お盆で故人を偲ぶと言うのは、風習としてあるけれど、東京生まれ東京育ち、祖父母のお墓が遠方であり、実家には仏壇もなかったしで、嫁いで初めて春のお彼岸、お盆そして秋のお彼岸、年に3回以上お墓参りするという習慣を知り、世の中はそう言うものなのかと思い知りました。無知な子孫とご先祖様が呆れている事でしょう。ところが四年前に母が他界した事から急にお墓の事や仏壇が身近な感じになり、ついでに自分が死んだ後のことや、残された人の気持ちなどを考えるようになり、今更ながらに死ぬ事についてあれこれと思いを巡らせるようになりました。かと言って明日の事もわからぬ私達にとって、いつなのか?どのようになるのかは測ることが出来ず、結局のところ、物理的にも経済的にも子供達に迷惑をかけないで往きたいぐらいしか思いつかないのでした。
幼い頃にたくさんの愛情を受けたのに、一人で大きくなったような顔をして嫁いでしまい、子育てと生活に追われて、老いた母に感謝どころかお小遣いをもらっていた自分。80歳まで働いて働いて、ホームに行く状態になった母。寝たきりになって10年、軽い認知症になっても私に「お金は大丈夫?」と聞いてきた母。
そんな母にお盆で会えるならなんて、勝手なことを願う私です。死ぬことは怖いけど、母にまた会えるなら、怖いことじゃないかもしれないなんて、今日も楽天的に生きてます。
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