トロピック・サンダー/史上最低の作戦(品) Tropic Thunder

2008-11-29 10:59:24 | Weblog
トロピック・サンダー/史上最低の作戦(品) Tropic Thunder

U.S. Release Date: 2008

■監督/製作/主演:ベン・スティラー
■キャスト:ベン・スティラー/ロバート・ダウニー・Jr/ジャック・ブラック/ブランドン・T・ジャクソン/ニック・ノルティ/トム・クルーズ
■音楽:セオドア・シャピロ
■字幕:松崎広幸
■お勧め度:★

 「「ナイト ミュージアム」のベン・スティラーが監督・主演を務め、様々な戦争映画のパロディーを織り交ぜながらハリウッド映画製作の舞台裏を皮肉ったアクション・コメディ。大作戦争映画の撮影で、本物の戦場に送り込まれたと気付かずに演技を続けていくワガママで超個性的な3人のスター俳優のハチャメチャぶりを描く。共演は「スクール・オブ・ロック」のジャック・ブラックと「アイアンマン」のロバート・ダウニー・Jr。
 ベトナム戦争で英雄的な活躍をしたというアメリカ人兵士テイバックのベトナム戦争回顧録“トロピック・サンダー”が映画化されることになった。そして撮影現場には、この作品でスターへの返り咲きを図る落ち目のアクション俳優タグ・スピードマン、オナラ以外にも芸域を広げようと意気込むコメディアンのジェフ・ポートノイ、黒人の軍曹に成りきるため手術で皮膚を黒くしてしまったオーストラリアの過剰な演技派カーク・ラザラス、といったクセ者俳優たちが集結。こうして、いよいよ撮影が始まるが、俳優たちのワガママなどで僅か5日間にして予算オーバーとなってしまう。そこで困り果てた監督のデミアンは、テイバックの助言により、東南アジアのジャングルで撮影を再開することに。何も知らされず台本通りジャングルを徘徊する俳優たち。しかし、そこは凶悪な麻薬組織が支配する本物の戦場だった…。」(allcinema.net/より。)

「ナイト・ミュージアム」は面白そうだったが、吹替版しかやってなかったので観なかった。観ないでよかったかもしれない。

パロディーになってないだろうが、ランボーの格好だけするなら。パロディーというのは、過去の作品が何か変だとか、逆に面白いとかいう理由があって、それがなぜ変なのか面白いのかという事を、違った形で表現するものだろう。たとえばランボーシリーズに関しては、チャーリー・シーンだったか(息子の方)が出た作品でランボーが殺した人数をカウント(カウンター)で表示していくなど、本来はマジな作品の一部を取って、それを皮肉ることがパロディーだろう。ところが本作品では、単にランボーの格好をするだけではなく、捕虜収容所に捕まるという筋書きまで単なるコピー。おまけに、「本物の戦場に送り込まれたと気付かずに」とあるが、ロバート・ダウニー・Jrは、これが本物の戦場だという事をほとんど最初から知っていて、知らないのは先走りする監督兼任のベン・スティラーだけ。コメディとして面白くしたかったら、最後まで誰も本物の戦場だと気付かずに、誰も知らないうちに、やっぱり「史上最低の作戦」になっていたとかいう筋書にした方が良かっただろう。それに麻薬組織のボス役の少年、なぜか中国語を喋る。これもどこからコピーしてきたか一目瞭然。唯一の見所(見えない所)としたらトム・クルーズがどの役で出ているのか、最後まで分からないという事だろう。これには伏線があって、キャストにトビー・マグワイア(スパイダーマン)が加わっているが、これは最初に流す主人公たちが過去に出演した作品の予告編に登場するだけのチョイ役で、本編には出ていない(多分)。トム・クルーズもこのパターンだと思っていたら、最初から出ていた。メイクと喋りを変えていたので分からない。最後の場面で彼らしいガキっぽい喋りが聞けたので分かったが、これが無かったら、まず分からないだろう。これをパロディーと言うならば、代役を使うだけでもパロディーと言える。それに、「アルパ・チーノ」役のブランドン・T・ジャクソンはゲイらしいが、ならばアル・パチーノはゲイなの?どっちでも構わないが、こういう舞台裏的なことは、分かるやつにしか分からないだろう。それに一見、お金がかかっていそうだが、ロケ地はハワイ。トム・クルーズのギャラ以外は、かなりな低コスト作品だろう。

強いて面白い部分を探すと、役者同士の会話で演技の仕方とか、なんとか賞を取る秘訣が語られるが、たとえばアカデミー賞を取るには、あまり役に、はまり込んではいけないという指摘があるが、ある意味ではそうなので、特にアカデミー賞の場合は取るための公式のようなものがあって、賞を取るという目的のために作品を作らないと取れないようになっていて、要はそれが出来るかどうかというのが監督や製作者の技量でもある。単に演技が優れていたという事だけでは取れないようになっている。という事は、同じ監督、製作者でも、賞を取ることが目的ではない作品を作った場合、結果は未知数の場合が多い。この事がある為に、「アカデミー賞、なんとかかんとか」という宣伝文句は、はなから無視しているわけで、これはアカデミー賞自体を否定するものではなくて、アカデミー賞に限らず、「賞」というものには取り方があるという事で、それが必ずしも作品の内容とは、一致していないという事がある。もちろんアカデミー賞、受賞作品と宣伝すれば、多くが観るわけで、その意味では観ておく価値はあるかもしれないが、つまらなかったからと言って文句を言うのは、あまり意味のある事ではないだろう。で、本作品では最後に裏アカデミー賞らしきものを取ることになるが、それの対抗馬がジョン・ヴォイトなのは何故?アンジェリーナ・ジョリー(実娘)は関係無いだろうし、若い頃の代表作の「真夜中のカー(ウ)ボーイ」の共演はダスティン・ホフマンだろう。たしかにダスティン・ホフマンとアル・パチーノは似ているところがあるが、パロディーを作るなら、分かるようにして欲しい。


ヒアリング度:★
感動度:
二度以上見たい度:
劇場で見たい度:
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:
ムカつく度:★★★★
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

フレフレ少女 2008

2008-11-24 04:35:13 | Weblog
フレフレ少女 2008

U.S. Release Date:

■監督:渡辺謙作
■キャスト:新垣結衣/永山絢斗/他
■音楽:上田禎
■字幕:
■お勧め度:★★★★★

 「「恋空」の新垣結衣が、ひょんなことから学ラン・ハチマキ姿の硬派な応援団長となったヒロインを演じる痛快青春ストーリー。野球部のエースに恋した勢いで廃部寸前の応援団に入部してしまった乙女な女子高生が、次第に応援団そのものに意味を見出し、仲間たちと共に成長していく姿をさわやかに感動的に描く。共演は永山絢斗、柄本時生、内藤剛志。監督は「となり町戦争」の渡辺謙作。
 高校2年の百山桃子は小説の中の恋に夢中な文学少女。そんな乙女な桃子がひょんなことから野球部のエース・大嶋に一目惚れしてしまう。しかし、恋のライバルもいっぱいでラブレターさえ渡せない桃子だったが、そんな時、たった一人で団の訓辞を叫ぶ応援団員・龍太郎の姿を目にする。桃子は応援団に入り、大嶋を見守ることを決意するが、龍太郎から最低5人いないと廃部になると告げられ、団員探しに奔走する。しかし、なんとか集めたものの、全員へなちょこばかり。行きがかり上、応援団長も任されてしまった桃子は、それでも気合い十分で野球部の試合へと向かうのだったが…。」(allcinema.net/より。)

解説には書いてないが、かなり質のいいギャグもある、まさに「痛快青春ストーリー」。「ひょんなこと」というのは、文学少女の百山桃子(そもそもこの名前自体、読めないか、読めれば舌を噛む)が恋愛小説を読みながら歩いていたら、大嶋君が投げたボールを側頭部にくらい、こけるというもので、硬式野球のボールを側頭部にくらったら、ただじゃ済まない、という事を無視して話しを続けるというクダリで、この作品のギャグは質がいいという事が、はなから分かる構成。期待どおり、ギャグも面白いし、へなちょこの応援団部員たちが、それぞれの方法で成長していく姿というのが、分かり易く描かれている。先週の「パコ」が対象年齢不明だったのに対し、本作品は子供から大人まで、それぞれの楽しみ方ができるように気を配った秀作手作りアナログ作品。

応援団というと、漫画やアニメでは硬派な部分が強調されるのではないかと思うが、本作品は応援団はそもそも何のためにあるのか、応援団がそれとして活躍するためには、どのような事が必要なのか、あるいはその精神は、とかを地道に掘り下げた作品でもある、マジな見方をすれば。これを部活のうちでも、比較的知名度が高いと思われる高校野球を選んで、練習試合から栃木県県大会決勝までを描き、この過程で、本校の応援団がいっぱしに成長していく姿を描くことで、上のことを分かり易く描いた。高校野球の試合を見に行ったことがあるかどうか分からないが、テレビで中継されるそれと、現場で見るそれとはかなり差がある。実際の試合では、最後に応援団がエールの交換をし、しめくくるが、テレビの中継だと、この部分は選手のインタビューとかで放映されない。しかし実際の試合では、このエールの交換の部分で、選手や応援に来た学生や人々の本音みたいなものが表れるので、試合を別にすると、一番の見所でもある。実際、当校の応援団は、へなちょこ時代、対戦相手の高校の応援団にエールの交換を断られる。これは当然のことで、応援団というのは、ただ居ればいいというようなものではなくて、試合をする選手たち以上に体と心を鍛え、かつ自分たちの存在がどういう意味を持っているのかという事に関して自覚が無いと勤まらない。こうした事も本作品では丹念に描いている。そしてそうした応援団部員になるには、なにも性格的に硬派な男というか男子生徒でなくても、本作のような「乙女」、あるいはヘナチョコ男でも、やればできるのだという事を描き、どちらかというと一面的なイメージの強い応援団の真の意味を描くことに成功している。

製作がテレビ局(朝日)というのも意味がある。高校野球の放映や報道の仕方の反省みたいなものが感じられ、なおかつこの製作者はスポーツ部だからかもしれないが、実際の球場とか試合の進行や段取りに詳しい。おそらくは高校野球ファンだろう。この点、イジメ目的で注目して見ていたが、ほとんどノーミス。決勝戦を見に来ていた観客は、おそらく本物だろう。実際の県大会で残っていた観客にエキストラを頼んだとか。座っている場所とか表情を見れば分かる。放映とか報道では選手ばかりだが、高校野球の面白さというのは、実際に球場に行って応援することで、これはチームの好き嫌いとは別の事でもある。たとえば(余談になるが)神奈川ではチームとして好きなのは、横浜高校とか桐光学園であっても、実際に応援に行きたくなるのは日大藤沢で、なぜかというと、チアリーダーの制服が日大という事以外にも、応援団がものすごく礼儀正しくて、PTAやOBとかの関係者以外の観客にも、試合が終わると一人一人回って、負けても勝っても「応援、有り難うございました!」と言って回る。こういうのって、たとえ単なるしきたりにしても素直に好感を持ってしまう。それで10年ぐらい前だか、日大藤沢が甲子園には行けても、どうしても横浜高校に勝てず、公式戦5連敗だかしていた時代があって、この頃はチームとして好きな横浜高校ではなくて、応援団が好きな日大藤沢の方の応援に行っていた。というような事を、この作品の製作者もやっていたのかもしれない。やっていたからこそ本作品のような、応援団映画を作ったと想像できる。好きこそ映画の始まりなり(?)。ごく稀に応援団(部)の無い学校があって、こういう場合は試合を見ていてもハテナマークの時がある。応援はまとまらないし、最後のエールの交換に答えられない。負けた相手がエールを贈っているのに、教師も含めて自分たちは無視して帰り支度。応援団というもの自体に色々と問題があるのかもしれないが、学校の方針にせよ何にせよ、他校と、一般生徒や親とかも交えた試合をする限り、無いならそれに代わるものがあるべきじゃないだろうか。

配役的にも面白い。一人だけ残った応援団員役の永山絢斗(この作品の若い出演者は全然、知らない)は、自分が団長にならずに桃子を団長にするが、自分の家族、家系は「副」が付く役職ばかりで、自分は団長の器ではないというもので、女であっても可能性を認め、サポートし、やがては二つ目ボタンということに。最初は小説ベースで惚れていたと思っていた相手ではなくて、真に自分のことを認めてくれる相手を知る桃子というような、マジな恋愛部分もあって楽しい。内容的には特撮やらは殆ど無い作品ながら、高校野球を現場で見ることの楽しさを知る上では、是非、映画館で観て欲しい作品。ちょうど映画館のスクリーンで球場とかの風景が原寸大になる。 


ヒアリング度:
感動度:★★★★★
二度以上見たい度:★★★★★
劇場で見たい度:★★★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★★★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

おくりびと 2008

2008-11-24 04:26:48 | Weblog
おくりびと  2008

U.S. Release Date:

■監督:滝田洋二郎
■キャスト:本木雅弘/広末涼子/山崎努/余貴美子/吉行和子
■音楽:久石譲
■字幕:
■お勧め度:★★★

 「本木雅弘が遺体を清め棺に納める“納棺師”を真摯かつ繊細に演じる感動のヒューマン・ドラマ。ひょんなことから納棺師となった主人公が、特殊な仕事に戸惑いながらも次第にその儀式に大きな意義を見出していく姿と、故人を見送る際に繰り広げられる様々な人間ドラマをユーモアを織り交ぜ丁寧な筆致で描き出す。共演は広末涼子、山崎努。監督は「木村家の人びと」「陰陽師」の滝田洋二郎。また、脚本には映画脚本は初挑戦となる売れっ子放送作家の小山薫堂が当たった。
 チェロ奏者の大悟は、所属していた楽団の突然の解散を機にチェロで食べていく道を諦め、妻を伴い、故郷の山形へ帰ることに。さっそく職探しを始めた大悟は、“旅のお手伝い”という求人広告を見て面接へと向かう。しかし旅行代理店だと思ったその会社の仕事は、“旅立ち”をお手伝いする“納棺師”というものだった。社長の佐々木に半ば強引に採用されてしまった大悟。世間の目も気になり、妻にも言い出せないまま、納棺師の見習いとして働き始める大悟だったが…。」(allcinema.net/より。)

なぜか本木雅弘演じる納棺師が仕事をするシーンで、やたら感動する。何故か分からないというのが無気味だが、元アイドルにしては一目置いている彼の演技力とでも無理矢理、理由づけたい。そもそも分からないのは、納棺師という立派な仕事ないし職業がこの国の「世間」では冷たく見られているらしいということで、その事が分からないために、作品のテーマ自体が個人的にはよく分からない。これには歴史的な背景とか、あるのだろうが、それを知らずに観ると、立派な職業に就いている青年が差別的な目で見られ、妻にも一度は実家に帰られ、自分の仕事として続けていくべきかどうか悩むなどといった筋書き自体が、どこか外国の世界の出来事のようで共感できない。それに実際に納棺師に仕事を依頼したことの無い者から見ると、本木クン演じる納棺師が、普通の納棺師より上なのかどうかも分からないし、依頼人に感謝されるシーンにしても、実感が湧かない。納棺師が作品で描かれるように特殊で変な仕事だとすると、たとえば検死官とか外科の医者とか、しょっちゅう死体、遺体を扱っている職業はどうなるのだろうか。同じように冷たく見られているとは思えない。作品では納棺師がなぜ冷たく見られているのかという歴史的な背景やらを完全に度外視してしまったが、これを描いてくれないと、作品のテーマは全くと言っていいほど分からない。ただ言えることはモックン演じる納棺師がかっこよくて、その仕事ぶりや姿を見るにつけ、依頼人がこの職業を見直すという事だけで、なぜ見直す必要があるのかということが抜けているために、作品自体が空中分解してしまっている。それにせっかく納棺師の仕事ぶりを、おそらくはかなり綿密に描いた一方で、他の部分、特に小道具の面でひどい手抜きがあって、アンバランスな感じがしてしまう。モックンは最初はオーケストラのチェロ奏者として描かれるが、これは一度でもオーケストラの演奏を観に行ったことがあれば分かると思うが、演奏者は演奏中に指揮者は基本的には見ない。それに山形に父親が残した音楽喫茶が二人の住まいとなるが、置いてあるレコードはクラシックであるにも関わらず、スピーカーはほんの数年前に発売されたものでジャズしか聴けないタイプのもの、一瞬だけ見えるヘッドシェルは、今でも買えるDJ用の物、ターンテーブル(レコードプレーヤー)の回転数は合ってない。どうでもいい事かもしれないが、仕事をしている時のモックンと家庭での妻との関係が作品の大きな部分を占めるので、この落差は手抜きとしか言いようが無い。おそらくは現存するジャズ喫茶を貸りて、レコードを数枚だけ入れ代えたのだろうが、テーマが地味なだけに小道具に凝ってくれないと、映画作品として観る価値はひどく低下する。テレビ局(本作品はTBS)がやりがちな手抜きというか無知で、今は滅びたグランド・キャバレーを、自分たちが通っているクラブと間違える、あるいは無知のゆえに混同するのと同じようなレベルの手抜きだろう。脚が綺麗なだけの広末涼子を別にすれば、モックンにしても山崎努にしても、納棺会社の事務員役の余貴美子(ヨ・キミコ)などがいい演技をしているし、モックンにいたってはちゃんとチェロを弾いているので、この手抜きはひどくかわいそうな感じがする。


ヒアリング度:
感動度:★★★
二度以上見たい度:★★★
劇場で見たい度:★★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★★
ムカつく度:★★★
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

ハッピーフライト 2008

2008-11-23 03:29:51 | Weblog
ハッピーフライト 2008

U.S. Release Date:

■監督/脚本:矢口史靖
■キャスト:田辺誠一/時任三郎/綾瀬はるか/寺島しのぶ/岸部一徳/他
■音楽:ミッキー吉野/フランク・シナトラ『カム・フライ・ウィズ・ミー』
■字幕:(欠落)
■お勧め度:★★★

 「「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」の矢口史靖監督が航空業界の舞台裏を題材に描くエンタテインメント・アンサンブル・ドラマ。飛行機1回のフライトに携わる多種多様なスタッフそれぞれにスポットを当て、空の安全を陰に日向に支える“空のプロフェッショナル”たちが織りなす様々な笑いと感動のエピソードを、ANA全面協力の下、リアルかつ臨場感いっぱいに描き出す。主演は「スクールデイズ」の田辺誠一、共演に時任三郎、綾瀬はるか。
 機長昇格を目指す副操縦士の鈴木和博は、いよいよ乗客を乗せた実機での最終訓練に挑もうとしていた。そんな彼が乗り込む飛行機は、ホノルル行き1980便。ただでさえ緊張しているところへ、試験教官が威圧感バリバリの原田教官に急遽変更となったことで、その緊張は早くも頂点に。一方、同じ便にはこれが国際線デビューとなる新人キャビンアテンダント、斎藤悦子の姿も。そんな中、空港カウンターではグランドスタッフの木村菜採が乗客のクレーム対応に追われ、さらに整備場でも若手整備士が離陸時刻に遅れまいと必死のメンテナンスを続けていた。他のすべてのスタッフもまた、1980便を定刻に離陸させ、ホノルルまで安全に運行できるよう、それぞれの持ち場で懸命に仕事をこなしていたのだが…。」(allcinema.net/より。)

最初の5分か10分で、これはヤバイと思ったら、そのノリで最後まで行ってしまった。題名とチラシに騙された。ANAの宣伝とは言わないまでも、「全面協力」というのは、「全部紹介」の事で、上にも書いてあるが、1)キャビンアテンダント、2)操縦士、3)グランドクルー、4)整備士、5)航空管制官、6)気象関係の部署を「公平」に描いた寄せ集め作品。これに航空機パニックを加えたマジコメディー(プラス美人(「ミス」ではなく)コンテスト)。キャスト的にも主演、助演とかの「差別」も無し。そうひどい作品ではないものの、絶対的に劇場で観る価値は無い。ANAさんがマジで「協力」してくれたのは分かるし好感が持てるが、素人じゃ分からない技術的な事が説明無しの連続技。「速度計が出ない」とか「エアブレーキで降下を止める」とか言ったって、普通は分からないだろう。大型旅客機のコックピットに居るパイロットには、自機の速度が、速度計が無いと分からないという説明すら無い。特に着陸する過程では、ゲームでシミュレーターを散々、やった経験でも無いと、何がどうなっているのか全く分からないだろう。それにヴォイスレコーダーの件で、パイロットの会話は重要な部分は全て「英語」なので、字幕が無いと分からないだろう。おかげでリアル感は出ているが、たとえば航空機が横風をくらったら、機首が風上にヒネられる理由が分からないと、そのリアル感すらも湧かないだろう。そしてこの部分が最後の見せ場になっているという、笑いたいのか怒りたいのかも分からない作品。せっかくここまでリアルに描くのだったら、ちょっとした図解を入れてくれても良かっただろう。それにある意味では超豪華キャストだが、上の1)から6)までを、すべからく公平に描くのに重点を置いたため、せっかくのキャストが殆ど死んでいる。キャラ的な面白さを追求したという意味では「コメディー」。しかし印象としては、ほとんど単なる美人コンテスト。1位、チーフパーサー役の寺島しのぶ。2位と3位は顔と名前が一致しないので(調べるのがめんどくさい)「匿名」、4位に綾瀬はるか。これは年齢と役者としての経験順でもあるので、なんらかの意図があった事は想像できる。これは本物だろうが、ANAの制服が一番、似合っているのが(大工事を敢行したと思われる)寺島しのぶで、女優として今まで観たうちでは最高に魅力的、というのが最大(唯一)の印象。

邦画に関して分からないのは、製作がほとんどテレビ会社で、どの局が作ったかで作品の出来をある程度、予測するというような癖すらついてしまっている。本作品にしても、フジテレビなので、ある程度、期待していたが、問題はそういう事ではなくて、今も存在している映画会社は何をやっているのだろうか。配給会社に鞍替えしてしまったのか。テレビドラマと映画では、作り方が、かなり違うだろう。本作品にしても、テレビドラマとして観れば、面白い方だが、うるさい事言って映画として評価したら、最低の部類に属すだろう。テーマは無いしキャストは出ているだけの演技無し、筋書きは単なる航空パニック物の出来損ない。おまけに見せ場は説明不足で分からない。ついでに字幕も無し。

それとリアルに描くというのはいいにしても、これはANAの宣伝的な作品なのでしょうがないにしても、今の大型旅客機をいくら撮っても、映画作品に求めるような美は描けないという事を考えなかったのだろうか。キャビンは、どうリアルに描いてもセットの域を出ないし、そもそもジャンボ機に限らず現代の民間商用機というのは、機能だけで美やその他、余計と思われる事は何も追求していない。それがあるから、たとえば宮崎駿の描く航空機がどの作品でも思いきりデフォルメされているわけで、リアルに描くこと自体になんらかの価値が有るとは言えないだろう。ちょっと古くなるが「ローレライ」(2005年)で今でも印象に残っている名シーンで、東京に原爆を落とすために離陸した直後のB29戦略爆撃機を機関砲だったかで撃ち落とすシーンがあるが、これにはB29自体が、その目的から威圧的なデザインだったこと、この後、この日本潜水艦は「消息不明」になる事など、ロマンがあったが、同じように羽田を飛び立つジャンボ機を見ても、撃ち落としてみたいというような願望すらも湧かない。理由はジャンボ機がそれに値しないダサいデザインだからというのが大きい。この事を巧く利用したのが、ジャンボ機の残骸だけを描いた「クライマーズ・ハイ」という事になる。あの作品では、実機を描くより、残骸だけを描いた方が、事の悲惨さを描けるという考えがあっただろう。なにかちょっと考えた後が感じられない作品。決してつまらなくはないが、劇場で公開するような作品ではないだろう。


ヒアリング度:★★★★★(パイロットの台詞が分かったら、英検2級は取れるだろう)
感動度:★★★
二度以上見たい度:★★★
劇場で見たい度:★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

レッドクリフ Part I  Chi bi

2008-11-14 06:14:41 | Weblog
レッドクリフ Part I  Chi bi

U.S. Release Date: 2008

■監督:ジョン・ウー
■製作国:アメリカ/中国/日本/台湾/韓国
■キャスト:トニー・レオン/金城武/ソン・ジア/リン・チーリン他
■音楽:岩代太郎
■字幕:戸田奈津子
■お勧め度:★★★★

 「「M:I-2」「フェイス/オフ」のジョン・ウー監督が、三国志の有名なエピソード“赤壁の戦い”を全2部作で描く歴史スペクタクル巨編の前編。出演は周瑜役にトニー・レオン、諸葛孔明役に金城武、そして周瑜の妻・小喬役にはこれが映画初出演のリン・チーリン。
 西暦208年。帝国を支配する曹操は、いよいよ劉備軍、孫権軍の征討に向け80万の大軍を率いて南下を開始した。最初の標的となった劉備軍はわずか2万。撤退が遅れ、曹操軍に追いつかれてしまい全滅の危機に。しかし、関羽と張飛の活躍でどうにか逃げ延びることに成功する。軍師の孔明は、劉備に敵軍である孫権との同盟を進言、自ら孫権のもとへと向かう。しかし、孫権軍では降伏論が大勢を占めており、孔明は若き皇帝孫権の説得に苦心する。そんな時、孔明は孫権軍の重臣・魯粛の導きで、孫権が兄と慕う司令官・周瑜と面会することに。最初は互いに警戒心を抱いていたものの、次第に2人は相手への尊敬と信頼を深めていく。」(allcinema.net/より。)

これ、「製作国」には書いてないけど、基本的には中国資本の香港映画だろう。テーマらしきもの一切無しの全編、バトルアクション巨編。ここまで来ると、文句のつけようも無い超娯楽大作。名前やら国名というか漢字がほとんど読めないので省くが、守る方の2国に10人ぐらい居る猛将たちが極めて個性的で、この頃は将軍が先に立って戦をしたのか知らないが、一人で10人、20人とかやっつけるシーンは痛快。余計なテーマの無いバトルアクション作品の面白さをふんだんに満喫できる。キャラ的にも面白い。笑えるシーンもかなりあって、代表的なのが「呉国」の君主の妹で、囁くだけで馬を倒し、人を気絶させる特技の持ち主。おてんば娘で戦にも参加する。呉国の将軍(トニー・レオン)の妻役のリン・チーリン(だと思う)よりは、はるかに目立つし面白い。トニー・レオンはいいが、ちょっと他の猛将たちと比べると、線が細いというか、むしろリン・チーリンの相手役に選ばれたというのが、監督の本音だろう。

「三国志」は読んでおいた方がいいと誰かに言われたが、機会が無くて、もたもたしているうちにKOEIの三国志シリーズに散々、懲りて、ほかしておいたが、原作はどうか知らないが、ここまで現代風にアレンジして、香港のアクション技術の集大成のような作品にすれば、文句無く面白い。これプラス資金源が(今や世界中が石油高で困っている中、唯一、石炭で富を蓄積している)中国がお金に糸目をつけない出資で作った作品である事は観れば分かるので、貧困というか物価高に喘ぐ我々一般人民としては、その理由というか原因を考えると、手放しで楽しめる。

最近のハリウッド系の歴史物が、たとえばアレキサンダー大王をホモにしてみたりと、無理矢理テーマを突っ込む傾向があるのに対して、歴史スペクタクル作品というのは、スペクタクルを見せるのが一番の目的であるはずなので、その意味では本作品は、それこそ「シネマ」(ワイドスクリーン)の原点でもある「西部開拓史」(1962年)に戻ったような所があって、この事を映画人たちに考え直して欲しい。見る作品と考える作品とを別にしても、観る方としては、別に文句を言うことは無いのだし。パートIIではどうなるのか、セットは既に作ってあるので、作品自体は完成しているのだろうが、やはり猛将たちが華々しく散っていくのだろうか。パートIのキャストからすると、かなり期待できそう。それと曹操国の君主が他の2国を討伐することにしたのは、絶世の美女(リン・チーリンのどこが?)と言われた呉国の将軍の妻、小喬を自分の物にしたいというのが動機になっているらしいが、こういうのも、これだけテーマ無しの作品では、かなりロマンを感じる。この点、曹操国の君主は、単なる悪者というような勧善懲悪的なパターンを少し脱している。暴君が何かを欲しいと思ったら、それだけで戦争をしかける動機になるわけだし、歴史的に見ても、これは事実だろう。ここらへんがパートIIではどうなるのか、興味がある所でもある。まあ、今のご時勢で贅沢しようと思ったら、中国作品を観るのが一番、手っ取り早いかもしれない、というのが一番の印象。この作品は絶対的に映画館の大スクリーンで観るのがお勧め。テレビでは見えないだろう。


ヒアリング度:
感動度:★★★
二度以上見たい度:★★★
劇場で見たい度:★★★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:
ムカつく度:
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

ICHI 2008

2008-11-08 06:14:21 | Weblog
ICHI 2008

U.S. Release Date:

■監督:曽利文彦
■キャスト:綾瀬はるか/大沢たかお/中村獅童/窪塚洋介/柄本明
■音楽:リサ・ジェラルド/主題歌:SunMin、『Will』
■字幕:
■お勧め度:★★★★

 「勝新太郎や北野武が演じて世界的にも人気を博した異色ヒーロー“座頭市”を、設定を女に変えて綾瀬はるか主演で映画化したアクション時代劇。自らの身を仕込み杖に隠した剣のみに頼り、孤高を貫き生きる女、市が男たちと繰り広げる壮絶な闘いと、初めて出会った運命の男との切ない恋の行方を描く。共演は大沢たかお、中村獅童。監督は「ピンポン」「ベクシル 2077 日本鎖国」の曽利文彦。
 市は瞽女(ごぜ)と呼ばれる盲目の女芸人。かつては他の仲間たちと一緒に旅をしていたが、ある時男に襲われた市は、男と関係してはならないという掟に従い一座を追われ、“離れ瞽女”となった。以来、三味線を手にたった一人で旅を続ける市。ある日、道中で市がチンピラに絡まれていると、一人の侍、十馬が止めに入る。しかし、十馬はなぜか刀を抜くことが出来ず、モタモタしている彼をよそに、市は仕込み杖から抜いた剣でチンピラたちを容赦なく切り捨てる。十馬は剣の腕はありがら幼いときのトラウマが原因で刀を抜けず、一方の市は居合いの手練だった。やがて2人は辿り着いた宿場町で、町を仕切る白河組2代目虎二と無法者を束ねて町を荒らす万鬼の激しい抗争に巻き込まれていく。そんな中、互いへの秘めたる想いを募らせていく市と十馬だったが…。」(allcinema.net/より。)

この作品は良くも悪くも綾瀬はるかに尽きる作品。悪く言えば彼女のプロモ作品だろうが、彼女はしかし若い(かどうか全く知らないが)わりには女優としてはかなり完成度も高いしこれからも有望な感じがする。これは監督や製作者の功もあるだろうが、細かな部分にかなり努力の後が見られ、単にアイドル女優のプロモ作品とも言えない。彼女が過去にどういうドラマに出ていたか知らないが、剣の使い方や立ち回りは様になっているし、特に仕込み杖を鞘に納める動作は並々ならぬ練習を重ねたのだろう。仕込み杖の場合は、鞘に納める時の持ち方が、鞘に対して順手になるので、普通の剣の場合のように親指でガイドするとかっこ悪くなる。それなしでちゃんと鞘に納めるというのは、ベテランの時代劇役者でも普通はできないか、やった事が無いだろう。それとこの子は、正面から見るとおそらくは面白系だろうが、どうも横顔美人のタイプで、作品では彼女の横顔の美しさをふんだんに強調している。強いて言うと志穂美悦子の若い頃のような鋭さもあり、本作品でシリアスな役に挑戦するにあたっては、この部分が功を奏した、と言っては彼女の立場がなくなるが、観る方としてはかなり引き付けられる。この事に関しては伏線みたいなものがあって、1シーンだけ、和服を着て三味線を弾く姿を正面から撮っているが、このシーンでの彼女の正面の顔と和服の着こなしを思いっきりダサく撮っている。これは意図的なコントラスト(ヤラセ)だろう。ついでにチラリズムも加えてくれたのは監督、製作者に感謝。

作品全体を見てもかなり出来のいい作品じゃないだろうか。設定的には地方の宿場町なのでスケールは大きくないが、それを分かった上で見れば話の筋もまとまっているし、市の心理もうまく描かれている。目が見えないから何を斬るか分からない、物事の境目が見えないといった初期の心理から、十馬に初めての恋をする事で物事の境目が見えるようになる、つまり自分が何のために生きているのか分かるようになる心理変化は、単に強いだけの、それこそ勝新太郎の座頭市シリーズには無かったことだし、つまらなかった理由でもある。キャスト的には十馬役の大沢たかおが、ほとんど綾瀬はるかの横顔を引き立たせるだけの存在だが、仇役の中村獅童が、ほとんど初めてと言っていいくらい、押さえた演技で作品にマッチしている。彼の場合は歌舞伎役者ということもあって(叔父=萬屋(中村)錦之介(子連れ狼))、放っとくとウザイ、臭い演技をしてしまうが、適度に押さえることで本来の持ち味が出せる。また歌舞伎役者ならではの一面というか技術を、最後の決戦シーンで見せてくれる。これは昔の時代劇役者なら誰でもできた事だが、剣を構えて動く場面で足先だけを動かして移動するというのが常道のはずで、彼以外にこれができた役者はちょっと記憶に無い。

最近の時代劇というのは、従来の時代劇っぽさを脱する事に重点を置く傾向があるように思うが、本作品でもこれは見られ、市が着ている「ボロ」にしても、見方によってはモダンアートだし、立ち回りは芸術性に重点を置いたことは明らか。もちろんこれには上に書いた綾瀬はるかの仕込み杖の納め方が大きく貢献しているわけで、その意味では作品を作るに当っての意図や工夫の後が十分に分かる作品。PG-12指定になっているが、これは1シーンだけ、どうでもいい女のヌードがあるのと、綾瀬はるかのチラリズムがあるだけなので、内容的には子供が見ても十分楽しめるし、おそらく内容も分かるファミリー作品だろう。これも実は勝新太郎の座頭市には無かったことで、当時は親が見ていたのを強制的に見せられてつまらなかったという記憶があって、その意味では勝新太郎の座頭市よりははるかに楽しめる作品だろう。という事は北野武の座頭市は、勝新太郎のリメイクの失敗版とも言えるが、ついでながら。さてこれで綾瀬はるかの「ハッピーフライト」を観る準備ができたので、どの洋画を犠牲にするか、これが今の悩みの種でもある。正直な話、今は平均で見ると邦画の方が出来がいいんじゃないだろうか。

付け足しながら、綾瀬はるか描く「市」というのは、幾つかの意味で男から見た理想の女っぽいところがあって、これは監督の趣味やら経験も半分は混ざっているかもしれないが、女の横顔というのは、自分から注意を逸らした時、他の物に興味を持った時に見る場合が多くて、そうした自分以外の物に興味を持っている女を見る時の女の横顔というのは、時として自分に興味を持って見る正面顔とは別の魅力を感じる時がある。それと目が見えない市というのは、もちろん世の中の汚い部分をほとんどと言っていいほど見て無いわけだから、たとえ本作品の市が散々、人を切り殺して自暴自棄であっても、心は純真と言える。もちろん十馬もそんな市に惚れたのだろうが、おそらくはこの作品を観る男の多くも同じ事を感じるのじゃないか。はたして綾瀬はるかはこういう事を分かって市を演じたかどうかは知らないが、もし知って演じたとすれば、そこらのベテラン大根女優よりははるかに将来性があるかもしれない。もっとも次は「ハッピーフライト」の予定なので、あまり期待しないようにしたいが。

P.S. アイラヴユー P.S. I Love You

2008-11-06 05:15:16 | Weblog
P.S. アイラヴユー P.S. I Love You

U.S. Release Date: 2007

■監督:リチャード・ラグラヴェネーズ
■原作:セシリア・アハーン
■キャスト:ヒラリー・スワンク/ジェラルド・バトラー/リサ・クドロー/ジーナ・ガーション/キャシー・ベイツ/ハリー・コニック・Jr
■音楽:ジョン・パウエル
■字幕:石田泰子
■お勧め度:★★★★

 「オスカー女優ヒラリー・スワンク主演で贈る感動ロマンス。原作はアイルランドの首相バーティ・アハーンの実娘としても話題となったセシリア・アハーンの処女作にして世界的ベストセラーの同名純愛小説。最愛の夫を失い悲しみに暮れるヒロインが、亡き夫から届いた10通の手紙に驚きと戸惑いを感じながらも勇気と希望を与えられ、新たな人生を見出していく姿を綴る。監督は「フリーダム・ライターズ」のリチャード・ラグラヴェネーズ。
 ニューヨーク。ホリーは陽気で情熱的なアイルランド人の夫ジェリーとつましくも幸せに暮らしていた。だがある日突然、ジェリーは脳腫瘍でこの世を去ってしまう。それから3週間、ホリーは悲しみのあまり電話にも出ず、引きこもり状態に。そんな彼女が30歳を迎えた日、家族や親友たちが誕生日のお祝いに駆けつける中、バースデイケーキとテープレコーダーが入った贈り物が届く。何とその差出人は、今は亡きジェリーだった。そしてテープには、明日から様々な形で届く手紙それぞれの内容に従って行動してほしい、とのメッセージが。思わぬプレゼントに喜びと驚きが交錯するものの、翌日から届いた手紙の指示に従って行動し始めるホリー。やがて、彼女は手紙の指示通り、親友たちと共にジェリーの故郷アイルランドを訪れるのだが…。」(allcinema.net/より。)

この作品の原作は面白かったかもしれないが、映画化するにあたり、いくつか無理というか無茶をしたような感じの作品。まず第一に、少なくとも映画を観る限り、ロマンス物というより、誰が夫からの手紙を送り続けたのかということが半分はミステリーで、半分は不明な状態になっていて、実は最後の最後になってミステリーだったという事が分かり、それもその人物が、おそらくは原作では分かるように書いてあっただろうが、映画という時間的にも限られたメディアで見ると、最後まで分からないという構成になってしまっている。たとえば同じ手紙を利用した恋愛ものの「イルマーレ」(キアヌ・リーヴス、サンドラ・ブロック)ではタイムトラベル調のSFだという事が最初から分かっているが、本作品では、手紙の送り主が実在の人物なのかそうでないのか、終わりまで見ないと分からない。この無理があるために、死んだ夫からの手紙どおりに行動するヒラリー・スワンクが、ある意味で空回りしてしまっている。もう一つの無理は、これは小説では面白かったかもしれないが、スワンク以外の人物描写に凝り、キャスト的にもいいものになっているが、最愛の夫が死んだという悲劇とは裏腹に、キャラの面白さが前面に出てしまっていて、ほとんどコメディに近い作品とも見れる。これはそれとして面白いし楽しめるものの、本題であるはずの夫を失った女がその夫からの手紙で立ち直る過程というのが、ボケてしまっている。結果としてこの事を台詞で喋らせるという苦しい手段をとるはめになった。極端に言うと、「セックス・アンド・ザ・シティ」の未亡人版ないし編。第三に、ヒラリー・スワンクを使った理由。彼女は芸で見せるというより迫力ときつさが持ち味の女優だろう。それをロマンス物に使ったというのが、そもそもの構成上の無理で、彼女を使うことで作品を単なるロマンス物ではなくて、夫婦関係を描いたもの、それもミステリー調の物語にしたかった、あるいはそうした印象を与えたかったのだろうが、この意図はちょっと無理だっただろう。結局のところ、印象に残るのは、それこそヒラリー・スワンクの他の女優には無い芯の強さとか迫力になってしまっている。だからと言ってつまらないとか失敗作だとかいうのではなく、構成に無理がある変な作品としてはかなり見ごたえがある、という変な感想を抱く作品。これプラス、小説ベースのせいか、台詞の面白さがあり、ミステリーが解明される段階では、キャシー・ベイツ(誰だか分からないように芸名だけ書く)の、夫婦関係に関してかなり意味深な台詞があり、この台詞を聞いてから、作品の意味やテーマを考えるというような、逆転現象を作ることに成功(失敗?)している。台詞が速いので字幕はあまり読めなかったが、これは原作者の趣味か観測だろうか、アメリカ人の本作品に出てくるミーハー女たちが好むタイプの男というのが、かなり面白く描かれているし、こういう女というのは実際は何を欲しているのかという質問に対して、「haven't a slightest idea」(すいません、字幕は上のような理由で読めなかった)というのは、女の本音だろう。というような、男が見ても面白い、楽しい部分がかなりあって、結末から本作品がミステリー作品であって、どちらかというと「セックス・アンド・ザ・シティ」風のコメディ作品だと思って観た方が後で悩まなくて済むだろう。音楽もかなり良くて、スワンクがカラオケバーのステージで死んだ夫への想いを切々と歌うなど、さりげないミュージカル風の場面もある(と思うと、直後、ケーブルにつまずいてコケて包帯だらけの「ミリオンダラー・ベイビー」状態というオチ)。ただしファンの方には悪いけど、最後の日本人の挿入歌、これは作品のムードぶち壊しで、英語風に書くと、「テメーのドタマぶっちぎってケツの穴に突っ込んでやる」と言いたい。しかしなんだかんだ言っても面白いし楽しい作品。細部に工夫も見られるし、出来の良さとしては一級だろう。願わくば台詞が分かればさらに。これの良さはとても字幕でも吹き替えでも再現できないだろう。おそらくはこの楽しさが分からなかったために、配給会社が勘違い的にタコ挿入歌を入れたのだろう。なんせこの歌、作品を無理矢理ラブストーリーにしてしまっている。オリジナルのエンディングテーマはなんだったのだろうか。選曲の良さからすると、これも一番の見所というか聞き所だったはず。OST的には唯一、ジョン・パウエルの「Kisses and Cake」か。ポップス、ソフトロック、ジャズ系のオリジナルの総決算的なエンディングテーマとしてはかなり良かったはず。