最後の忠臣蔵 (2010)

2010-12-26 17:24:16 | Weblog
最後の忠臣蔵 (2010)

U.S. Release Date:

■監督:杉田成道
■原作:池宮彰一郎 『最後の忠臣蔵』(角川文庫刊)
■キャスト:役所広司/佐藤浩市/桜庭ななみ/安田成美/片岡仁左衛門/伊武雅刀/笈田ヨシ/(風吹ジュン)
■音楽:加古隆
■字幕:
■お勧め度:★★(★)

 「『四十七人の刺客』の池宮彰一郎が忠臣蔵の後日譚を描いた同名時代小説を役所広司と佐藤浩市の主演で映画化。赤穂浪士の中にあって名誉の死を果たせなかった2人の男を主人公に、忠義を貫き私心を捨てて自らに課された使命を全うするべく生き抜いたその後の過酷な人生を明らかにしていく。共演は桜庭ななみ、安田成美、片岡仁左衛門。監督はTV「北の国から 」シリーズ、「優駿 ORACION」の杉田成道。
 赤穂浪士の討ち入りから16年。すでに、とうに終わった事件と思われていたが、四十七士の中にあってただ一人、切腹することなく生き延びた男がいた。その男、寺坂吉右衛門は、大石内蔵助より生き証人として討ち入りの真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助せよとの使命を受けていたのだ。遺族を捜して全国を渡り歩き、ついにその旅も終わりを迎えようとしていた。そんな時、彼は討ち入りの前夜に突如逃亡したかつての友、瀬尾孫左衛門と出会う。固い絆で結ばれていた2人は、主君内蔵助のために命を捧げようと誓い合ったはずだった。そんな吉右衛門の非難にも決して真相を語ろうとしない孫左衛門。しかし彼にもまた、裏切り者の汚名に耐えてでも生き延びなければならないある使命があった。それは、内蔵助の隠し子、可音を密かに育て上げるというものだった。その可音にも晴れて縁談話が持ち上がり、孫左衛門の使命もいよいよ終わりを迎えようとしていたが…。」(allcinema.net/より。)

武士やら侍の考え方がよく分からない。瀬尾孫左衛門(役所広司)は可音(桜庭ななみ)のことをどう思っていたのだろうか。16歳まで育てあげて、娘のように思っていた事は分かるが、同時に父親としての愛情も持っていたのじゃないだろうか。ネタバレながら、武士の運命として死んでしまっては、可音にとっては唯一の実質的な肉親を失うことになる。可音もそれが分かっていたにしても、死んでしまっては可音も悲しむだろう。父親としての愛情を持っていれば、むしろ生きて見守るのが普通じゃないか。それに彼の使命は可音を幸せにすることだったはず。嫁ついだといっても、必ずしも幸せになるとは限らない。本当に幸せになるまで、可音を見守るのが使命だったはず。要するに瀬尾孫左衛門は武士としての勝手な運命にしたがったような気がする。あるいは可音に対する愛情と武士の使命やら運命の板挟みが耐えられなかったか。16年、世話になった元吉原太夫の「ゆう」(安田成美)の恋心も捨てて。それに同じ武士である寺坂吉右衛門(佐藤浩市)は、全く死ぬ意志もない。同じ武士像を描くなら、矛盾じゃないか、個人差はあるにしても。原作に忠実に映画化したとすると、原作自体が駄作だろう。見所があるとすれば、「特別出演」ながら、ほとんど出ずっぱりの片岡仁左衛門(大石内蔵助)と安田成美だろう。後者に関しては元吉原太夫としての役としては半端な(大根、カワイ系)女優じゃ勤まらないだろう。安田成美は始めて見るが、適役。役所広司と佐藤浩市は、いいコンビ。佐藤浩市のまともな役を見るのは初めてのような気がするが、様になっている。しかし「四十七士」の裏話を書いたり映画化する事に意味があるのだろうか。単なる大石内蔵助のヨイショ物にすぎないような気がする。むしろ死にそこねた四十七士の縁者の困惑ぶりを描いた方が面白かったのじゃないか。もう一つ分からないのは四十七士の縁者である可音を、京都の豪商(笈田ヨシ)が受け入れるが、逆賊である大石内蔵助の娘をなぜ受け入れるのか。商人だとしても、当時は処罰対象じゃなかったのだろうか。それに可音が大石内蔵助の隠し子であることが分かる過程が回りくどい。役所広司ー>笈田ヨシー>伊武雅刀の繰り返し。もうちょっと劇的な感じで描いた方が面白かったのじゃないか。それに瀬尾孫左衛門と可音の微妙な関係を主に描いた方が、作品としては面白かったのじゃないだろうか。キャストがいいだけに、もったいない作品。


ヒアリング度:
感動度:★★
二度以上見たい度:★
劇場で見たい度:★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)