1.「『罪と罰』を読まない」
2015年12月15日 第1刷発行
株式会社 文藝春秋発行
著者 岸本佐知子 三浦しをん 吉田篤弘 吉田浩美
変な本である。「罪と罰」を読んでいない4人が、読まずに読書会を開くという本である。
私は学生時代に一度読んだことがあったし、外国文学の巨匠の作品であったので、有名な作家や
翻訳家の方が読まないでどういう話し合いをするのか興味があって読み始めた。
やはり、読まない座談会はおもしろくなかった。それぞれが勝手に想像して話しているので、私は
少しは内容を知っていたから違和感があった。
しかし、読んだ後の読後座談会の内容を見ると、やはり作家や翻訳家の方の見方は違うなあと
感心させられた。自分も読んだ気にはなっていたが、内容もうろ覚えだし、作品に対する捉え方も
全然未熟というかお粗末だったと思う。どうしても内容というか、あらすじを把握するのに手いっぱいで
書かれていることの意味にはなかなか気づかないと思った。
また、文学に関わる皆さんは、作品の中の表現の仕方や、登場人物の人物像などについて、独特の
捉え方をしているのに感心した。
とにかく、一度は読んだ気になっていたが、再度読んで皆さんの言っていたことを確認したくなった次第
である。
それから、この本の座談会のように仲間同士で内容について話し合える場や仲間がいるといいなあ
と思った。
〔読後座談会で気になったところ〕
・三浦さんは、ノートをとっていて、人物ごとに索引がついている。
・「セリフで説明方式」の書き方で読みにくかった、という意見。
・「罪と罰」の執筆年代は1865年頃。新選組の池田屋事件が1864年なので、日本でいえば幕末。
・みなさんニコルソン・ベイカー(ちなみに私はこの作家は知らない)の表現に似てると言っている。
・ソーニャは登場人物としては有名なのに意外と出番が少ない、しかし収容所では人気があり、
神がかりになったりする。
・この小説のポイントの一つは、マゾヒズムだと思う、と言っている。
・ラズミーヒンの役割と人物像にも、注目が集まっていた。
・ポルフィーリーがラスコーリニコフを尋問するところは、「刑事コロンボ」に似ている、と言っている。
・スヴィドリガイロフが素敵なので、スベ主人公の、別の小説を読みたい。
・「罪と罰」って結局、ラスコがやっと人になる、みたいな話だと思う。
・ラスコは、苦悩フェチ、哀れな境遇フェチである。甘やかされっ子で、田舎の長男って感じ。
・「罪と罰」は近代小説と現代小説の橋渡しのような気がする。変な小説だが、面白い、重厚だと思っ
たが、意外にそうではなかった、エンタメのようだった。
・ラスコは自己中心的でエリート意識があるが、すごい俺様で、小心者で、打算が激しい。
自意識過剰で中二病で、あとニート。どこまで行っても、「俺」しかいなくて、他者がいない。
自分の気分にとらわれすぎのセカイ系。でも愛すべきダメ人間の話ということ。
(三浦しをんさんの総括)
◎小説は、「読み終わったら終わり」ではない。余韻を楽しんだり、想像したり、ふとした拍子に細部が
よみがえったり、何度も何度も脳内で反芻する作品もある。
創作物はなんでもその行為を終え、作品が心の中に入ってきてからがむしろ本番というか、
その人が死ぬまで終わることのない行いだともいえると思う。
読むは終わらない。もしかしたら「読まない」うちからすでに始まっているかもしれない。
この本の参加者のプロフィール
①岸本佐知子 1960年生まれ、翻訳家。
②三浦しをん 1976年生まれ、直木賞作家。
③吉田篤弘 1962年生まれ、クラフト・エヴィング商会名義による著作とデザインの仕事をしている。
④吉田浩美 1964年生まれ、吉田篤弘氏と同じくクラフト・エヴィング商会名義による著作とデザイン
の仕事をしている。
2015年12月15日 第1刷発行
株式会社 文藝春秋発行
著者 岸本佐知子 三浦しをん 吉田篤弘 吉田浩美
変な本である。「罪と罰」を読んでいない4人が、読まずに読書会を開くという本である。
私は学生時代に一度読んだことがあったし、外国文学の巨匠の作品であったので、有名な作家や
翻訳家の方が読まないでどういう話し合いをするのか興味があって読み始めた。
やはり、読まない座談会はおもしろくなかった。それぞれが勝手に想像して話しているので、私は
少しは内容を知っていたから違和感があった。
しかし、読んだ後の読後座談会の内容を見ると、やはり作家や翻訳家の方の見方は違うなあと
感心させられた。自分も読んだ気にはなっていたが、内容もうろ覚えだし、作品に対する捉え方も
全然未熟というかお粗末だったと思う。どうしても内容というか、あらすじを把握するのに手いっぱいで
書かれていることの意味にはなかなか気づかないと思った。
また、文学に関わる皆さんは、作品の中の表現の仕方や、登場人物の人物像などについて、独特の
捉え方をしているのに感心した。
とにかく、一度は読んだ気になっていたが、再度読んで皆さんの言っていたことを確認したくなった次第
である。
それから、この本の座談会のように仲間同士で内容について話し合える場や仲間がいるといいなあ
と思った。
〔読後座談会で気になったところ〕
・三浦さんは、ノートをとっていて、人物ごとに索引がついている。
・「セリフで説明方式」の書き方で読みにくかった、という意見。
・「罪と罰」の執筆年代は1865年頃。新選組の池田屋事件が1864年なので、日本でいえば幕末。
・みなさんニコルソン・ベイカー(ちなみに私はこの作家は知らない)の表現に似てると言っている。
・ソーニャは登場人物としては有名なのに意外と出番が少ない、しかし収容所では人気があり、
神がかりになったりする。
・この小説のポイントの一つは、マゾヒズムだと思う、と言っている。
・ラズミーヒンの役割と人物像にも、注目が集まっていた。
・ポルフィーリーがラスコーリニコフを尋問するところは、「刑事コロンボ」に似ている、と言っている。
・スヴィドリガイロフが素敵なので、スベ主人公の、別の小説を読みたい。
・「罪と罰」って結局、ラスコがやっと人になる、みたいな話だと思う。
・ラスコは、苦悩フェチ、哀れな境遇フェチである。甘やかされっ子で、田舎の長男って感じ。
・「罪と罰」は近代小説と現代小説の橋渡しのような気がする。変な小説だが、面白い、重厚だと思っ
たが、意外にそうではなかった、エンタメのようだった。
・ラスコは自己中心的でエリート意識があるが、すごい俺様で、小心者で、打算が激しい。
自意識過剰で中二病で、あとニート。どこまで行っても、「俺」しかいなくて、他者がいない。
自分の気分にとらわれすぎのセカイ系。でも愛すべきダメ人間の話ということ。
(三浦しをんさんの総括)
◎小説は、「読み終わったら終わり」ではない。余韻を楽しんだり、想像したり、ふとした拍子に細部が
よみがえったり、何度も何度も脳内で反芻する作品もある。
創作物はなんでもその行為を終え、作品が心の中に入ってきてからがむしろ本番というか、
その人が死ぬまで終わることのない行いだともいえると思う。
読むは終わらない。もしかしたら「読まない」うちからすでに始まっているかもしれない。
この本の参加者のプロフィール
①岸本佐知子 1960年生まれ、翻訳家。
②三浦しをん 1976年生まれ、直木賞作家。
③吉田篤弘 1962年生まれ、クラフト・エヴィング商会名義による著作とデザインの仕事をしている。
④吉田浩美 1964年生まれ、吉田篤弘氏と同じくクラフト・エヴィング商会名義による著作とデザイン
の仕事をしている。