【岐阜関ケ原古戦場記念館】古戦場史跡紹介23 南宮山を抑える東軍諸将の陣跡
関ケ原の戦いで南宮山の西軍を抑える役割を果たした東軍諸将(山内一豊・浅野幸長・池田輝政)の陣跡を訪ねます。
山内一豊は、本戦では目立った活躍はなかったものの、本戦前の一豊の妻 千代の働きと小山評定での一豊の発言が評価され、合戦後に栄転しています。
浅野幸長は、五奉行の一人 浅野長政の嫡男のため本来は豊臣恩顧の大名でしたが、秀吉死後に石田三成と対立して東軍に属し、関ケ原合戦の前哨戦の一つ、岐阜城攻めにも加わっていました。
本戦当日は垂井一里塚付近に陣を構え、南宮山を封じ込める役割を果たしています。 池田輝政は、池田恒興の次男で、家康の娘 督姫を娶っており家康の娘婿にあたります。浅野幸長らと岐阜城攻めで活躍し、関ケ原本戦では南宮山の西軍諸隊を抑える役目を果たしています。
岐阜関ケ原古戦場記念館 : https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/
山内一豊は「やまうち かつとよ」と読みます。