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津山城の石垣の石:津山石

2025-03-21 06:50:18 | 城跡めぐり

https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosocabst/2019/0/2019_347/_pdf/-char/ja

この資料は、岡山県津山市に築かれた津山城の石垣に用いられた 「津山石」 について解説しています。津山城は交通と河川の要衝に森忠政によって築かれ、現在も美しい石垣が残ります。 「津山石」 は、盆地南縁の神南備山で採取された白亜紀後期の凝灰角礫岩であり、地元でのみ呼ばれる名称です。かつて採石が行われた場所には寺院や岩があり、築城400年記念には採石された大石を城まで運ぶイベントも行われました。津山石は城の石垣だけでなく、市内の護岸や民家の石垣にも使われ、姫路周辺の石材との関連性も示唆されています。

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A 津山石の主な産地は、津山盆地南縁に座する神南備山の東北東の大谷地区です。この付近には、白亜紀後期の流紋岩質火山岩礫凝灰岩が広く分布しており、凝灰角礫岩である津山石はその主要な岩相となっています。採石場の跡地としては、石山寺とその北東約200mの場所にある**“八畳岩”**が挙げられています。いずれの採石場も、津山盆地から山地へと地形が急変する場所に位置しており、切り出した石を山から直接盆地に落とすことができる好立地であったとされています。現在は津山石の採石は行われていません。


Q 津山石と姫路の石材の類似性は何か。

A 津山石と姫路の石材の類似性は、両方とも白亜紀後期の凝灰岩類であるという点です。
以前の会話でも触れましたが、出雲街道の起点である姫路付近では、竜山石に代表される白亜紀後期の凝灰岩類が石材として利用されています。一方、津山城の石垣に使われている津山石は、津山盆地南縁の大谷地区で採取された白亜紀後期の流紋岩質火山岩礫凝灰岩であり、凝灰角礫岩がその主要な岩相です。
資料では、姫路付近で利用されている竜山石と津山石が同様の白亜紀後期の凝灰岩類であることから、同様の石を使う文化の繋がりが感じられると述べられています。
したがって、津山石と姫路の石材の主な類似点は以下の通りです。
• 両方とも白亜紀後期に形成された凝灰岩類である。
• 出雲街道という広域的な文化圏において、同様の種類の石材が利用されていたと考えられる。

 

 

Q 津山城築城時、石材はどのように運搬されたか。

A 津山城築城時の石材の運搬方法について、資料には直接的な記述は見当たりません。しかし、津山石の採石場所に関する記述から、当時の運搬方法を推察することができます。
資料1によると、津山石は津山盆地南縁に座する神南備山の東北東の大谷地区で採取されました。特筆すべきは、いずれの採石場も津山盆地から山地へと地形が急変する場所に位置していたということです1。この立地条件から、切り出した石を山から直接盆地に落とすことができたと述べられています1。
このことから、少なくとも採石場から津山盆地までの初期の運搬においては、地形の高低差を利用して、比較的容易に石を移動させることができたと考えられます。
また、資料2には、津山城が吉井川を使った河川交通の拠点でもあった津山宿に築かれたとあります2。この記述から、ある程度の距離を運搬する際には、河川を利用した可能性も考えられますが、津山石の具体的な採石場所と津山城の位置関係、河川の利用の可否については、これらの資料からは明確には判断できません。
資料3では、築城400年を記念した現代のイベントとして、大谷地区から津山城まで大石を運ぶ「津山歴史時代絵巻~築城大石曳き~」が行われたことが紹介されています3。これはあくまで現代の再現イベントであり、築城当時の運搬方法を直接示すものではありません。
総合的に考えると、津山石の採石地の地理的特性から、山から盆地へ石を落とすという比較的単純な方法で প্রাথমিক的な運搬が行われた可能性が高いと考えられます。その後の津山城の建設地までの運搬については、河川交通の利用を含め、さらなる情報がないため断定はできません。


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