文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

裁判官や櫻井さん、そして櫻井さんを応援する人々を威圧する目的で用意したのでしょう。

2020年12月22日 08時02分48秒 | 全般
以下は前章の続きである。
この章には私を含めた日本国民の大半が始めて知る重要な事実が記載されている。
国際社会に取っても重要な事実である。
特にドイツ国民、就中、ベルリン市ミッテ区の左翼系議員達が知らなければならない事実である。
見出し以外の文中強調は私。
100人以上の大弁護団
阿比留 
植村氏は記者会見で、「杜撰な取材で事実に基づかない文章を書いた」と櫻井さんを批判していました。
櫻井 
植村氏の記事を批判するにあたって、本人に直接取材する必要はありません。署名入りの記事を書き、もしくは実名で論評する以上、それが世に出た時点でいかなる評価も批判も一身に受けるーそれが言論人の覚悟というものです。
阿比留 
植村氏は西岡力さんにも訴訟を起こしている。
櫻井さんと同じく、「捏造」が名誉棄損に当たるというものです。
同様の案件にもかかわらず、西岡さんは東京で、櫻井さんは札幌で訴えられた。
どんな意図があったのでしょうか。
櫻井 
裁判の場所を決めるにあたっては、証拠との近さや被告の所在地が大きな要素となるそうです。
私も東京に住んでいるし、出版社も東京にあるし、植村氏には東京在住の弁
護士もついている。
札幌地裁が当初、東京地裁への移送を承諾したのは当然です。
ところが、人数については正確に知らされていませんが、植村氏側が札幌で署名を集めたこともあって、最終的に札幌に決まってしまったのです。 
植村氏側が札幌を切望した理由の一つに、植村氏はそれほど豊かでないから旅費を賄うのが大変だ、というものもあったと、私は聞かされました。
しかし、植村氏は東京や韓国を飛び回って講演や集会を開いています。
阿比留 
櫻井さんは2016年4月と2018年3月の2回、それぞれ第1回口頭弁論と本人尋問で札幌を訪れました。
櫻井 
札幌地裁には、植村氏を見守ろうと傍聴券を求める支援者たちが列をなしていました。
入廷すると、すでに傍聴席のほとんどが植村氏の支援者で埋め尽くされ、弁護士が5人ほどしかいない私たち被告席とは対照的に、原告席には30数名もの大弁護団が陣取っていました。
そして裁判の前後には、植村氏が弁護人や支援者を集めて集会を開いていました。
政治運動の一環として司法が利用された側面もあるでしょうね。
阿比留 
植村氏の弁護団は、総勢100人を超える規模でした。
通常の裁判ではまったく必要ない人数ですが、裁判官や櫻井さん、そして櫻井さんを応援する人々を威圧する目的で用意したのでしょう。
黒幕の正体
櫻井 
植村氏に限らず、慰安婦問題などで反日キャンペーン活動を行ってきた人たちが、それを批判した学者や言論人に対して裁判を起こすケースが目立ちます。中央大学名誉教授の吉見義明氏は日本維新の会の桜内文城元衆議院議員に「捏造」と指摘されて訴訟を起こして負けました。
阿比留
吉見氏はすでに破綻した「慰安婦=性奴隷」説をいまだに主張していますね。櫻井 
ほかにも、弁護士の高木健一氏は西岡力氏を名誉棄損で訴えて敗訴しています。
阿比留 
高木氏といえば、社民党の福島瑞穂党首らとともに韓国で賠償訴訟の原告となる元慰安婦を募集し、弁護人も務めました。
植村氏は、高木健一氏の事務所に若いころから出入りしていたとも語っている。
櫻井 
訴訟を起こして反論を封じるためのネットワークが出来上がっているのではないかと考えてしまいます。
阿比留 
ちなみに私は海外取材で、高木健一氏の名前をたまたま2度も耳にしたことがあります。 
1度目は、1996年にインドネシアの首都ジャカルタを訪れた時のこと。
日本政府への賠償要求のために元慰安婦の登録事業を進めていた民間団体を取材しました。
日本軍政時代に軍の雑用係を務めた「兵補」からなる「元兵補中央協議会」という組織ですが、事務所にはなぜか日本人支援者らによる「反天皇制」「国連平和維持活動ノー」と記された寄せ書きがあった。
なぜこんなスローガンが掲げられているのか、不思議に感じたのを覚えています。
そこで会長が、「東京の高木健一弁護士の指示を受けて始めた。『早く進めろ』との催促も受けた」と、高木氏の直筆の手紙を示して話してくれました。櫻井 
2度目はとこですか。
阿比留 
1999年のロシア取材です。
戦後も現地に留め置かれた残留韓国人の帰還事業に関する対日要求について、サハリン高麗人協会の会長に話を聞くと、「東京で大きな弁護士事務所を開いている高木弁護士が、『もっと日本から賠償を取れるから要求しなさい』と教えてくれた」と暴露してくれた。 
インドネシアでの取材後には、高木氏に電話でコメントを求めました。
「産経はけしからん。訴えてやろうかと思っている」と言われたので、インドネシアで元兵補協会会長に会ってきたと話した。
すると、ガラッと態度を変えて焦り始めた(笑)。
スター記者に憧れていた?
櫻井 
同じ新聞記者という立場の阿比留さんにお聞きしたいのが、そもそも植村氏はなぜ捏造記事を書いてしまったのかということです。
阿比留 
本人のみぞ知る、ということを前提に話しますと…。 
植村氏の義母である梁順任氏は、慰安婦に対する賠償を日本政府に求めた活動家です。
身内の利益のために捏造記事を書いたのではないか、という見方もあります。しかし、彼はインタビューで「結婚前から慰安婦取材をしていた」と語っている。 
インタビューしていて感じたのは、彼は慰安婦問題自体にさほど興味がないのではないかということ。
あくまで憶測ですが、日本軍の罪を暴く記事を書けば朝日新聞の論調に合ってスクープの価値が上がり、社内で評価されるーそんな安易な発想で捏造に手を染めてしまったのではないか。
つまり、スター記者になりたかったのかもしれません。
櫻井 
1991年、朝日新聞は慰安婦問題で大キャンペーンを展開していました。
その仕掛人ともいえるのが、植村氏の上司の北畠清泰氏(当時、大阪本社企画報道室長)にほかなりません。
大型連載「女たちの太平洋戦争」を主導したのも彼です。
当初、日本軍の“悪事”を探そうと読者の体験談を集めましたが、ロシア兵や中国兵の蛮行を報告するものが多く、日本軍の悪い話がない。
そんなところに浮上したのが、日本軍による朝鮮人女性の連行という虚偽報道だったのではないでしょうか。
阿比留 
そう考えれば、植村氏は単なる駒だったのかもしれません。
この稿続く。

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