文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

ナチス・ドイツが悪の帝国で、ヒトラーがその悪の首魁であるとして、軍国日本が悪の帝国で、昭和天皇がその悪の首魁であるとするような解釈をさせておいてよいのか。

2020年06月22日 22時46分37秒 | 全般

以下は前章の続きである。
日本はナチス・ドイツのアジア版なのか 
だがここで問いたい。
私たちはいつまでも、あの戦争はデモクラシー対ファシズムの戦争で、勝利した連合国側が正義だったという図式にそのまま従っているだけでいいのか。
自由民主主義と人民民主主義を同一カテゴリーに入れて、歴史を裁断するようなことをしてよいのか。
私たちの子供が「習近平主席が説くと同じような歴史観をわかちもて」といわれても大丈夫なのか。
ナチス・ドイツが悪の帝国で、ヒトラーがその悪の首魁であるとして、軍国日本が悪の帝国で、昭和天皇がその悪の首魁であるとするような解釈をさせておいてよいのか。 
その際、ナチス・ドイツと日本帝国の質的な違いは何だったのか。
戦争中の連合国側は一般に日本事情に通じないこともあって、ナチス・ドイツとの類推によって日本帝国を理解しようとしたことはすでに述べた。
昭和天皇を日本のヒトラーとみなしたごときもそれである。 
しかし私はそのような疑問を呈するとともに、さらに立場を逆転させて、次のような質問も呈したい。
では従来の「東京裁判史観」といいならわされてきた戦勝国側の歴史認識に疑問があるとして、だからといってあの戦争は大東亜解放のための正義の戦争だったと言い切れるのか。
そんな修正ができるのか。
「あの戦争」とはそもそも何だったのか。
この稿続く。


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