関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

【まさか❕❔】 アメリカ惣菜食文化のアイコン、あの箱状テイクアウト容器に描かれた"四重塔"のモデルが⚡実は…

2022年01月15日 | 日記

わたしは14年半前の2007年12月、日本のSNS界に初めて「米国映画やドラマで おなじみの(惣菜テイクアウト用の)四角い紙容器はFold-Pak®という商品名で出回ってます」という紹介をした。

今夜は13年半ぶりに、「その続編的な」話題を振りたいと思う。次なる着目点とは ズバリ…


…ってぇコトだ。大部分の人は無意識に最初っから「メイン用途が、中華メニュー屋台からの持ち帰り容器だぜ。そりゃ中国のどっかの古寺だろさ」とでも思い込んでるんじゃ💧ないだろうか。

いやいや❕ 実は、違うんである。

何なら画像🔍検索を「中国 仏塔」でかけてもらえばワカる通り、古来の中国で発展した仏塔は塔身の周壁が円形または八角形を成してて、屋根の縁(へり)の多くはまさに中国調にグイっと天に向かい反り返ってる。唐代には正方形な断面を成す仏塔も建てられたが、それらは石壁や土壁を基本としていた。容器のイラスト画にあるような、木造ゆえに柱や梁が認められる「日本式の」仏塔ではない。

↓ ディズニーが運営するテーマパークEPCOTにおける中国館・日本館にみる仏塔の特徴
 

唯一の例外が蘇州寒山寺で1992年から設計着手、95年に建立された新造仏閣である普明宝塔

国内向けの観光ガイドには「唐代の楼閣式仏塔(西安/大雁塔など)を木造で模した、大胆で斬新なデザインを採用……だ❔などと屁理屈コネて自画自賛してる💧が、違うだろっ。誰がどう見たって「唐代の楼閣」なんかより「日本定番の五重塔」に近い。日本ガラパゴス式な仏塔を1300年越しに"逆輸入"して「わざわざ似せてみた」と思わずにはおれん

↓ 中国蘇州の普明宝塔【左】と法隆寺の五重塔【右】


ここまで卑屈なデザイン模倣に走った魂胆は「インバウンド収入を見込んだこと」以外にあるまい。あたかも日本の五重塔ぽく見せた方が、当時すでに寺のドル箱であったアメリカ人観光客からのウケが良いのだ。きょうびの言い方なら、バエるのでパクった」ってんであろう。

ここ最近のアジアンヘイト感情……その過激化の"突発"感とは違って、西欧人によるジャポンかぶれや日本情緒趣味への傾倒トレンドはゆる~く徐々に19世紀後期から続いてた。1915年のサンフランシスコ万博における日本パビリオンには五重塔も建造され、閉会後にはゴールデンゲートパーク日本茶園に移築される。太平洋戦争で園の日本人プロデューサーは強制収容所に送られ所轄は在米中国人の手に渡ったものの、塔は戦禍や黄禍の荒波を越え2021年現在も なお健在だ。


この塔は上掲写真のように、塔ほぼ全体がファインダーに収まるベストアングルで撮ったとき(最下の階層部分が写らず)4層建築みたく撮れてしまう。紙箱のイラストが何気に五重塔でなく四重塔に描かれちゃってる💧のも、現代アメリカ市民に「この名所の観光ガイド画像や記念写真」による刷り込みが沁みついてる❔ ことと無縁じゃないかも。

いや、早合点せんでくれ。


わたしはまだ、この(アメリカでも由緒ある建造物として市民権を得てる)日本茶園の五重塔こそが、Fold-Pak®イラスト画の「直接のモデルだ」とは言ってない。もっと合理的に確信できる、アメリカからの日本ツアー客にとっての人気スポット……そこに建つ仏塔こそが「この絵のモデル」と思われるからだ。その全容を最後に開陳しよう。

イラスト画が描かれたのは、実は70年代だった。

紙箱パッケージ自体の特許が登録されたのは、1894年。ただ、じきに大戦が続いたり製法上の障壁(ボール紙への防水コーティング技術の未確立)が在ったりで、すぐに紙容器ビジネスとしちゃ開花しなかった。

風向きが変わるのは半世紀を経た第二次大戦後、それも50年代あたりから。

家電の大幅普及で既婚女性の社会進出も進展。白人中流層にまで共働き世帯が増え、外食サービス分野での熾烈な陣取り合戦が始まった。この競争激化のなか、全米各地で食堂経営者などが食品スーパーに対抗。「残業するサラリーマン、帰宅するカップルが(店で調理した)軽食や惣菜を持ち帰れるように」── すなわち、テイクアウト商法に乗り出す。

米国スーパーでは 4~50年代にレトルト缶詰、60年代に元祖の冷凍食『TVディナー』が登場
ファーストフード店にも圧される当時のダイナー(食堂)店主たちに、切実な危機↓ と映った…


持ち帰りニーズの沸騰で、件の紙加工メーカーには注文殺到。類似品を造る動きも起きたことから1977年には、晴れて商標‘『Fold-Pak®』の登録となり、社業は(創業後かつてない)快進撃を加速するのだった。箱側面にパゴダ(仏塔)のイラスト図案を追加するのも実は、この頃になっての話なんだそうだ。【→ 情報の出典元:英文サイト

50年代と言えば、派遣される米兵を筆頭に(占領時代と変わらず)幾千の米軍関係者が入れ代わり立ち代わり日本に駐留してた。

朝鮮戦争が起き、在日米軍基地が後方支援の要衝になったからだ。64年の東京五輪成功で列島改造が本格化。アメリカ兵家族のみならず、民間人ツアー客による日本観光がいっきに進むこととなる。中国本土は宿敵の共産圏。朝鮮半島や東南アジアの治安情勢が底を這ってた70年代、当然「アジア観光を堪能するならJAPAN」という一択しか残されない💧

当時も、(米国発ツアー客の)JAPAN名所の一番人気は王道「京都&奈良」。世界に知名度を誇る景勝地「フジヤマ周辺」も健闘こそしてたが、今ひとつバエきれてなかった。そこへの抜本的テコ入れも兼ねて、第一には戦没者の慰霊。二の次なれど「欧米からのさらなる観光ニーズ喚起」にも配慮、新たに❕ 設計創建されたのが、1959年オープンの『新倉山浅間公園』(富士吉田市)。

で1962年、戦没者を鎮め祀るシンボルとして建てられたのが「イラスト画の主たるモデルとも成った」この新倉富士浅間神社『忠霊塔』だったのだ…❕ [→ 建立の経緯は、こちら]


解説しとくぞ。この塔こそが紙容器イラストのモデルだったと結論づけられる理由は、主に三つ。

(1)イラストが描かれたとされる70年代末には、すでにアメリカ刊行の観光ガイド本にも載る「隠れ人気スポット※」、ジグソーパズルのテーマ風景にも採用されてたこと。(※21世紀の今は駐車場も拡張、登坂歩道も整備され、海外客の多くが知る定番コースに。試しに「chureito pagoda」の英字サーチを掛ければ、山ほどの海外サイトがヒットしてくることから疑うべくもない)。

(2)鉄筋コンクリート製ゆえ、(同イラストに見られるように)朱塗りの柱に白壁…という紅白のコントラストが極めて鮮明であること。日本茶園の五重塔は、ここまでクッキリと鮮明じゃない。

で最後、三つめが決定打🔨なのだが……

(3)イラストにも現地にもあるように塔の土台=基壇の、(数段の低い)正面石段の前をいきなり鉄柵で仕切ってる!?などという趣向を持つ五重塔は、世界広しと言えど💧 ここだけであること…っ❕ (ドヤ顔)


なぜってココ、実体が寺の仏塔じゃなく、日本神道の所轄する戦没者合祀のための慰霊碑。真相は単に、大阪四天王寺の五重塔を模したコンクリ碑なんだから、扱いは「神殿や神棚」に準じなきゃ。

塔内に祀って(=納めて)あるのはご神体でなく、戦死された英霊の遺骨。日頃より掃き清めて立入禁止で、然るべき参拝の対象とせにゃアならん。だから防柵で囲った。ホントの仏塔なら💧 あり得んことだ。

昭和中期に「Chureito Pagoda」などと誰が最初に(英訳して)海外に紹介したか知らんが、曲がりなりにもPagodaと称すもんだから💧 誤解が起きた。

Fold-Pak®に”仏塔”の絵が描かれたのは、米中国交正常化(1979年)以前のこと。当時 同社に雇われてたグラフィックデザイナー君は、「在米中国人たちの郷里の風物」など知らん。物心ついた頃には中国とアメリカは断交してた。ネットも無いから共産国家の風景など知る由も無い。

欧米各社によるジグソーパズル商品↓ に採用されてきた忠霊塔。これら"定番"画像でも「四重塔」に見紛(まが)いやすい

そんな状況下、デザイナー君自体が(余暇とかに)訪日して忠霊塔に足を運んだか、それとも塔を観てきた知人の口伝(くちづて)からか、はたまた絵葉書でも見たのか……ともかく「中華なイメージ画」として日本の五重塔もどきな建築物をFold-Pak®に描いたのだった。

おおかた「Pagodaってからには、中国の仏塔も日本の仏塔も たいしてそう変わらんだろ。どうせ、フランスとドイツの古城ほどの違いでしかない」とでも❔ 思ってたんだろな。

Chureito Pagoda in Fujiyoshida, near Kawaguchiko, Yamanashi. Japan

注文した中華ダイニングの店長も、内心「これ中国ぢゃない」って印象は持ったかも。でもま、大多数の客である白人や黒人に「エキゾチック」とさえ映れば、遠回しに客寄せ+α の効果は出てる。いちいちツッコむほどの問題はあるまい^^;と、ほぼほぼスルー。特段、クレームの渦に巻き込まれもせず、気づけば(全米発売から)半世紀を過ぎてた💧 ってか。

厳密には、よくトラブルにならなかったモノ。

だってアレだぞ。ここの忠霊塔には、日中戦争で栄誉の戦死を遂げた日本兵も祀られてんだ。攻め入られた側の中国人にしたら、ぶっちゃけ《ミニ靖国》みたいな報国思想に根ざした合祀モニュメントなんだ。そのイラスト画が、彼らの誇る中華料理の販促マスコットみたく堂々(テイクアウト容器に)プリントされまくってたら、フツーは「気分を害し」そーなもんだ。

だからなのか、今では「イラスト入りFold-Pak®」のなかにも、従来の四重塔じゃなく、真に「唐代の楼閣式仏塔」を模写したタッチの挿絵バージョンも用意されているらしい。


=了=

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(日本では)ほぼ無名モデル💧: 脳髄の芯からトロけさすロシアの美少女、オレシヤ・ハリトノワ(Олеся Харитонова)嬢のこと。

2022年01月11日 | 日記

ニートな中高年サバイバーには生涯、盆も正月も無い。だからフツーに、しれっと新年の挨拶などヌキに日常をブログし続けてく。

今年は冬季オリンピックイヤー、まもなく北京五輪の開幕だ。

氷上競技の華、フィギュアスケート界にあって、ロシア女子選手の「現役生命」は儚くも短い。わずか4年とか5年で世代交代してしまう。

で、ロシアってお国に関しちゃ、妙齢女性の短命職業は何もフィギュアだけに限らない。ウクライナと並び称賛される「白人美女の特産地」であるからして、モデル業界も熾烈な下克上にさらされる。西欧での猛修行を課されるトップモデル嬢のレベルでならイザ知らず、ちょっとインスタ映えしたくらいでプチブレイクする(きょうびのネット社会ならではの)アマチュアモデル、フォトストックモデルのレベルだと、大多数の若手は数年で99%が淘汰され消えちまう。

きょう取り上げるのは、そうやって「消えてった99%のひとり」オレシヤ・ハリトノワ(Олеся Харитонова)だ。


ちょっとJ・バーキンぽさの入った童顔"モデル"さんで、地元ロシア内で沸いたネット人気のピークは2012年頃❔ だったか。この愛くるしさは、世のモテない男子のロリコン脳を3秒で融解させるに十分だ。

モスクワ在住。1993年12月23日(いわゆる X'masイヴイヴ)の生まれだから、実年齢18歳ごろ💗の話。彼女の初々しい画像はスマホ用の無料壁紙として、世界(のロリ傾向なオトコどもに)いっきに拡散するコトと相成った。








おお、神々しい…❕❕(溜め息)

否が応でも高まるシェア浸透度を受けオレシヤ嬢、2014~5年頃にはロシア版フェースブックやインスタグラムを介して、私生活も丸出しな💧 芸能人まがいの「リア充アピール」投稿に明け暮れるようになる。大卒記念の写真(右)に写る彼女の右手指には、いかにも芸能セレブばりに💎高価そうな指輪も。彼女のナニ不自由しない至福オーラに満ちた学生生活ぶり、コンマ1%でも恵み分けてもらいたかったな(哀w)


だが、である。

そんな彼女のモデル稼業の痕跡も、2020年(26歳時)撮影の下掲フォト辺りを最後に、パッタリ❕❔ 潰(つい)えてしまうのだ。
 

実質、”活動期間”はたった8足らず。

おおかた結婚出産を経て引退してしまったか、華やかな業界に嫌気さすトラブルでも抱えたか、その程度の"加齢"で早くも人気が翳って仕事が減ったのか。

真相は窺(うかが)いようもないが、とにかく現在(いま)となっては彼女の"公式な"フェースブック・ページもインスタグラム・ページも、アカウントが削除されて存在しなくなってしまった。

年明け早々から湿っぽい話題だが、ナニ構うものか。そんなんで何が悪い。

この日本社会だって「やはり良い年など妄想の概念であって」世知辛く、目をそむけたくなる暗い事件ばかりが連日、起き続けてる。その息苦しい空気感に鼻下まで漬けられつつ、自分の絶頂期もバブル前の数年しか続かなかった虚しさを思い返し、そんな地獄の底にさえ夢を見るとすれば、つかのま華やかだったオレシヤの「脳髄トロかす魅惑の残像」に、こうやって今夜も手向(たむ)けの酒を傾けるくらいしか無いのである。これぞ人生、人生に乾杯。
=了=

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