郷が杜備忘録

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「全1冊 小説 蒲生氏郷」(童門冬二著)を読む

2019-02-03 | 読書
「全1冊 小説 蒲生氏郷」を読む


  集英社文庫  2000年12月20日  第1刷発行
  この作品は、もとは1996年2月、学陽書房より刊行された「近江商人魂ー蒲生氏郷と西野仁右衛門ー」として刊行されたもの。
  蒲生氏郷は実在の人物だが、西野仁右衛門は近江商人をモデルに作者が独自に創造した人物。

  著者 童門冬二(どうもん ふゆじ)
  1927年10月 東京生まれ、
  1944年、海軍土浦航空隊に入隊するが翌年終戦。
  戦後は東京都庁に勤務、知事秘書、政策室長などを歴任。
  退庁後は、歴史小説やエッセイなどを執筆。


  日本の歴史の中で、戦国時代はたくさんの武将が現れ、領地を守るとともに、戦争に明け暮れた。
  その中から、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らが現れ、天下を手にしていった。
  彼ら3人の周りにもたくさんの武将が栄枯盛衰を積み重ねていったが、それらについてはたくさんの小説のなかでも取り扱われた。
  その中で、信長に認められ、秀吉とも天下を争ったとしてもそん色なかったと思われるのが、蒲生氏郷であった。
  しかし彼は、若くして病気で亡くなり(40歳)、その野望は遂げられなかった。
  しかし彼は、街づくりや産業おこしに手腕を発揮し、後の世にその影響を残した。
  その名残は、伊勢の松坂や東北の会津若松に残り、そして近江商人の活躍につながっていた。

  なお、この本は元の本にもあるように、蒲生氏郷とともに近江商人を扱っており、西野仁右衛門を通して近江商人の発生と
  その商売への取り組み方、そして妻や息子を通しての商売の発展の仕方にも注目して、描いている。


  蒲生氏郷 略年譜
  1556年 日野中野城(滋賀県蒲生郡中野町)に生まれる。
  1568年 織田信長が観音寺城を攻め、氏郷は人質となり、岐阜城に送られる。
  1569年 岐阜で元服、信長の娘冬姫を娶り、日野に帰る。
  1582年 6月本能寺の変により、安土城の留守居をしていた氏郷は、信長の家族を日の中野城に受け入れ籠城。
  1584年 伊勢松ヶ島城と12万石を賜る。
  1585年 洗礼を受けキリシタンとなる。
  1588年  四五百森に新城完成。松坂と改める。
 
  1590年 小田原北条攻めに出陣。8月会津42万石を与えられる。9月会津黒川城に入る。
        大崎・葛西で一揆が起こる。伊達政宗と協力して、一揆平定に当たることを命じられる。
        伊達政宗に謀反の疑いありと秀吉に訴える。

  1591年 2月秀吉の前で政宗と対決、政宗の旧領は没収される。 
        7月、九戸政実が反乱を起こす。9月反乱を鎮圧、政宗の旧領を加増され、73万4千石となる。
  1592年 会津に帰国、地名を黒川から若松に改める。新城の築城に取り掛かり、城下町の町割りを定める。    秀吉の朝鮮出兵にともない、名護屋に出陣、病を発する。

  1594年 領土の検地をおこなう。領土を92万石に訂正。
  1595年 40歳で、病のため京都伏見の屋敷で死去。
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