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鈴木久一郎/ものづくり中部の革新者たちⅢ

2022-09-21 06:40:13 | ものづくり・まちづくり

ものづくり中部の革新者たちⅢ より 鈴木久一郎を紹介します。

去る2022(令和4)年9月10日(土)に名古屋都市センター(金山南ビル内) 11階「まちづくり広場・企画展示コーナー」で行われた、第17回パネル展 での学びを振り返ります。

ここから http://csih.sakura.ne.jp/panerutenn.html

今回は、鈴木久一郎 島田に光を与えたと剛毅と侠気の人 -島田紡績所の創業者- 

ものづくり中部の革新者たち Ⅲ

1. 革新実業家 (2)
島田町に光を与えた殖産興業の人
-島田紡績所の創業者一
 
鈴木 久一郎 (1845~1904)
 
■島田紡績所を島田宿に出願
 鈴木久一郎は、 1845 (弘化2) 年、駿河国志太郡島田宿 (現・島田市)で醤油業を営む鈴木家で出生する。 久一郎は特別な教育を受けたわけではないが、 大井川の川越人足が数百名も居る島田宿で育ったことからか、 剛毅と侠気、 人情と孝行の人であったと言われる。
 久一郎34歳となった1880 (明治13)年1月、明治政府の紡機払い下げの情報を知り、その願いを県庁に出願する。 久一郎はそれまでにも、 失業した大井川の川越人足救済のための茶園を開墾して従事させ、 製茶事業の振興を図っているが、こうした地域振興を常に視野に入れていた人物であった。
 その紡機払い下げ願書に記された理由は二つあった。 一つは当地方は綿花の産地であること、もう一つは大井川の水量が豊富なることであった。
 
■ 初期綿糸紡績所の一つ島田紡績所の建設、開業 
 島田紡績所の建設では、ここも初期綿糸紡績所建設の立役者である石河正龍が関わり、 その工場立地を水利の観点から、出願と同じ年の1880年8月に決定している。 その後少し時を要したが、3年後
の1883年2月に工場建物を完成させ、 同年8月に2000錘のミュール精紡機ほかの紡績機械を設置。動力には官営の愛知紡績所と同じく横須賀造船所で製造したタービンを同年11月に設置し、 翌 1884(明治17)年6月に初期綿糸紡績所の一つとして開業することになる。
 開業までに当初予算2万円を大幅に超える5万円近くかかったことで久一郎は一時苦境となる。 しかし豊富な水量のおかげもあって営業は順調に推移し、1887年には機械代金の総てを政府に返納するまでに回復する。
 
■ 旧英水電小山発電所の開設にも尽力
島田紡績所はその後、 1890 (明治23)年に新式のリング精紡機を英国より導入して増設を図っている。 その前年にはダイナモを購入して紡績工場と邸宅にアーク灯を設置して、 島田地域に近代化の兆しを告げている。 これが高じて1897 (明治30)年には、 大井川の上流上川根村 (現・榛原郡川根本町) に用地を買収して、 大井川水系最初の発電所となる小山発電所建設にも乗り出している。 しかし志し半ばの1904(明治37) 年5月に久一郎が逝去(享年60歳)したこともあり、 1910(明治43)年の完成前に日英水電に権利が譲渡されることになる。 後に島田地域にその光が届いたことまでは目にできなかったが、 久一郎の志は繋がることとなった。鈴木久一郎は川越え人足救済と茶園振興、 架橋、 紡績所開業、 発電所建設と、島田に光を与え続けた人物であった。(天野武弘)
 
 
 
 

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