鬼平犯科帳を読み進めていると、涙無くしては読めない話が数々登場する。
今日は、そんな話の一つを紹介します。
『寒月六間堀』
この話には、盗人は全く登場しない。
登場するのは、年老いた武士『市口瀬兵衛』。
この老武士、息子の敵討ちをするのだと言う。
男色の趣味を持つ『山下藤吉郎』と言う男に、一人息子を婚礼前に殺められたのだと言う。
郷里には年老いた妻があり、息子の仇討ちの成就を祈っている。
そんな老武士の身の上を知った平蔵は、今回は仇討ちの助っ人を買って出る。
平蔵は、心もとない老武士の態を見て…
『だが、いざとなったとき、この老人に相手に切りつける勇猛心が、果たしてあるだろうか……?』
と思う。だが老武士への同情とは別に、
『いざというときの、この老人を見てみたい』
と興味を覚えたりもする。
そして、いざ敵討ちの時が来た。
瀬兵衛老人の痩せこけた両肩が、震えているのを、平蔵は優しく何度も撫でさすってやりながら言うのである。
『御老体、これは私も経験のなきことながら、死ぬるということは、おもいのほかに簡単なものらしい。いざともなれば、すこしも恐ろしくないそうな』
平蔵が老武士を励ますと、老武士の震えは止まり、『躰中が、かっかとしてまいって……』となるのである。
年老いていたとは言え、旅の空で鍛えられた老武士の足腰はしっかりしており、仕事と欲にまみれた生活を送っていた山下藤吉郎を見事に討ち取った。
内容は勿論だが、平蔵の老武士を思う心にジンと来るのである。
平蔵の人情が、言葉の端々から身に沁みて感じられる。
思わず涙しそうになる話だった。
今週末はぶらぶらと散策をした。
土曜日には、鬼平の史実上の菩提寺であると言われている『戒行寺』に行った。
菩提寺と言っても、墓碑は無いらしい。
同心何名かと併せて記念碑が建てられている。
あるブログの記述によると、墓碑は杉並区の妙法寺にあると言うではないか。
調べてみたい
『だから、人のこころの底には、なにが、ひそんでいるか、知れたものではないというのだ』
平蔵は哀しげに笑って、
『ひょんなことで、このおれだとて、そうしたことをするやも知れぬ』
昨今の異常な事件に、怒りを覚えつつも、平蔵と同じ事をふと思うのであった・・・。
一体、人はいかほどまで精神を正常に保て得るものだろうか・・・。
常に心を平穏に保ちたいもの・・・。
平蔵は哀しげに笑って、
『ひょんなことで、このおれだとて、そうしたことをするやも知れぬ』
昨今の異常な事件に、怒りを覚えつつも、平蔵と同じ事をふと思うのであった・・・。
一体、人はいかほどまで精神を正常に保て得るものだろうか・・・。
常に心を平穏に保ちたいもの・・・。
平蔵は曲折に富んだ四十余年の人生経験によって、思案から行動をよぶことよりも、先ず、些細な行動をおこし、そのことによってわが精神(こころ)を操作することを体得していた。
絶望や悲嘆に直面したときは、それにふさわしい情緒へ落ちこまず、笑いたくなくとも、先ず笑ってみるのがよいのだ。
すると、その笑ったという行為が、ふしぎに人間のこころに反応してくる。
(鬼平犯科帳3『兇剣』より)
俺も体得したいものだ…。
絶望や悲嘆に直面したときは、それにふさわしい情緒へ落ちこまず、笑いたくなくとも、先ず笑ってみるのがよいのだ。
すると、その笑ったという行為が、ふしぎに人間のこころに反応してくる。
(鬼平犯科帳3『兇剣』より)
俺も体得したいものだ…。