サロゲート (2009)

2010-01-30 02:43:44 | Weblog
サロゲート (2009)
Surrogates

U.S. Release Date: 2009

■監督:ジョナサン・モストウ
■原作:ロバート・ヴェンディティ
■キャスト:ブルース・ウィリス/ラダ・ミッチェル/ロザムンド・パイク/ボリス・コジョー/ジェームズ・クロムウェル
■音楽:リチャード・マーヴィン
■字幕:戸田奈津子
■お勧め度:★★★(★)

 「ブルース・ウィリス主演で放つSFサスペンス。人間が各々の身代わりロボット“サロゲート”に日常生活の一切を任せるようになった近未来社会を舞台に、FBI捜査官がある殺人事件を機に浮き彫りとなっていく巨大な陰謀へ迫るさまをスリリングに描く。共演は「サイレントヒル」のラダ・ミッチェル、「007/ダイ・アナザー・デイ」のロザムンド・パイク。監督は「ターミネーター3」のジョナサン・モストウ。
 人間の身代わりロボット“サロゲート”が普及し、その常用が不可欠となった近未来。人間は外出せず、サロゲートとの媒介となるスティムチェアーから遠隔操作することで、実生活の全てをサロゲートに委ねていた。一方でサロゲート排斥運動を指導する予言者ら反対派による独立区も生まれる中、サロゲートの採用で犯罪や伝染病、人種差別が激減し、人類は理想的な社会を実現したのだった。だがある時、ほぼ完璧に安全なはずのこの社会で殺人事件が発生する。2体のサロゲートが破壊されただけでなく、持ち主までが変死していたのだ。事件を担当するのは、FBI捜査官トム・グリアーとジェニファー・ピータース。彼らもまた自分たちのサロゲートを駆使し、捜査にあたる。するとグリアーはやがて、犯人が隠し持っていた武器から、事件とサロゲートの最大手メーカー、VSI社との関連性を突き止めるのだが…。」(allcinema.net/より。)

前半のサロゲートと本体殺人事件の部分がミステリー調で少し飽きるものの、色々とテーマがあって面白い。「面白い」というのはブラックなユーモアも含めて。

サロゲートというのは、一人の本体(人間)が何体でも作れて操作できる。作品では全ての人間が人間サロゲートを作って操作しているが、何も人間じゃなくても構わないのじゃないだろうか。極端な話し、人間嫌いな場合は、たとえば鳥になって大空を飛びたい、人間並みの感覚を持った飛行機になりたい。ゲーム好きだったらモンスターとか。それとは別に社会生活用のサロゲートを使うことも出来る。サロゲート中毒、依存症というけれど、全ての人間が人間サロゲートを作って操作するという事は、人間や社会中毒、依存症とも言える。この点を追求してみたら、ちょっとしたコメディー作品になっていただろうし、本筋がマジなだけに、付け足し的な面白さがあったかもしれない。一番、近いのはデブ男が美女サロゲートを使うぐらい。ブルース・ウィリスのカツラは全く似合ってなくて面白い。

サロゲートを使えるようになったら、どういう人間になりたいかというのもテーマだろう。当然ながら美男、美女。ただしサロゲートは人間の俳優がメイクで演じているわけなので、願望がそのまま滑稽さとなって表れていて笑える。その結果として本体にどのような影響を与えるかというのもテーマだろう。サロゲート依存症で本体が精神的に破滅とか。この問題に気付いた主人公がサロゲート使用に疑問を抱き、サロゲート開発者の思惑と、ある意味で一致するという筋は納得がいく。ただしサロゲート使用が既存の事実となっている社会で、しかもサロゲート無しでは成り立たない社会になっている事を考えると、ラストはちょっと手抜きっぽい。

「アバター」と違ってサロゲートの遠隔操作は、かなり信憑性があるかもしれない。脳医学、実際は「脳医科学」というのかもしれないが、脳から出る信号を感知して、それでサロゲートを操作するというのは、人間ロボットは無理にしても、簡単な作業なら今でも出来るのじゃないか。医学は全く分からないが、脳が感知できるような信号を出していて、それを受信することが出来るような事を読んだことがある。この技術がさらに発展すれば、ロボットは無理にしても、体の一部ぐらいは操作できるのじゃないだろうか。これは身体障害者の場合は朗報だろうし、そうでなくても危険な作業をする場合に手だけ人工の物を操作できれば現実的にも役立つだろう。その延長線上に作品を作ったというのは説得力があるし面白い。ただし筋書きがちょっとおそまつな感じがするが。単なる復讐劇。

一番、問題というかテーマは、人間関係をサロゲートでやった場合、はたして人間関係が成り立つのか。デブ男が美女サロゲートを使うというのは極端な例にしても、サロゲート依存症の人間は、まともに外出して町を歩くことも出来ない。人間としての機能を失いつつある。サロゲートの使い別けも含めて、そうした状況で人間関係、社会関係が成り立つだろうか。成り立たないというのが作品の結論でもある。この点は、特に主人公とその妻との関係で良く描かれている。前半の飽きっぽい部分を我慢すれば、洋画にしてはかなり出来のいい作品だろう。

ヒアリング度:★★
感動度:★★★
二度以上見たい度:★
劇場で見たい度:★★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

今度は愛妻家 (2009)

2010-01-23 03:49:30 | Weblog
今度は愛妻家 (2009)

U.S. Release Date:

■監督:行定勲
■原作:中谷まゆみ
■キャスト:豊川悦司/薬師丸ひろ子/石橋蓮司/濱田岳/水川あさみ
■音楽:主題歌:井上陽水『赤い目のクラウン』
■字幕:
■お勧め度:★★★(★)

 「脚本家・中谷まゆみ原作の同名舞台劇を豊川悦司、薬師丸ひろ子主演で映画化した感動の夫婦愛ドラマ。ぐうたらなダメ夫が結婚10年になる妻との結婚生活にうっとうしさを感じながらも、いつしかごく当たり前の日常の幸せをかみしめていく姿を、コミカルな演出を織り交ぜつつしみじみとしたタッチで綴る。監督は「北の零年」「遠くの空に消えた」の行定勲。
 かつては売れっ子カメラマンだった北見俊介だが、今は写真も撮らずにダラダラと呑気な毎日を送っている。一方、健康オタクの妻さくらは、そんな夫に文句を言いながらもかいがいしく世話を焼く日々。しかしあるとき俊介は、友だちと箱根旅行に行く直前のさくらに“子どもを作る気がないなら、別れて”と切り出される。その場はごまかしたものの、さくらと入れ代わりでやって来た女優志願の蘭子といいムードになったところに、たまたま引き返してきたさくらが現われ、いよいよ愛想を尽かされる。その後、旅行に行ったさくらはなかなか戻らず、最初こそ独身生活気分を満喫していた俊介だったが…。」(allcinema.net/より。)

難しい。上の解説はイントロだけ。

前半、思うのは、なぜ夫がぐうたら生活しているか。これの種明かしが後半。ネタバラさないと何も書けないのでバラすと、妻は1年前に交通事故死。自分でも分からないほど妻を愛していた夫はその事で生き甲斐を失いぐうたら生活。その彼に死んだ妻が亡霊のごとく付きまとう。という意味での夫婦愛を描いた作品。もうひとつ難しくしているのは、前半はテレビドラマ風ながら、ネタバレ以降は、原作の舞台劇を再現したものになっている。むしろ作品を見せるというより舞台劇を再現することに重点が置かれている。舞台劇を観たことが無かったらこの部分は分からないだろう。分かっていれば、かなり上手く再現しているし見応えある。特に石橋蓮司のオカマの描き方は映画というより舞台劇のそれ。映画の良さ、利点も取り入れている。

テーマ的にも難しい。夫婦愛を描いたといっても、破局寸前の状態ながら、実は夫の方は妻に依存(症)している。甘えていると言ってもいい。言っていることとは裏腹に。しかし依存(症)にしても甘えにしても悪い事ではないし、夫婦愛の一面として見ることが出来る。おそらく原作者が描きたかったのは、こうした意味での夫婦愛の複雑さかもしれない。同棲だけでバツ歴なしなので、あまりよく分からないが。それでも作品のテーマは良く分かる。原作の出来の良さだろう。妻が死んだという事実を受け入れられないほど愛していた夫としては、今でも妻が身近にいるように感じられ、それを現実に妻を登場させて描いている。ここらへんがちょっと妖怪ものっぽい所があって面白い。往年の角川作品で「華麗なる」デビューを飾った薬師丸ひろ子は当り役。(「野性の証明」(1978年)、「セーラー服と機関銃」(1981年))

夫婦の描き方が日本風でもある。「I Love You」を連発しないと即、離婚とかの欧米風に比べて、言っている事とは裏腹な愛情や甘え。ただし作品では、そうした夫婦愛が成り立つのか、これも問うているしテーマでもあるだろし、限界まで追求しているように思われる。「俺の健康なんて君には関係ないだろう」とかいう台詞がそれで、これを妻がどう受け止めるか。この点は最後まで分からない。夫婦の愛情を描いた作品であることは確かにしても、舞台劇をベースにしたサスペンス、ミステリー作品でもあるだろう。この3点、全てに成功している。しかし観るのだったら、ある程度、内容を知っていないと、内容に振り回されることになるかもしれない。特に後半は舞台劇の再現であること。もっとも、良くというか細かに見るタイプなら、妻が1年前に死んだ事は分かるかもしれないが(登場人物をよく見れば)。

ヒアリング度:
感動度:★★★★
二度以上見たい度:★★★
劇場で見たい度:★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

のだめカンタービレ 最終楽章 前編 (2009)

2010-01-16 02:41:17 | Weblog
のだめカンタービレ 最終楽章 前編 (2009)

U.S. Release Date:

■監督:武内英樹
■原作:二ノ宮知子
■キャスト:玉木宏/上野樹里/瑛太/水川あさみ/(三國連太郎)
■音楽:のだめオーケストラ
■字幕:
■お勧め度:★★★

 「二ノ宮知子の同名人気漫画を上野樹里、玉木宏主演でテレビドラマ化し、大ヒットとともにクラシック・ブームも巻き起こした「のだめカンタービレ」を銀幕に昇華、新たなキャストも加わりクライマックスへと突き進む劇場版2部作の前編。ピアノに非凡な才能をみせるエキセントリックな野田恵(通称のだめ)と指揮者を目指すエリート音大生・千秋真一の恋の行方を軸に、おなじみの個性豊かな面々とのコミカルな掛け合いが繰り広げられていく。監督はTV版の演出も手掛けた武内英樹。
 プラティニ国際音楽コンクールでみごと優勝に輝いた千秋は、かつてシュトレーゼマンも指揮を務めた“ルー・マルレ・オーケストラ”の常任指揮者となる。しかし、マルレ・オケを偵察した千秋は、まるで覇気のないオケの現状に愕然。近年資金不足のためにリハもままならず多くの団員が辞め、集客率も低下しているという、老舗のオケとは思えない散々な有様だった。一方、コンセルヴァトワール(音楽学校)の進級試験を控え、練習に励むのだめ。ある日、指揮者となった千秋から、定期公演でのチェレスタの演奏を頼まれ有頂天に。ところが、ひょんなことからその大役は孫Ruiのものに。落胆しながらも千秋を気遣い健気に振る舞うのだめ。そしてマルレ・オケは、準備不足のまま、ついに公演の日を迎えてしまう。」(allcinema.net/より。)

テレビドラマとしてヒットしたのは分かるが、果たして映画化するような作品だろうか。映画作品として見た場合、中途半端な感じがする。軽いギャグは面白いものの、どちらかと言うとマジな作品だろう。この軽さと「どちらかと言うと」という点で中途半端。テレビドラマは見てないので分からないが、全編、クラシックで解説付き。今までクラシック音楽を聴いたことが無い場合は圧倒されるかもしれないが、聴き慣れているとはっきり言って苦痛。好きでもない曲を延々と、それも脈略なしに。それにこれは言ってもしょうがないが、クラシックとかのマイクロフォン無しで生で聴くものというのは、録音したり劇場のに限らずアンプで増幅すると、原音とはまったく違うものになってしまう。この作品を観てクラシックはこういうものだと思ったりしたら大間違いになる。特に弦楽器の生の音は、とても優しい。聴き慣れていても寝てしまう。アンプで増幅すると、逆になってしまう。それに省略形が多用されているが、「コンマス」で分かるのか?コンサート・マスターと一度でも言った記憶が無い。それにコンサート・マスターの立場とか役割について明確な説明が無い。にも係わらず、本作での「コンマス」は千秋真一(玉木宏)が没落オーケストラを立て直すのに重要な役割を演じているし、彼の考え方というのが、クラシック音楽の神髄に迫っている。もっともこの点を入れたら、作品としてはアンバランスになっただろうから、省略したのかもしれないが。しかしこの点を省いたら、クラシック音楽、あるいはオーケストラというのがどういうものなのか分からないだろう。指揮者というのは雇われの身で、1年か2年で交替する場合が多いし複数いる。これに対してコンサート・マスターは永年で、地位としては楽団のリーダーに当たる。「ルー・マルレ・オーケストラ」のコンサート・マスターは、楽団の最盛期を知っていて、それの再建が夢。最初は否定的ながら、千秋真一に指揮者としての才能を見い出し、実質的には補佐役になり成功へと導く。こうした事をテーマとして描くなり強調しないと、クラシックやオーケストラのことは分からないだろう。それに前編ということで、千秋真一に取り残されて落ち込む「のだめ」という所で終わっている。後編では「のだめ」が復活するのだろうが、この点もギャグとマジな部分が中途半端な感じがする。ついでに言うと主演クラスが若いのに対して助演にベテランを使い過ぎた感じがする。竹中直人や伊武雅刀はどうでもいいながら、「のだめ」のコンセルヴァトワール(音楽学校)の先生の声は三國連太郎だろう。この先生と声が一番、目立つし存在感がある。これも中途半端な構成。テレビドラマの劇場版を見たいならいいが、そうでない場合は、クラシック音楽を知りたかったら見ない方がいいような作品。でもまあ、映画を作るというのは需要があっての事だから、こういう作品があってもいいのかもしれない。小道具とかもちゃんとしているし。製作はフジテレビ。


ヒアリング度:
感動度:★★
二度以上見たい度:
劇場で見たい度:★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★★
ムカつく度:★
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

アバター Avatar (2009)

2010-01-09 11:04:21 | Weblog
アバター Avatar (2009)

U.S. Release Date: 2009

■監督/製作:ジェームズ・キャメロン
■キャスト:サム・ワーシントン/シガーニー・ウィーヴァー/ゾーイ・サルダナ/スティーヴン・ラング他
■音楽:ジェームズ・ホーナー
■字幕:戸田奈津子
■お勧め度:★★★

 「「ターミネーター」「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督が、自らも長年にわたって開発に関わってきた3D技術をはじめ最先端の映像テクノロジーを存分に駆使し、満を持して放つSFアクション超大作。異星人が暮らす美しい星を舞台に、資源を求めて侵攻する人類の一員として、自らに課せられた特別な任務と先住民との間で板挟みとなり苦悩する一人の青年の運命を、圧倒的なスケールと3Dならではの迫力の臨場感で描き出していく。主演は「ターミネーター4」のサム・ワーシントン、共演にゾーイ・サルダナ、シガーニー・ウィーヴァー。
 戦争で負傷し下半身不随となり車いす生活を余儀なくされた元海兵隊員のジェイク。ある時、彼は“アバター・プロジェクト”にスカウトされる。それは、地球から遥か彼方の衛星パンドラで、莫大な利益をもたらす希少な鉱物を採掘するための事業。そのために、人間に有害なパンドラの環境で活動できるよう先住民ナヴィと人間のDNAを掛け合わせた肉体“アバター”が造られていた。そしてジェイクに課せられた任務は、そのアバターに意識をリンクさせ、遠隔操縦によりパンドラで生活し、ナヴィ族との交流を図ること。アバターを介してついに身体の自由を得たジェイクは、さっそく神秘的なパンドラの森へと足を踏み入れ、やがてナヴィ族の美しい女性ネイティリと運命的な出会いを果たすのだが…。」(allcinema.net/より。)

観たのは2D版なのでなんとも言えないが、見るだけの作品。ジェームズ・キャメロン監督としては内容が無さすぎるだろう。貴重な鉱物を求めて異星を侵略する人類、原住民との出会い、恋、戦い。それだけ。ジェイク・サリー(サム・ワーシントン)はいいにしても、海兵隊の一兵卒。任務を放棄して原住民のネイティリ(ゾーイ・サルダナ、ただし可哀想に素顔は無し)と恋に落ちるのは普通だろう。内容を求めるなら、せめて工作員役にでもしておけば、もっと人間的な葛藤があっただろう。結果的には鬼大佐(スティーヴン・ラング、これはいい)の言うままに原住民に接触して、成り行きまかせ的に恋に落ち、なぜか「選ばれし者」として原住民を助ける。これだけでは内容なしの見るだけの作品。見所があるとしたら、日本のアニメとゲームそのまま/丸出しのグラフィックス。安物(廉価版)ガンダム/パンツアーは面白いというか笑える。良く言えば全体的にグラフィックスが本物っぽいが、パターン化しているとも言える。スペクタクル物とは縁遠い場合は見る価値はあるだろうが、最近の特撮技術に慣れていれば、特に見る価値は無いだろう。強いて言えば人物描写がいい。一兵卒の海兵隊だから経験できるマンネリ的なイベント、科学者役のシガーニー・ウィーヴァーも、人物としては、まあまあ。「エイリアン」や「ゴーストバスターズ」とかの極端というか変な役に比べると、まとも。一番、目立つ。ファンは楽しめるかもしれない。英語の発音が綺麗だし。それ以外はちょっと。

とどのつまりはネタ切れ。筋書きから登場人物/キャラからグラフィックスまで、日本のアニメとゲームのぱくり。「選ばれし者」ジェイク・サリーが乗ることになる竜はPS2「DRAG-ON DRAGOON/ドラッグオンドラグーン1&2」で「契約」で結ばれた「赤き竜」。分からないのは「アバター」をどうやって「遠隔操縦」するのか。アバターというのは人間と原住民をかけ合わせて作った生き物という事になっている。それが操縦者とは別の本体。じゃ、本体はどうなっているのか。作品では3体、登場するが、脳死状態か?だとすると脳死状態の本体をどうやって遠隔操縦できる?脳死状態だったら操縦しても機能しないだろう。パンドラ星の住民は生命を復活させるという能力を持っている。だったら下半身不随のジェイクを直して、その上で原住民のヒーローにした方が話しがまともだっただろう。アバターは操縦者が寝ている時だけ活動できる。アバターが寝ると人間に戻る。原住民女性のネイティリが惚れたのはアバター状態のジェイクで、その本体は最後まで知らない。ラストで知ることになるが、どやって?声で分かるだろうが、この時のジェイクは意識を失っている。筋書き的にも破綻している。

それにいまさら環境破壊問題を描いても、なんの意味も無いだろう。パンドラ星の神秘性への願望で補っているに過ぎない。逆に言えば自然環境の神秘性を描いただけの作品。でもまあ、見るだけなら価値のある作品だろう、上映時間の長さとグラフィックスだけでも。ただしゲーム好きなら。日本産のゲームを散々やった上で、その実写版を見るという楽しみ方で。


ヒアリング度:★★★
感動度:★★★
二度以上見たい度:★★★★
劇場で見たい度:★★★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★
ムカつく度:★
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

釣りバカ日誌20 ファイナル (2009)

2010-01-02 02:48:02 | Weblog
釣りバカ日誌20 ファイナル (2009)

U.S. Release Date:

■監督:朝原雄三
■キャスト:西田敏行/三國連太郎/浅田美代子/松坂慶子/吹石一恵/奈良岡朋子
■音楽:信田かずお
■字幕:
■お勧め度:★★★★

 「1988年にスタート以来、西田敏行と三國連太郎扮するハマちゃん&スーさんコンビが繰り広げる愉快なハートフル・ストーリーを描き続けてきた国民的人気シリーズの完結編。シリーズ初となる北海道を舞台に、これが見納めとなるハマちゃん&スーさん最後の大活躍を描く。ゲストには、松坂慶子、吹石一恵、塚本高史。監督は「釣りバカ日誌14」からメガフォンをとり続けてきた朝原雄三。
 世界を襲う未曾有の経済危機は一流ゼネコン・鈴木建設にも暗い影を落としていた。会長の鈴木一之助は、業績が回復するまで無期限で給料を全額返還することを決断する。その噂は瞬く間に広まり、さすがのお気楽伝助も一之助の力になりたいと奮起、お得意の釣り人脈から思いがけない大型受注を取りつけることに成功してしまう。晴れて“会長賞”のご褒美として“釣り休暇”をもらった伝助は、一之助と一緒に北海道で渓流釣りを楽しむことに。ところが一之助のほうには、北海道にやって来た目的がもう一つあったのだが…。」(allcinema.net/より。)

表面的ではあっても、その時々の世相、時代観を描いた本シリーズが終わるのは寂しい。1988年というと、まだ釣りは始めてなかったし、西田敏行のおバカな深夜放送を聞いていた事もあって、本シリーズには全く興味は無かったし無視していたが、第何作か、小林稔侍と風吹ジュンの編がちょっと面白くて、それから観だしたかもしれない。はっきり言って、これ以外、特に面白い編は無かったが、それでも、こういう楽しいシリーズが終わるのは寂しい。「先代」がそうだったように、どっちかが死ぬまで続けて欲しかった。本作ではハマちゃんが最後の力を振り絞ってメートル級のイトウを釣り上げるのじゃなくて単に引っ張るだけだが、サイズの問題は二の次でいい。こうした作品自体がなくなるのが、むしろ二人の問題というより経済問題か。特に最近では邦画の質が上がって、面白半分な作品は作れないという事もあるかもしれない。しかしこれはこれで問題じゃないか。ヘビーな作品ばかりだと疲れる。邦画の傾向がいい意味でも悪い意味でも上昇している今では、ほんとにこのシリーズの終わりは寂しいものがある。

松坂慶子は「釣りバカ」は初出演なのだろうか。松竹としては看板女優を最後に取っておいたか。老いたとはいえ、さすが大(根)女優の貫禄十分で、本作では(イトウと)松坂慶子が最大の見所だろう。はっきり言って洋物の大女優と張り合えるのは松坂慶子だけだろう。スーさんの親友が残した娘で料亭の女将役。大物女優がいないというのが邦画の弱点。女優を育てるというのは、素材に加えて、幅広い作品に出す必要があるのかもしれない。観た作品では「夜の診察室」(1971年)というポルノっぽいものから「青春の門」(1981年)というマジなやつ、「蒲田行進曲」(1982年)、「上海バンスキング」(1984年)はミュージカル、「女咲かせます」(1987年)はたしか女スリ、「グッバイ・ママ」(1991年)は、たしか結婚したてで母親役、「新・居酒屋ゆうれい」(1996年)で二枚目と三枚目の二役、「毛利元就」(1997年、NHK大河ドラマ)で三枚目に開花。結構、観てると思って作品リストを見てみたら半分ぐらいしか観てない。しかしこれだけ出ていたら育てるというより天性の素質かもしれない。歌も上手いというより面白い、宇崎竜童に曲を任せるというような勘違いも含めて。松坂慶子には子供の頃から妙な親近感があって、他人のような気がしないという時代があって、女優としては興味なかったが、萩原欽一だったかのバラエティーものに出た時が一番、印象に残ってたりする。当時はいわゆる美人女優ぶってたが、「新・居酒屋ゆうれい」と「毛利元就」で三枚目をやって、これがきっかけで観るようになったかもしれない。「釣りバカ」とは関係無い話ながら、これもやはり時代観だろう。というような松坂慶子に加えて、本作はシリーズでもかなり映画っぽい作品になっている。スーさんが死にかけて、三途の川に来る場面はかなり見所。4人編成のコーラスグループがかなりエグ/エロいし、死人の会話もかなり面白いものがある。現実の世相を離れて遊びっぽい部分を入れたのは良かった。「ファイナル」の名に恥じない出来だろう。


ヒアリング度:
感動度:★★★★
二度以上見たい度:★★★★
劇場で見たい度:★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)