沈まぬ太陽 (2009)

2009-10-31 04:29:54 | Weblog
沈まぬ太陽 (2009)

U.S. Release Date:

■監督:若松節朗
■原作:山崎豊子
■キャスト:渡辺謙/三浦友和/松雪泰子/石坂浩二/鈴木京香/戸田恵梨香/木村多江/宇津井健/加藤剛
■音楽:住友紀人
■字幕:
■お勧め度:★★

 「『白い巨塔』『華麗なる一族』の人気作家・山崎豊子が綿密な取材の基に書き上げた渾身のベストセラー巨編を壮大なスケールで映画化した社会派ヒューマン・ドラマ。激動の昭和30年代から60年代を背景に、巨大組織に翻弄され、海外僻地への左遷や歴史的な航空事故、政界をも巻き込む会社再建といった波瀾の渦中に図らずも身を置いた主人公が不屈の信念で過酷な状況を克服しようともがく姿を通し、人間の尊厳とは何かを問いかけていく。主演は「硫黄島からの手紙」の渡辺謙。監督は「ホワイトアウト」の若松節朗。
 国民航空の労働組合委員長を務める恩地元。職場環境の改善を会社側へ訴えていた彼はやがて、海外赴任を命じられる。それはパキスタンやイラン、ケニアなど、まともな路線就航もない任地を転々とさせられるという、あからさまな懲罰的人事だった。だが、恩地は自らの信念を曲げることなく、長きに渡る海外勤務を全うしていく。一方、同じく組合員として共に闘った恩地の同期、行天四郎。彼はその後、本社での重要なポストと引き換えに会社側へ寝返り、エリートコースを歩みながら恩地と対立していくこととなる。こうして10年ののち、孤独と焦燥感に苛まれた海外転勤から、ようやく本社へ復帰を果たした恩地。しかし、会社側に苦境を強いられている組合の同志たちと同じく、恩地も不遇の日々を過ごすことに。そんな中、航空史上最大のジャンボ機墜落事故が起こる。恩地は遺族係に就き、未曾有の悲劇の数々に遭遇する。また、国民航空の建て直しを図るべく政府の要請で就任した新会長から会長室の室長に抜擢された恩地の前には、さらなる苦難の道のりが続くのだが…。」(allcinema.net/より。)

この作品はどれくらい原作に忠実に作ったのだろうか、これは分からない。という事を先に書いておかないと、原作者の批判ないし中傷になるので。

はっきり言って駄作。日本航空という会社に焦点を当てて、その60年代からの歴史を描き、ジャンボ機墜落事故をメインに持ってきたのは構成上はいいが、「白い巨塔」(田宮二郎版)もそうだったが「観」というものが完全に抜け落ちている。結果的には史実っぽいものを繋ぎ合わせただけのエセ・ドキュメンタリー作品。「観」とは歴史観、世界観、価値観、そして哲学といったようなもの。60年代から90年代を描くのであれば、少なくともなんらかの歴史観はあっていいはずだし無ければならないだろう。60年代から70年代の労働運動は戦前の名残りで、基本的にはマルクス主義とエセ・マルクス主義、ないし俗に言う共産主義が混ざったものがベースになっていた。これが80年代、90年代になると衰退し、労使協調の労働組合に取って代わられた。理由は革命ロシアのスターリン主義(独裁主義)、官僚主義的変質と堕落と中国の文化革命。後者は「共産主義」とは名ばかりの毛沢東の精神主義(マルクス主義は唯物主義)。これと労働行為ということに関する価値観の変化、公安による数件の謀略殺人とマスコミの寝返り(60年安保報道自主規制)。日本の労働組合と運動はこうして衰退した。こうした歴史の流れと歴史観を一切、描かずに一人の男の労働組合との係わりを描いても、なんの信憑性も説得力も無い。単に彼の「伝記」に過ぎない。恩地元(渡辺謙)がなぜここまで労働運動に固執したのか、あるいはその背景は全く描かれていないし分からない。もう一つは、この作家は一部のサラリーマン/給与所得者至上主義に堕ちいっている。「白い巨塔」もそうだったが、東大(架空)ないし日航というエリート組織しか眼中に無く、それらを支えた中小企業や個人事業者は一切、その存在すらも無視している。70年代の高度経済成長が主に労働組合の無い中小企業の努力の結晶だった事を忘れているか無視している。後者から見ると、アフリカに飛ばされてサファリで遊んで暮らして、それでも給料を貰っている恩地元なんてのは、極楽トンボでしかない。そいつがどんな苦難に追い込まれたとしても、何の同情の余地も無い。さらに、恩地は企業人としても失格だろう。日本に帰ってきてもジャンボ機墜落の遺族係りが心地よくて、その他の仕事からは逃げている。これは当然の事で、アフリカ等で現地の人々と親密な係わりを築いた彼としては、本社での駆け引きは苦痛でしかない。この作品が恩地の生き様を描いたものであるとするならば、本末転倒。テーマ的にも支離滅裂に近い。日航機事故の原因を隔壁破裂による垂直尾翼喪失と結論づけたようだが、その原因を修理ミスにし、その原因を日航の企業体質にしている。その体質改善のために首相から頼まれて抜擢された新会長(石坂浩二)は、首相命令で辞任。この問題、どうなったわけ?今も同じ?だったら乗らない方がいいだろう。フィクションなのかドキュメンタリーなのかも分からない。まあ、流行作家の作品の映画化作品としては、期待する方が間違っているのだろうが。しかしその欠点を補うのが映画化の使命じゃないか。製作者(角川映画、ただし春樹ではない、と東宝)の力不足が感じられる。結果的には見所はキャストのみ。というより原作の欠陥と力不足をキャストで誤魔化している。まあ、悪口はこれくらいにして、と言っても見所はほとんど無いが。こういう場合は個人的な趣味に走るしかない。三浦友和はヒドい。こいつは、あのアイドル歌手(くだらないので名前も出さない)と結婚しただけだろう。演技力ゼロ。いいのは石坂浩二。女優では「フラガール」以来の松雪泰子がいい女になった。鈴木京香の恩地の妻役は少しもったいないだろう。演技力からすれば渡辺謙より上だろう。渡辺謙を使ったのは海外勤務で英語をしゃべる必要があるからだけだろう。意外といいのが恩地の娘役の戸田恵梨香。これにベテラン陣がいい感じで出ている。傍役では宇津井健、加藤剛。3時間という超大作ながら、これは推測に過ぎないが、原作の出来の悪さを我慢できる場合のみ耐えられるだろう。作品の悲劇性は恩地の処遇というより原作(者)の上記のような欠陥だろう。


ヒアリング度:
感動度:
二度以上見たい度:
劇場で見たい度:★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:
ムカつく度:★★★
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

あなたは私の婿になる (2009)

2009-10-24 03:48:22 | Weblog
あなたは私の婿になる The Proposal

U.S. Release Date: 2009

■監督:アン・フレッチャー
■キャスト:サンドラ・ブロック/ライアン・レイノルズ/メアリー・スティーンバージェン/クレイグ・T・ネルソン/ベティ・ホワイト/マリン・アッカーマン
■音楽:アーロン・ジグマン
■字幕:いずみつかさ
■お勧め度:★★★

 「「デンジャラス・ビューティー」のサンドラ・ブロックと「スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい」のライアン・レイノルズ共演で贈るロマンティック・コメディ。ビザの申請遅延による国外退去を逃れるため咄嗟にアメリカ人の部下との結婚をでっち上げたカナダ人のキャリア・ウーマンと、そのパワハラまがいの命令で彼女の餌食となったアシスタントの駆け引きと恋の行方を描く。監督は「幸せになるための27のドレス」のアン・フレッチャー。
 ニューヨークの出版社で編集長を務める40歳のカナダ人キャリア・ウーマン、マーガレット。彼女はやり手として知られると同時に、その容赦のない厳しさから部下たちに恐れられていた。そんなある日、会長に呼び出されたマーガレットは、ビザの更新が却下されたと知らされる。このまま国外退去処分になればこれまで築いてきたキャリアも棒に振ることに。その時、彼女の目に28歳のアシスタント、アンドリューの姿が。アメリカ人と結婚すればビザの必要がなくなるとひらめいた彼女は、アンドリューとの結婚を勝手に決めてしまう。職を失いたくないアンドリューは、この“上司命令”に渋々従うハメに。しかし、偽装結婚はバレれば重罪。審査官の厳しいチェックを乗り切るため、人前では本当の恋人を演じ続けるしかない2人。さっそくアンドリューの両親に結婚を報告するため、2人で彼の故郷アラスカへと向かうのだったが…。」(allcinema.net/より。)

筋書き的には、まあ面白い方だろうが、サンドラ・ブロックが空回りしている。筋書きのせい。アンドリューは実はアラスカといえども町一個を牛耳る大富豪の一人息子、御曹子。家業を継ぐのがいやでニューヨークに逃げ出して好きな本の道を選び、マーガレット編集長に尽すことで後釜を狙う野望もある。その彼が故郷に帰れば当然待っているのは父親との家業継承問題。しかも偽装結婚の件は移民局の調査官にバラされている。普通だったら当然の事ながら遺産目当ての結婚だと思うだろう。その事を問わずに家業継承の事だけが問題になる。この筋書きではサンドラ・ブロックにしたって、どういう役を演じれば良いか分からないだろう。監督やら製作者の言いなりになるタイプじゃないし。普通にアンドリューの父親が彼女を遺産目当ての悪女と思って接すれば、それに対抗するやり手女という役ができただろうが、むしろ父親も含めてアンドリューの家族全員にあまりにも暖かく迎えられたために良心の呵責を感じてしまう女という、ありきたりの役を演じることを強制された。これだとサンドラ・ブロックにしたら、自分の持ち味を発揮する事も出来ないし、かといって強制された役をそのまま演じるタイプでも無い。アンドリュー(ライアン・レイノルズ)が若いわりにはサンドラ・ブロックをうまくサポートしているような感じがしたが、実際はサンドラを封じ込めてしまった結果だろう。でもまあ、その代償として他のキャストがいいし、ニューヨークではキャリア・ウーマンとして成功していても、アラスカの田舎町では何も出来ない脳無し風に描いたのは、面白いと言えなくもないが。しかしこれもサンドラ・ブロックを使う役柄では無いだろう。むしろ助演のアンドリューの両親役のメアリー・スティーンバージェン(姉さんタイプ)とクレイグ・T・ネルソンが目立ってしまう。二人が恋に落ちる筋書きは分からないでもない。会社では「それ/あれ」とか「魔女」とかで嫌われ恐れられている存在ながら、彼女の下で3年、コキ使われてきたアンドリューだから分かる彼女の真の人間性、それに惚れるというのは自然で分かる。むしろこの部分に集中してラブストーリー性をもっと重視した方が良かっただろう。これならサンドラにしても何をどうすれば良いかはっきりしただろう。あまり邦画と比べたくないが、完全なB級テレビドラマ作品。見所があるとするとメアリー・スティーンバージェン。アンドリューの母親役ながら、サンドラ・ブロックの姉きっぽい感じで光っている。テーマ的にも盛り込み過ぎだろう。アンドリューの良さをその家族の愛情から知るというのは重要ながら、これをやるとラブストーリーなのか家族愛なのか分からなくなる。この点もサンドラが戸惑った点だろう。まあ、ファンとしては久し振りのサンドラだったので見るだけでも楽しかったが。しかしこういう使われ方をする女優にはなって欲しくない。筋書きもまともに書けない没落ハリウッドの犠牲か。というような女優が何人か。コメディなのにちょっと悲しい印象が残ってしまう。


ヒアリング度:★★★★
感動度:★★
二度以上見たい度:★★★★
劇場で見たい度:★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★
ムカつく度:★
考えさせられる度:
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

引き出しの中のラブレター (2009)

2009-10-17 06:16:38 | Weblog
引き出しの中のラブレター(2009)

U.S. Release Date:

■監督:三城真一
■キャスト:常盤貴子/中島知子/仲代達矢/林遣都/八千草薫/片岡鶴太郎/萩原聖人
■音楽:吉俣良
■字幕:
■お勧め度:★★★★(★)

 「伝えたくても伝えられずにいた大切な想いを、ラジオを介して届けることでつながりを取り戻していく人々の物語を、複数のエピソードを巧みに交錯させながら紡ぎ上げた感動のヒューマン・ドラマ。主演は「20世紀少年」の常盤貴子。監督は多くのテレビドラマで演出やプロデューサーを務める三城真一。
 ラジオ・パーソナリティの久保田真生は、4年前に父親と衝突して絶縁してしまい、修復できないまま父親は2ヵ月前に他界してしまう。その遺品の中には、投函できずに引き出しの中にしまったままの真生宛の手紙があった。そんなある日、番組に北海道の高校生・直樹から“笑わない祖父を笑わせるにはどうしたらいいか”という投書が届く。さっそく、笑わせる方法を募集する真生だったが、その祖父が直樹の父親と絶縁状態にあると知り、自分と父親の姿を重ねてしまう。やがて、そんな心の引き出しにしまい込んだままの大切な想いを、ラジオがリスナーの代わりとなって送り届けるという番組を企画する真生だったが…。」(allcinema.net/より。)

これ、もしかして70~80年代の深夜放送の回顧的映画版?今のラジオ放送は分からないけれど、こういう事はやってないだろう。そもそも「引き出しの中のラブレター」というのが当時のノリっぽい(「紫葵のカトリーヌ」)。これ、検索しても出て無い。という事は、この作品の製作者は当時の深夜放送を聞いていた50歳代?なら分かるけど。当時の主流だったTBSとかじゃなくて六本木のJ-WAVEを選んだのは、今のラジオ放送と音楽の批判か。最初はこれ、テレビ局作品だと思ったが、実は松竹。確かに怪しいところはあった。風景とかが綺麗すぎるし、役者を完全に無視して作品構成だけに重点を置いている。こういうのはテレビ局では真似が出来ない。常盤貴子を主演に選んだのも映画会社の強みだろう。「20世紀少年」であれだけインパクトのある演技を見せた女優に演技をさせていない。おまけに題材的には3組の親子と夫婦の切れた絆を描くというテレビドラマなみの物。テレビ局作品が良くなった事に対する完全な挑戦か。まあ「釣りバカ」のレベルと言えないことも無いが。しかしあの頃の深夜放送を知らない世代はこの作品をどう見るのだろうか。おそらくはラジオ放送というのは型だけで、ヒューマン・ドラマの部分がメインだと思うだろう。当時の深夜放送を知っていて、音楽の歴史と役割の変化も知っていて、90年代以降のラジオ放送がどういう末路を辿ったかも知っていれば、本作品のテーマなり筋書きは分かるだろうが、そうでない場合は嘘っぽい感じがするのじゃないだろうか。その危険をあえて犯してまでこの作品を作ったのは何故だろうか。単に製作者の懐古趣味だけじゃないだろう。この作品が今の世相と音楽とラジオやテレビ放送の批判だと分かれば、作品の持つ意味は分かるだろうが、そうでない場合は。例を挙げてみると、愛川欽也がやっていた深夜放送で、愛川が留守の時に、よく遊びに来ていた永六輔が2時間、日本国憲法を読み上げた。黒柳徹子にいたっては、当時日本を訪れたエリザベス女王陛下の通訳をやってイジめた話しを何の「検閲」もなくしゃべくり回していた。今はあまり良く思われていないらしいが、当時は素敵だった、あべ静江が、若いにも係わらず愛川たちの大人の話に必死で食らい付いていた。関係無いような例だが、ラジオ、それも深夜放送だから話せる本音、そうした本音を、世代を越えて打ち明ける機会が少なくなっているのではないか、この作品はそれを描きたかったのかもしれない。しかしこれを分かれというのは難しいだろう。それと当時の深夜放送が繁栄した最大の理由はリスナーからの投稿で、高校生にも係わらず、そこらの小説家のはるか上をいくような文を書いていた。放送する側と聞く(単に「聴く」じゃなくて)側が一体だったような感じで、中には親や友人とかよりも深夜放送を身近に感じていた学生もいただろう。それが悪いというのじゃなくて、身近に感じられる存在がいるというのが大事で、それが親や友人だろうと深夜放送だろうと関係なく、今はそうした身近な存在、本音を言える相手がいないというのが作品のテーマかもしれない。この事は単にそうした存在がいないというだけではなくて、そもそも本音を言う能力が欠落している場合が多いのじゃないか。なんかやたら感動したのは、そうした事を、ほんとにさりげなく描けてしまった作品の力量だろう。それも、ありふれた題材を選んで役者には殆ど演技をさせず、風景の綺麗さだけが目立つような作品にしたのは、作品を作るにあたってなんの野望も無いという事を証明したようなもの。これで松竹まで復活するとなると、今後の邦画は予測もできないほど発展するのだろうか。当時の深夜放送を知りたかったら「ナッチャコパック」で丹念に検索すれば、CD-R、50枚、みつかる。あまり宣伝する事は避けるが。


ヒアリング度:
感動度:★★★★★
二度以上見たい度:★★★★
劇場で見たい度:★★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

TAJOMARU (2009)

2009-10-10 09:06:08 | Weblog
TAJOMARU(2009)

U.S. Release Date:

■監督:中野裕之
■キャスト:小栗旬/柴本幸/田中圭/やべきょうすけ/松方弘樹/萩原健一/近藤正臣
■音楽:大坪直樹
■字幕:
■お勧め度:★★★(★)

 「芥川龍之介の『藪の中』に登場する盗賊“多襄丸”を主人公に、オリジナル・ストーリーで描く異色時代劇。主演は「クローズZERO」の小栗旬、共演に「真夏の夜の夢」の柴本幸。監督は「SF サムライ・フィクション」「RED SHADOW 赤影」の中野裕之。
 室町末期。名門・畠山家の次男・直光には将来を誓い合った幼なじみ阿古姫がいた。ところが、阿古姫の父・大納言が急逝した際、八代将軍・足利義政が言い放ったひと言が、2人の運命を大きく狂わせる。それは、畠山家の兄弟で、阿古姫を娶ったほうに管領職を継がせるというもの。これによって、家督も次期管領職も手に入るはずだった兄・信綱は動揺し、阿古姫を力ずくで奪いに掛かる。直光は阿古姫のためにすべてを捨てる決意を固めるが、そんな時、かつてその命を救い、以来弟のように目をかけてきた家臣・桜丸の思わぬ裏切りに遭ってしまう。」(allcinema.net/より。)

早い話が二人のラブストーリー。幼なじみ的な恋心から苦難を乗り越えて真の愛に目覚めるというような。その成長過程に家柄やら悪者やらが絡んで苦難を与え、それに対処する二人を描いたもの。ただし直光/新多襄丸の方は男だから分かるにしても阿古姫の方はちょっと分からない、作品の出来とは関係なく。男には処女の心理というのは分からない。今どきそんなもの居るかという問題もあるし。陵辱されたから愛する直光に顔向けが出来ない、だから遠ざける道を選ぶというのはなんとなく分かるにしても、そう考えるのはそれこそ処女の心理だろう。極端に言うと自己満足。今風に考えると愛や恋というのが先にたって、「過去」というのはどうでもいい事じゃないか。バレれば問題になるかもしれないが。もっともそうした男には分からない処女の心理を描くことが目的だったのなら、それは良く描けていると言えるが。ただしそれを描いたとしても印象として残るのは、処女はこういう心理でこういう事をやらかすから厄介で嫌だという事になってしまう。でもまあ分からない事を描いて、そうした作品を観るということ自体に価値が無いとも言えないが。そんな事なのであまりテーマ的には印象に残らない。むしろ印象に残るのはいい意味でも悪い意味でもテレビ局(フジ)作品らしいという事だろう。いい意味では映画作品として完結している。筋書きではなくて作り方として。配役にしても先週の東映「火天の城」なんかだと、役者の層の厚さが感じられると書いたが、この事は逆に言うと落ち着かない印象となってしまう。各々の役の候補が何人もいるような印象だと、その候補の方を考えてしまい、実際のキャストに集中できない。本作品ではそうした印象が無く、結果的に落ち着いて観られる。映画っぽさというのもやり過ぎれば五月蝿い印象になり、テレビ局の良さは軽い気持ちで観られるという事だろう。悪い面は悲しいかな衣装が安っぽい。「火天の城」のは平民の衣装。本作品のは貴族の衣装。ところが前者の方がはるかに豪華で高価そう。しかしこれはしょうがないだろう。この作品を作るために何百万もする衣装を作るのはバカげているし、テレビ局の作品では不釣り合いになっていただろう。でもまあ作品としては出来のいい方じゃないだろうか。男には分からない処女の心理を、初心(うぶ)な直光/新多襄丸の阿古姫を見る姿で描写しているし、それを理解する所まで着実に描いている。ただしやり過ぎのきらいはあるが。処女の心理を描いたのか人間阿古姫を描いたのか分からないという意味で。そんな風に見るとコミカルな感じがするし、これは意図的だろう。松方弘樹のダサい演技がその最たるもの。この部分はラブコメディーと言ってもいい。夢もある。古いしきたりから自分の意志で解放して晴れて自由の身になってハッピーエンドというのは、時代劇にありがちなパターンを脱している。結局のところ二人は幼なじみ的な恋心から苦難を乗り越えて大人の愛に目覚めるが、結末的には幼い頃の心に戻ったのだろう。この点は後味のいい作品。


ヒアリング度:
感動度:★★★
二度以上見たい度:★★★
劇場で見たい度:★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)

火天の城 (2009)

2009-10-03 05:42:36 | Weblog
火天の城 (2009)

U.S. Release Date:

■監督:田中光敏
■原作:山本兼一
■キャスト:西田敏行/大竹しのぶ/寺島進/福田沙紀/椎名桔平/水野美紀/夏八木勲/熊谷真実/緒形直人
■音楽:岩代太郎
■字幕:
■お勧め度:★★★★(★)

 「山本兼一の同名小説を西田敏行主演で映画化した時代劇エンタテインメント。織田信長に登用され、安土城築城を任された名もなき宮大工が職人の誇りを懸けて挑む一大プロジェクトの全貌を、家族や門下の仲間たちとの人間模様を絡めてドラマティックに描き出す。監督は「化粧師 KEWAISHI」「精霊流し」の田中光敏。
 天正四年(1576年)、熱田の宮番匠、岡部又右衛門は、ある日突然織田信長から安土城の築城を命じられる。しかしその後、城造りを指揮する総棟梁になるには、名だたる番匠たちとの指図(図面)争いに勝たなければならない事態に。信長は巨大な吹き抜けという前代未聞の注文を出していたが、指図争いの席で、又右衛門だけがただ一人、確固とした信念のもと、その要望をはねつける。当然のごとく激昂する信長を前にしてもその信念は揺るがず、ついには信長を納得させ総棟梁の座を勝ち取る又右衛門だったが…。」(allcinema.net/より。)

内容的には安土城築城をドキュメンタリーっぽく描いた作品ながら、さすが映画会社(東映)を思わせる重厚なタッチと、特に先週の「カムイ外伝」(松竹)と比べると役者の層の厚さが感じられる。誰がどの役に適役かという事より、主演の西田敏行にしてもその他にしても候補は数名は居たのじゃないかという、これはあくまでも印象で、役者の層の厚さというのがそうした印象になったように思う。実際の出演者の中では悪役が持ち味の寺島進が西田敏行頭領の一番弟子みたいな役柄で、変な感じだし似合って無いが、他のスタッフが巧キャスト過ぎるきらいがあるので、それを相殺する、バランスを取るための起用かもしれない。そのキャストで一番、目立つのが大竹しのぶで、すごくいい歳の取り方をして西田敏行の妻役、あるいは娘(福田沙紀)の母親役として、助演というより共演に近い感じで出ていて見所。若い頃は変な女か、そのような役ばかりだったような気がするが、ちょっと探しても居ないようないい女優になった。役者の使い方が巧い。寺島進はミスキャストっぽいにしてもそれなりの役をこなしているし、夏八木勲と緒形直人にも同じことが言える。これも助演というより共演っぽく、その他にも、ほとんどチョイ役ながら熊谷真実が、はるか昔の「マー姉ちゃん」当時そのままのような感じで出ていて懐かしいし、圧巻なのは水野美紀の起用と役所。大工集団の中にいるただの女のような描き方をしておいて、実は、これはバラした方がいいだろう、刺客のくノ一(くのいち)だった。城作りを淡々と描いた作品の中で、彼女が出るアクションシーンがひどく印象に残る。これも巧さだろう。テレビ局の作品が良くなったと言っても、この役者の層の厚さという印象と、役者の使い方の巧さに関しては、いまだに松坂慶子をカレンダーの1月にしている松竹と比べても、東映は一枚、上だし、ここらへんがテレビ局では真似というか追随できない部分だろう。何を言っているかというと、今やテレビ局対映画会社というのが映画界の構図で、「洋画」という言葉すら消え去ろうとしている。それに時代劇に関してはやはり東映の実力はあるだろう。役者の層の厚さに加えて京都撮影所を持っているし、衣装に関しても惚れ惚れするほど見る価値がある。着こなしにしても、これは本人なのか衣装係りなのか分からないが、番長格のお志麻さんに劣らない。作品のテーマとしては、たとえ神業的な技量を持った頭領でも、部下その他の助けがなければ何も出来ないし、そうした仲間を作るのが技量の一つで、そうした型での協力関係なしには国造りは出来ないという事だろうが、これは作品構成上の建て前だろう。この頃でも今でも「国を造る」というのは国の言いなりになるという事で、本作品では信長の野望のための城作りに加担させられた一般民衆という事になる。その事でどんな悲劇が起きてもなんら同情する余地は無いだろう。という意味での「建て前」で、これはこれで作品構成上、入れざるを得なかっただろう。むしろこの事が良かったかもしれない。役者が生きる、目立つという点で。その事を知っているかのような配役。これもさすが映画会社と言えるだろう。もう言いたく無いがネタ切れヤキ回りでアクションを見せるだけの洋画に比べると、内容的にも題材の選び方にしても、アクションの使い方にしても、今はむしろ洋画を観る方が、恐くて勇気が要るような事になってしまった。もう一つはテレビ局の作品が良くなった理由の一つに細かい部分に気を使ってそれが作品自体とインテグレートするようになったという事だが、これは両刃の刃で、作品の出来を良くする反面、作品としてのスケール感を損ない、役者や演技から目を逸らす結果になる時がある。東映が観ていたのは、まさにそうしたテレビ局作品だろう。結果的に役者や演技が生きるという事になる。これはテレビ局にも分かるのじゃないか。そうすれば更に相乗効果で素晴らしい作品が出来ることは期待できる。はっきり言ってそれほど感動する部分は無いはずなのに、なぜかやたら感動する。最初のテロップで安土城はこれだけの苦労をして建てたにも係わらずたった3年で焼失した事が書いてあるが、これも諸行無常か。だから人物や、その描き方が生きてくるとも言える。


ヒアリング度:
感動度:★★★★★
二度以上見たい度:★★★★
劇場で見たい度:★★★★★
ビデオ/DVDで欲しい度:★★★★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)