鬼平犯科帳を読み進めていると、涙無くしては読めない話が数々登場する。
今日は、そんな話の一つを紹介します。
『寒月六間堀』
この話には、盗人は全く登場しない。
登場するのは、年老いた武士『市口瀬兵衛』。
この老武士、息子の敵討ちをするのだと言う。
男色の趣味を持つ『山下藤吉郎』と言う男に、一人息子を婚礼前に殺められたのだと言う。
郷里には年老いた妻があり、息子の仇討ちの成就を祈っている。
そんな老武士の身の上を知った平蔵は、今回は仇討ちの助っ人を買って出る。
平蔵は、心もとない老武士の態を見て…
『だが、いざとなったとき、この老人に相手に切りつける勇猛心が、果たしてあるだろうか……?』
と思う。だが老武士への同情とは別に、
『いざというときの、この老人を見てみたい』
と興味を覚えたりもする。
そして、いざ敵討ちの時が来た。
瀬兵衛老人の痩せこけた両肩が、震えているのを、平蔵は優しく何度も撫でさすってやりながら言うのである。
『御老体、これは私も経験のなきことながら、死ぬるということは、おもいのほかに簡単なものらしい。いざともなれば、すこしも恐ろしくないそうな』
平蔵が老武士を励ますと、老武士の震えは止まり、『躰中が、かっかとしてまいって……』となるのである。
年老いていたとは言え、旅の空で鍛えられた老武士の足腰はしっかりしており、仕事と欲にまみれた生活を送っていた山下藤吉郎を見事に討ち取った。
内容は勿論だが、平蔵の老武士を思う心にジンと来るのである。
平蔵の人情が、言葉の端々から身に沁みて感じられる。
思わず涙しそうになる話だった。