更新される信長像:あるいは私たちの虚像はどのようにして作られるか

2020-07-31 11:59:49 | 歴史系

 

 

 

 

うーむ、なるほど。要するに織田信長は「室町時代という旧秩序が崩壊した後に出てきた戦国時代を終わらせた英雄」として旧秩序の破壊者&新秩序の創設者としてイノベーターのような評価を後世にされた結果、その虚像を元が膨らんで信長の行動=旧秩序の破壊として解釈される、という流れが20世紀までは主流だったわけだな。しかし、江戸時代に成立した二次史料や軍記物ではなく、同時代の一次史料を元に当時の慣行などに照らし合わせながらその行動や言行をつぶさに見ていくと、むしろ旧秩序に忠実な信長という像が浮かび上がってくるってわけだ。これは非常に興味深い(戦国時代の人物像やエピソードの多くが、実は江戸時代の軍記物に由来することはよく知られている。というか、その頃に生み出された「義経伝説」などが今なお延命して取り上げられることは、驚きとともに、その影響力の大きさを感じさせる一例であろう。ちなみにこういう現象は、『三国志』ではなく、それより1000年以上後に書かれた小説『三国志演義』の記述があたかも事実のように流布していたりするのと似ている)。

 

こういった「結果からの逆算」や「ぼんやりとしたイメージの拡大解釈」は、実のところ多くのものに見られる。それで私が思い出すのは、高校代の世界史の正誤問題である。

 

具体的には

「ドイツ農民戦争が起こると、農民の境遇に同情したルターは一貫して彼らを支持した」

という問題だが、周知のようにこれは誤りである。というのも、ドイツ農民戦争が勃発した時、農奴たちの過酷な状況に彼が同情的態度を取ったのは事実だが、その戦争が生活改善の要求から旧秩序(封建社会)の打破へと変化した時、彼はむしろ農民側を非難し、弾圧を正当化したからである(そして「裏切り博士」と呼ばれるようになる)。

 

記憶の限りでこれは典型問題とされていたのだが、とするなら、どうしてこれは「典型」たりえたのだろうか?そう考えてみると、マルティン=ルターとはカトリック教会の贖宥状販売を批判し、信徒が聖書を読んで直接神と繋がることを提唱した人物であった。そして、旧秩序の破壊者であるがゆえに、封建社会という別の旧秩序についても、批判的であろうというイメージ(思い込み)を利用したのがこの正誤問題なのである。

 

ルターのことを多少知っていれば、いかに彼が保守的な人物であるかというのはよくわかる。しかし、「宗教改革を行った人物」というイメージが独り歩きすると、このような拡大解釈・思い込みが惹起してしまうのである(念のため言っておくと、当時の彼はザクセン選帝侯に庇護される立場であり、そんな彼がパトロンの地位を否定するような言説に乗れるはずもない、という事情もあるが)。

 

要するに、「断片的な知識を元にレッテル貼りをしてしまう」というのはある程度広くみられる現象であり、だからこそ慎重に様々な要素を準備して分析していく必要があると言えるだろう(そもそも論として、「Aというものを食べたら不味かったので、もうAは食べない」という行動のように、1つのものを拡大解釈するという行為は日常でしばしば行われているだけでなく、不利益を避けるための合理的側面もあるため、決してこの傾向から免れることはできない。ゆえにこそ、意識的に掉さす営為が不可欠と言える。そうでなければ、今しばしばいわれているように、ネットのサイバーカスケードに代表されるような分断はどんどん進みこそすれ、解消に向かうことはないだろう→新反動主義の必然性)。

 

以前、私は「歴史を学ぶと謙虚にならざるをえない」という趣旨の話を書いたことがあるが、それはすなわち、事象や人間という複雑な糸の絡み合いを目の当たりにすることによって、自分を含めた人間という存在が、いかに「合理的・論理的に間違いを犯すか」という実例を様々見ることができるからである(それは自分の歴史像や人物像の浅はかさを知るという意味もあるし、自分が合理的・論理的と思った判断が実は当時も行われていて散々に失敗していた例や、諸々の制約のために上手くいかなかった例を実見するという意味もある。なお、この反対に位置するのが陰謀論である)。

 

この問題は、日本人の無宗教(や宗教的帰属意識)と、それにまつわる言説を見ていてしばしば思うことでもある。私たちの「日本人とは・・・である」という自己認識は、実のところ極めて脆弱な土台の上に立っているに過ぎない。それは宗教への態度時間感覚、労働への観念(cf.『徳川時代の宗教』)、権力・権威の概念、民衆の「抵抗運動」と契約概念(cf.『一揆の原理』)など枚挙に暇がない。

 

この信長に関する新たな言説を一つの奇貨として、自分も(曲学阿世の徒にならぬよう注意しつつ)日本の歴史像というものを再考する機会としたいものである。


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