土光敏夫さんの名前をみて、読んでみようと思った。
土光さんで思い出すのは、「第二臨調」を仕切った人で、財界の大物にもかかわらずその私生活が清貧で、「メザシの土光さん」といわれたことです。
この本は、その土光さんを育てた母親「土光登美」さんとその息子「土光敏夫」さんのその生涯と言葉に関する本でした。
母の土光登美さんは、1871年岡山県生まれ、土光菊次郎さんに嫁ぎ二男三女を育てました。1924年に上京し、敏夫さん一家と同居、1942年神奈川県鶴見に橘女学校(現・橘学苑)を開校、1945年逝去。享年73才でした。
土光敏夫さんは、1896年岡山県生まれ。1920年石川島造船所入社、1946年石川島芝浦タービン社長、その後石川島重工業、石川島播磨重工業、東京芝浦電気の社長を歴任。1974年経団連会長。1981年臨時行政調査会会長として行革を訴えた。1988年逝去、享年91才でした。
この本には、土光さんの母が語った言葉がたくさん収録されていますが、それらは素晴らしいものですが、私には、土光敏夫さんが1986年行革審終結に合わせて発表した土光さんのメッセージが心に残りました。
その一部を抜粋しますと、
国民の皆様へ
行政改革は二十一世紀を目指した新しい国作りの基礎作業であります。・・・・
新しい世代である私たちの孫や曽孫の時代に、わが国が活力に富んだ明るい社会であり、国際的にも立派な国であることを、心から願わずにはいられないのであります。
行政改革を遂行する責任を負っているのは、政府・国会及び地方公共団体であります。政府が不退転の決意をもって行政改革を遂行され、国会が国権の最高機関として政府の努力を鞭撻するとともの率先して国会改革・政治改革に取り組まれることを、私は強く願っております。また、地方公共団体においても、自らの責任において行政改革に邁進されることを念願してやみません。
行政改革の成否は、一に、国民の皆様の支持と熱意にかかっております。私はより良き明日を拓くため、皆様が、政府・国会及び地方公共団体の改革努力を厳しく見守るとともに、たとえ苦しくとももう一段の痛みに耐えて、行政改革というこの国家の大事業を最後までやり遂げてくださることを、心からお願いいたします。
(『土光敏夫 21世紀への遺産』)
このメッセージを発表した時は、90才になる三か月ほど前、その後表舞台には出なくなり、1988年8月息を引き取った。明日8月4日が命日である。