ICHI 2008

2008-11-08 06:14:21 | Weblog
ICHI 2008

U.S. Release Date:

■監督:曽利文彦
■キャスト:綾瀬はるか/大沢たかお/中村獅童/窪塚洋介/柄本明
■音楽:リサ・ジェラルド/主題歌:SunMin、『Will』
■字幕:
■お勧め度:★★★★

 「勝新太郎や北野武が演じて世界的にも人気を博した異色ヒーロー“座頭市”を、設定を女に変えて綾瀬はるか主演で映画化したアクション時代劇。自らの身を仕込み杖に隠した剣のみに頼り、孤高を貫き生きる女、市が男たちと繰り広げる壮絶な闘いと、初めて出会った運命の男との切ない恋の行方を描く。共演は大沢たかお、中村獅童。監督は「ピンポン」「ベクシル 2077 日本鎖国」の曽利文彦。
 市は瞽女(ごぜ)と呼ばれる盲目の女芸人。かつては他の仲間たちと一緒に旅をしていたが、ある時男に襲われた市は、男と関係してはならないという掟に従い一座を追われ、“離れ瞽女”となった。以来、三味線を手にたった一人で旅を続ける市。ある日、道中で市がチンピラに絡まれていると、一人の侍、十馬が止めに入る。しかし、十馬はなぜか刀を抜くことが出来ず、モタモタしている彼をよそに、市は仕込み杖から抜いた剣でチンピラたちを容赦なく切り捨てる。十馬は剣の腕はありがら幼いときのトラウマが原因で刀を抜けず、一方の市は居合いの手練だった。やがて2人は辿り着いた宿場町で、町を仕切る白河組2代目虎二と無法者を束ねて町を荒らす万鬼の激しい抗争に巻き込まれていく。そんな中、互いへの秘めたる想いを募らせていく市と十馬だったが…。」(allcinema.net/より。)

この作品は良くも悪くも綾瀬はるかに尽きる作品。悪く言えば彼女のプロモ作品だろうが、彼女はしかし若い(かどうか全く知らないが)わりには女優としてはかなり完成度も高いしこれからも有望な感じがする。これは監督や製作者の功もあるだろうが、細かな部分にかなり努力の後が見られ、単にアイドル女優のプロモ作品とも言えない。彼女が過去にどういうドラマに出ていたか知らないが、剣の使い方や立ち回りは様になっているし、特に仕込み杖を鞘に納める動作は並々ならぬ練習を重ねたのだろう。仕込み杖の場合は、鞘に納める時の持ち方が、鞘に対して順手になるので、普通の剣の場合のように親指でガイドするとかっこ悪くなる。それなしでちゃんと鞘に納めるというのは、ベテランの時代劇役者でも普通はできないか、やった事が無いだろう。それとこの子は、正面から見るとおそらくは面白系だろうが、どうも横顔美人のタイプで、作品では彼女の横顔の美しさをふんだんに強調している。強いて言うと志穂美悦子の若い頃のような鋭さもあり、本作品でシリアスな役に挑戦するにあたっては、この部分が功を奏した、と言っては彼女の立場がなくなるが、観る方としてはかなり引き付けられる。この事に関しては伏線みたいなものがあって、1シーンだけ、和服を着て三味線を弾く姿を正面から撮っているが、このシーンでの彼女の正面の顔と和服の着こなしを思いっきりダサく撮っている。これは意図的なコントラスト(ヤラセ)だろう。ついでにチラリズムも加えてくれたのは監督、製作者に感謝。

作品全体を見てもかなり出来のいい作品じゃないだろうか。設定的には地方の宿場町なのでスケールは大きくないが、それを分かった上で見れば話の筋もまとまっているし、市の心理もうまく描かれている。目が見えないから何を斬るか分からない、物事の境目が見えないといった初期の心理から、十馬に初めての恋をする事で物事の境目が見えるようになる、つまり自分が何のために生きているのか分かるようになる心理変化は、単に強いだけの、それこそ勝新太郎の座頭市シリーズには無かったことだし、つまらなかった理由でもある。キャスト的には十馬役の大沢たかおが、ほとんど綾瀬はるかの横顔を引き立たせるだけの存在だが、仇役の中村獅童が、ほとんど初めてと言っていいくらい、押さえた演技で作品にマッチしている。彼の場合は歌舞伎役者ということもあって(叔父=萬屋(中村)錦之介(子連れ狼))、放っとくとウザイ、臭い演技をしてしまうが、適度に押さえることで本来の持ち味が出せる。また歌舞伎役者ならではの一面というか技術を、最後の決戦シーンで見せてくれる。これは昔の時代劇役者なら誰でもできた事だが、剣を構えて動く場面で足先だけを動かして移動するというのが常道のはずで、彼以外にこれができた役者はちょっと記憶に無い。

最近の時代劇というのは、従来の時代劇っぽさを脱する事に重点を置く傾向があるように思うが、本作品でもこれは見られ、市が着ている「ボロ」にしても、見方によってはモダンアートだし、立ち回りは芸術性に重点を置いたことは明らか。もちろんこれには上に書いた綾瀬はるかの仕込み杖の納め方が大きく貢献しているわけで、その意味では作品を作るに当っての意図や工夫の後が十分に分かる作品。PG-12指定になっているが、これは1シーンだけ、どうでもいい女のヌードがあるのと、綾瀬はるかのチラリズムがあるだけなので、内容的には子供が見ても十分楽しめるし、おそらく内容も分かるファミリー作品だろう。これも実は勝新太郎の座頭市には無かったことで、当時は親が見ていたのを強制的に見せられてつまらなかったという記憶があって、その意味では勝新太郎の座頭市よりははるかに楽しめる作品だろう。という事は北野武の座頭市は、勝新太郎のリメイクの失敗版とも言えるが、ついでながら。さてこれで綾瀬はるかの「ハッピーフライト」を観る準備ができたので、どの洋画を犠牲にするか、これが今の悩みの種でもある。正直な話、今は平均で見ると邦画の方が出来がいいんじゃないだろうか。

付け足しながら、綾瀬はるか描く「市」というのは、幾つかの意味で男から見た理想の女っぽいところがあって、これは監督の趣味やら経験も半分は混ざっているかもしれないが、女の横顔というのは、自分から注意を逸らした時、他の物に興味を持った時に見る場合が多くて、そうした自分以外の物に興味を持っている女を見る時の女の横顔というのは、時として自分に興味を持って見る正面顔とは別の魅力を感じる時がある。それと目が見えない市というのは、もちろん世の中の汚い部分をほとんどと言っていいほど見て無いわけだから、たとえ本作品の市が散々、人を切り殺して自暴自棄であっても、心は純真と言える。もちろん十馬もそんな市に惚れたのだろうが、おそらくはこの作品を観る男の多くも同じ事を感じるのじゃないか。はたして綾瀬はるかはこういう事を分かって市を演じたかどうかは知らないが、もし知って演じたとすれば、そこらのベテラン大根女優よりははるかに将来性があるかもしれない。もっとも次は「ハッピーフライト」の予定なので、あまり期待しないようにしたいが。