郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

月と明けの明星

2020-11-13 | 日記

夜明けの東の空に、月と明けの明星が見えました。

 

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ツワブキの花が咲きました。

2020-11-08 | 日記

庭にあるツワブキの花が咲いていました。

先日、ホトトギスという花があった場所と同じところです。

 

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木彫教室に行く

2020-11-07 | 日記

しばらくぶりに木彫教室に行った。

というのは、講師の先生が体調不良のため、10月から月一回の開催になったので、間が空いてしまっているのだ。

今まで作っていたのは、

今月から作るのは、

まだ下書きだけです。

 

どうも最近はブログにばかり熱が入って、木彫は少し怠慢になっている。

 

会場に行く前の、定禅寺通り

スマホ写真で、少し暗くなった。

落ち葉が散って、秋も深くなってきた定禅寺通りです。

帰りのころの、会場のビル前の仙台メディアティーク

 

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立花宗茂(天下無双の快男児)「歴史街道2009.9月号」

2020-11-03 | 雑誌

先日の九州旅行写真には続きがあって、熊本駅に着いた後、鹿児島本線で大牟田へ出て、そこから西鉄天神大牟田線で

福岡県の柳川市に寄った。柳川は水郷の町という知識だけはあり、一度行ってみたかったのである。

駅前の観光案内所で街中案内のパンフレットをもらい、川下りの乗り場へ向かった。

川下りの船に乗り込み、堀の中の水路を船頭さんの案内を聞きながら進んでいった。

その後、船の終点で降り、「御花」(おはな)というところを見学した。

ここは、柳川藩の別邸があったところで、当時この辺りは「御花畑」といわれていたことから「御花」と呼ぶようになったという。

明治時代には立花伯爵家の邸宅となり、池庭「松濤園」を整え、「松濤園」は国指定名勝となっている。

この「御花」のなかに御花史料館というのがあり、そこではじめて「立花宗茂」という武将を知った。

そこにおいてあった特別展「立花宗茂」のチラシによると、立花宗茂は豊臣秀吉による九州平定の先陣として活躍し、

筑後柳川の大名に取り立てられたという。関ケ原の合戦ではその恩義から西軍に加担し、柳川の領地を失い浪牢の身となった。

しかし、その器量を惜しむ徳川家に重用され、改易から20年後、旧領に奇跡の復活を遂げたという。

 

そこで、トップ写真の雑誌が「立花宗茂」を特集していたので購入した次第である。

その記事の「総論」によると、立花宗茂は「乱世を真っ直ぐに生き、『武人の鑑』と謳われた快男児」だという。

また、豊臣秀吉は「その忠義、鎮西一。その武勇、また鎮西一」と激賞したという。

 

宗茂の略歴を示すと、

1567年、豊後国国東郡筧にて誕生。実父、高橋紹運。

1581年、立花道雪の養嗣子となる。

1586年、島津軍により、岩屋城陥落。高橋紹運、自刃。

      宗茂は立花城を死守。島津軍を追撃し、痛撃を与える。

1587年、独立大名として柳川に封じられる。

1593年、文禄の役、碧蹄館の戦いで、勝機を作る。

1598年、慶長の役、第二次蔚山城の戦いで加藤清正を救援。

1600年、関ケ原の役で、西軍に属す。大津城を攻撃。

      西軍敗退で柳川に帰還。加藤清正の説得で開城。家臣とともに、肥後国高瀬に移る。

1604年、5千石で幕臣に取り立てられる。

1606年、奥州棚倉1万石で大名に復帰。

1614年、大坂冬の陣に出陣。

1615年、大坂夏の陣に出陣して活躍。奥州棚倉4万5千石に加増。

1620年、徳川秀忠から柳川への再封を申し渡される。

1621年、柳川城に入る。

1638年、72歳の時、島原の乱鎮圧のため出陣。

1642年、76歳、江戸にて死去。

 

各地を旅行すると、今まで知らなかったことを知る楽しみがある。

そしてまた調べる。雑学ではあるが、いろんなことを知れるのが私の楽しみである。

 

 

 

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夕方散歩にでる。

2020-11-03 | 日記
天気のよい日であったが、午前中は留守番であった。
夕方、時間がとれたので、しばらくぶりに川沿いの堤防まで散歩にいってきた。
河川敷のところはすすきの原であった。
堤防に上がり、河川敷を見ると、こちらもすすきと背高泡立草でいっぱいであった。


今日は風も冷たくなく歩きやすかった。
風が吹いていたり、温度が下がると歩きにでるのが億劫になる。
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