郷が杜備忘録

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「島貫兵太夫伝」を読む(その4)

2020-10-11 | 読書・「島貫兵太夫伝」

明治25年(1892年)は島貫にとって、画期的な年であった。

それは東北救世軍の結成と宮城・福島・山形三県の伝道旅行であった。

この年の3月の春期休暇を利用して行った。

彼は苦学生の世話を始めた頃より貧民伝道を志し、仙台市中の貧民窟を訪ね歩くと、実に多く悲惨なものであった。

彼はこうした人々のために働くことが彼の天職のように思えてきた。

そのためには、自分の体を大いに苦しめて、サルベーション・アーミーのようにやらなければ駄目だと知り、

救世軍に倣って「東北救世軍」を組織し、伝道旅行を試みることにした。

行程は、仙台(3/31昼)→岩沼→相馬中村→保原→福島→米沢→上の山→山形→(天童)→作並温泉→仙台(4/10朝)

通算11日間、この間徒歩で移動したのである。そして合間には、教会や路傍で伝道を行ったという。

この「東北救世軍伝道旅行」は毎日キリスト教主義の各新聞に送り掲載したという。そのため、その噂が東北全体のみならず

全国の各教会にも知れ渡ったという。

この伝道旅行に結集したのは、萩原金太郎、城生安治、木村清松、須藤鷲郎、酒井勝軍、三浦一郎、島貫兵太夫の7人であった。

最年長は島貫の26歳、最年少は木村の18歳であった。

 

この伝道旅行の後島貫はロンドンのブース大将のところに、ロンドンに往きたい旨手紙を書いたところ、その返事が

副校長ホーイの手に入り、別派に関係してはいけないと叱られた。

これは、教壇から説教を中心に福音を伝えようとする合衆国リフォームド教会のミッショナリーと、

霊肉救済を意図する島貫の社会主義的信仰との相違から来たものと思われる。

こうした経緯からロンドン行きはあきらめざるを得なかったが、貧民伝道はやめるわけにはいかないと

引き続き貧民伝道に挺身した。

その活動は、貧民窟の貧者と寝食を共にし、安息日学校を開き、神の聖言を伝えたり学問を教えたりした。

また衣食を給したり、職業を与えたりもしたという。なかには、子供を集めて洟をかんでやったり、髪をくしけずって

やったり、顔を洗ってやることもあり、時には風呂屋にかけ合って風呂に入れてやったりもしたという。

島貫はその間に父を失い、相続人となって年貢米を相続し、それも貧民救済につぎ込んだという。

 

 

 

 

 

 

 

 


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