郷が杜備忘録

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細川幽斎(森本 繁著)

2021-02-13 | 読書

先の「花落ちる 智将明智光秀」についで、一緒に活躍しながら、本能寺の変後、光秀に加勢しなかった細川幽斎藤孝の本を読んだ。

幽斎藤孝の出自は細川家である。

幽斎直系の始祖は室町幕府の管領細川頼之の弟細川頼有である。

頼有の6代後に元常がおり、その養子になったのが藤孝である。

藤孝は元常の兄弟で、三淵家を継いだ晴員の子となっているが、実は12代将軍足利義晴の非嫡出の長男であり、

嫡出の次男が13代将軍の足利義輝、四男が15代将軍となった義昭(一乗院門跡覚慶)である。

藤孝は、将軍足利義晴と義晴に仕えていた清原宣賢の娘の間にできた子であった。

義晴は、清原宣賢の娘を近侍の三淵伊賀守晴員の後妻としたのである。

藤孝は、天文3年(1534年)4月22日に生まれている。

 

幼名万吉といった藤孝が将軍義晴に拝謁したの天文7年(1536年)である。

そのとき晴員が将軍に「万吉をしかるべき家の継嗣にしたい」と言って、将軍から「細川元常の養子にするがよい。」

と言われ、兄であり管領の家筋である細川元常の養子としたのである。

天文16年将軍義藤(のち義輝)の近習に列せられ、申次衆となった。

ここに。藤孝の政治家としての生活が始まった。

ちなみに、この幽斎藤孝から息子忠興と続く細川家は江戸時代も生き残り、その後裔となっているのが

元首相細川護熙氏である。

 

幽斎藤孝の活動は、室町幕府の動きとともにあったが、その後光秀とともに織田信長について、

信長の全国制覇に力を尽くしてゆく。そして、天正10年の本能寺の変に遭遇することになる。

その時藤孝は丹後宮津城におり数え49歳、嫡子忠興は20歳であった。

 

変の発生を藤孝に伝えたのは、細川家の重臣米田求政から書状を託された愛宕山の修験者、早田道鬼斎、

京の状況を聞いた藤孝は、備中へ出陣する途中の息子忠興の軍を宮津城へ戻し、城の守りを固めることにした。

そして、播磨の三木城の前野将右衛門へ事態の発生を知らせ、羽柴秀吉の動きを聞き出そうとした。

藤孝は情報収集にも細心の注意を払っていたのである。(藤孝は、秀吉の家臣前野に禁中行儀作法などを

指南していた)

光秀からの加勢要請はあったが、情勢を把握するまで保留した。そして、秀吉の動きと摂津の各諸将の動向を勘案し

決断した。天下は秀吉のものと。藤孝は剃髪して、家督を忠興に譲り、田辺舞鶴城に隠居した。

 

秀吉が京へ反転し、山崎の合戦で勝敗が決することにより、光秀は敗軍の将となり,坂本城へ落ち延びる途中、

落ち武者狩りに会い落命、あっけなく三日天下が終わる。(これは後付けで、実は生き残って天海になった

という話もあるが?)

この間に、忠興の妻(光秀の娘)玉の味土野幽閉の話もあった。

 

秀吉の天下になり、細川家は秀吉に優遇されたが、苦難は続いた。

秀吉の天下統一、そして朝鮮への出兵、関ヶ原の戦いと歴史上の出来事の中にも、細川家は何度も登場する。

その中に忠興の妻、細川ガラシャの自害もあった。

 

秀吉の九州征伐の時期、幽斎は丹後を出て、瀬戸内海を通って戻ってきたが、その際備後の鞆の津に立ち寄っている。

前公方足利義昭がそこにいて、義昭に会っているという。

かつて、公方であった足利義昭に臣事していて、仇敵信長へ走った武将が二人いる。光秀と藤孝である。

作者が義昭と幽斎の会話を想定して書く。

義昭「人間にとって大切なものは、世渡り上手ということであったよのう」

幽斎「恐れながら、それは時勢を見抜く慧眼かと存じます」

やがて、秀吉からの内意を伝えられ義昭は京都へ戻った。出家して昌山道休と名乗り、一万石の捨扶持を与えられ、

秀吉とともに宮中に参内して凖三宮に任じられた。いずれも幽斎が秀吉に働きかけたことだという。

 

和歌にも、有職故実にも長じていた幽斎はその知識を生かして、いろんな人脈を持っていた。

そのことが生き残りにつながったのであろう。そこからの情報を活かす戦略こそ、大事であった。

江戸時代の細川家は、忠興が妻ガラシャの出所である明智家の縁者、大奥の春日局を利用したという。

忠興がお福の就職の世話をしたという。元熊本県知事をした細川護熙氏の夫人が講演会で話されたという。

また、細川家は「家」を大事にして、廃嫡となってもその家を断絶させるのではなく分家として続けたという。

忠興の長男、忠隆の後裔に、昔時事放談という番組に出演していた「細川隆元」さんも15代目の子孫だという。

 

最後に、「細川家記」には幽斎自作の教訓和歌がたくさん残されているという。

読んでみると今でも大変役に立つと思う。

いくつかピックアップしておく。

・うちうちの主の言葉もらすなよ さしてかくさぬ事ならずとも

・客人の帰る後には笑ふなよ 別におかしき事はあるとも

・神仏信ずる心忘れずば 無実讒言まぬかれぬべし

・よき事は急ぎつとめよ延ばすまじ 命は時をまたんものかは

・奉公はわが身の為の奉公ぞ 人に奉公なすと思わじ

 

 

 

 

 

 

 

 

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