて、この監督は手抜きをしないタイプで、好感が持てる。しかしこの作品は分類としたら「外国映画」になるのだろうか。「おくりびと」に外国映画賞をあげて小道具の無知さかげんを露呈したアカデミー賞選考委員会としては、本作品が「外国映画」じゃなくて胸を撫で下ろしているだろう。ついでながら牛の暴走シーンも「西部開拓史」からだろう。これもかなりな見所。


ヒアリング度:★★★★★(ただしニコール・キッドマンだけ)
感動度:★★★★
二度以上見たい度:★★★★
劇場で見たい度:★★★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★★★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:
ムカつく度:
考えさせられる度:★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)