郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

コインブラからファティマ、バターリャへ(ポルトガル旅行4)

2023-03-11 | 旅行

コインブラ宿泊の翌日は、ポルトガル国鉄の特急アルファ号で、コインブラB駅からエントロンカメントまで1時間の列車移動です。

駅構内に留まっていたポルトガルの電車

下は、エントロンカメント駅の構内にて、この駅は鉄道路線の交差点で、駅舎の周りに古い蒸気機関車が置かれていた。

エントロンカメントからファティマへ

ファティマは、1917年に貧しい羊飼いの少年少女が聖母マリアの出現を見たという奇跡から、

世界中のカトリック教徒の巡礼の聖地となっているところです。

「ファティマの聖母」とは、1917年5月13日に、ファティマの3人の子供たちの前に

聖母マリアが現れて、毎月13日に同じ場所に会いに来るように言ったことから、その後10月までに

様々なメッセージを託されたことがあった。(ウィキペディアより)

メッセージは、大きく3つあり

①死後の地獄の実在・・・多くの人が罪な生活によって、回心しないままでいると、人は死後、永遠の地獄へ行くとして、

            7月には3人に地獄のビジョンを見せ、彼らはそのあまりの光景に戦慄したという。

②大戦争の終焉と勃発・・・当時の第1次世界大戦はまもなく終わること。しかし、人々が生活を改め罪を悔い改めないなら、さらに

             大きな戦争が起き、たくさんの人が死に、そしてその多くが地獄に落ちてしまうこと。

③秘密・・・聖母マリアは、1960年になったら公開するように、それまでは秘密にと、ルシアに厳命した。

      その内容は「ファティマ第3の秘密」と呼ばれ、ルシアを通じて教皇庁に伝えられた。

出現の礼拝堂のわきを通り、大きな教会、大聖堂とバシリカへ

白亜の大聖堂とバシリカ、5月と10月にはこの前の広場は30万人の巡礼者で埋まるという。

バターリャ:勝利の聖母マリア修道院

手前の騎馬像は、名将ヌノ・アルバレスの騎馬像

修道院の正面と正門

教会内には、中央にジョアン1世とフィリッパ王妃の石棺が並んでいる。

周りには4人の王子の墓がある。

そのうちの一人が三男坊の「エンリケ航海王子」である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿武隈川堤防を散歩する。

2023-03-07 | 日記
今日も天気のよい一日でした。
午後、阿武隈川の堤防を散歩しました。
昔はよく散歩に来て、遠くまで歩いていましたが、今はゆっくりした足どりでしか歩けなくなりました。
でも、日のあたるなかを、遠くを見ながら歩くのは気分の良いものです。

午前中は、山元町の山元いちご農園に買い物に行って来ました。
国道6号線を上って30分ほどでした。
いちご狩りのお客さんが来ていました。
私たちは家でゆっくり食べたいので、採れたてを買ってきました。
売店兼カフェで買い物をしたのですが、店員の女性の方、たぶん私たちと変わらない高齢の方だと思うのですが、たいへんきれいな声で、「いらっしゃいませ!」、「ありがとうございました!」と声がけをしていました。
若々しい、透き通るような声で、滑舌もよく、引き付けられるような声で、とても感心して、妻とも帰りの車内で互いに驚きあったものでした。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンコール遺跡の光(写真・文/田村仁、監修/石澤良昭)

2023-03-05 | 日記

たいぶ前に買って、見た本であったが、取り出してまた見てみた。

アンコール遺跡には、2005年に行っている。
 
タイからシェムリアップに入り、いくつもの遺跡を見学した。
 
アンコール・トムやアンコール・ワット、タ・プローム、バンテアイ・スレー、とにかくその遺跡の素晴らしさに驚かせられた。
 
10世紀頃のその地に、あのような壮大でありながら、緻密な彫り物を描き込んだ建物が作られていたことが素晴らしかった。
 
上の主な遺跡のうち一番古いのは、バンテアイ・スレーて愛タ・プロームで967年頃建設です。祠堂の壁面の女神像が「東洋の
 
モナリザ」と称えられています。
 
アンコール・ワットは、1113年から1150年頃、アンコール遺跡中最大の寺院建築です。
 
アンコール・トムは、1181年から13世紀初めころ、「大きい都」の意味を持ち、チャンパ軍との戦争で勝利後に建造された
 
都城です。敷地中心には須弥山を模した仏教寺院バイヨンが建っています。
 
タ・プロームは1186年、巨木の根が遺跡を押しつぶすかのように絡みついているのが、有名です。
 
行ったのはたしか3月だったと思いますが、さすが赤道に近い国でもあったので、気温が高く暑かったのを覚えています。
 
でも、この遺跡を見れたのは最高でした。
 
私は世界遺産の中では1番に押したい遺跡です。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする