松本人志に関する性加害報道について:彼(ら)は何を誤ったのか?

2024-01-14 11:24:10 | 感想など

 

 

 

 

さて、松本人志による性加害疑惑の報道もある程度まで情報が出てきたので、ちょっとここで私見を書いてみたい。

 

・「週刊誌が報じた=そのまま真実」ではない

・松本や吉本側は「事実無根」として裁判にて争う構え=論争的な問題になった

というのが最初の最初の状況で、この段階なら推定無罪ということも含め、一旦「イーブン」という見方がしやすかっただろう。

 

もちろん、すでに2023年ではジャニーズ問題宝塚の騒動大手マスメディアの隠蔽といった具合に、閉鎖的空間・組織における脱法的振る舞い・非倫理的振る舞いがこれでもかと報道されたし、かつ松本自信が様々な豪遊の話をしてもいたので、聞いた人たちの印象としては始めから「松本よ、(やはり)お前もか」となりやすかったと予測するし、それは被害者たちが週刊誌に8年経って訴え出た背景の一つでもあるだろうとは思う。

 

さりながら、この状況であれば、前述したように、片方に寄る言説を諫める正当性はまだ担保しやすかったのではないだろうか(まあ始めから結論ありきでいる人たちに論理的な話で説得が可能かどうか、というのはまた別の問題としてあるが)。

 

しかし、ここにきて松本側がおかしな動きをするようになる。つまり、「とうとう出たね」に象徴されるラインのスクショなどを出すことで、「反撃」に出始めたのである。なるほど確かに、相手の発言に妥当性がないと主張する自由は当然あるし、そうしたくてしょうがないだろうとはまあ推察するが、この場合だとしたら「事実無根」とは一体何だったのか?という疑義が生じることになるだろう。

 

早い話、「そういう会は存在していた」「しかし合意は得ての性行為であり、性暴力として告発されるのは少なくともこちらの認識とは異なる」という最初の説明から入っていたなら、「断り切れるのか問題」はもちろん反論の余地としてあるとしても、先の情報は(少なくとも今よりは)それなりに妥当性のあるものとして捉えることも可能だったろうと思う。

 

しかし実際には、「事実無根」で訴訟すると啖呵を切ったにもかかわらず、そこからちまちまと女性からのラインを公開する行為をやってしまった(その他関連する芸人たちの発言もあるが、ここでは一旦割愛する)。これは何か問題が起こった時、追い詰められて不都合な情報を小出しにしてしまい、不信と怒りが手を取り合った状態の人々により、一層厳しく非難・追求されるのと似ている。

 

そしてこういう姑息な手口が大きく第三者の印象を損なうのは、2023年に見られた散々多くの事例から理解できていて然るべきだったはずだ(まあ直近の話よりも、少し前に映画のレビューを書いたナポレオンや同時代のタレーラン、あるいはヒトラーの手法などを分析の対象として取り上げた方がよいかもしれないが)。にもかかわらず、それを自分たちの側からやったことで、信用を大きく毀損するという心理的影響はもちろん、戦略性の無さ(言葉選ばず書けば「頭の悪い対応」)をも露呈してしまったと言える(逆にそれを回避するための「損切り」の手法については以下の動画などが参考になる)。

 

 

 

 

もう少し別の表現をすれば、「そういうムーブをすると外からどう見えるのか?」というメタ認知能力が完全に欠落していたと言える(注)。まあフジテレビのワイドナショー出演に関するドタバタ劇を見ても、裸の王様化しているところにそれを指摘する輩が出てきたもんだから、ついイキって全否定してしまい、そのことにより今まで王様の幻想に協力していた人たちや興味がなかった人たちを、オセロのようにパタパタと敵に回してしまったのではないかと。

 

この件については今後裁判が行われていくだろうが、少なくともどういう行動をしてはいけないか、すなわち社会に治外法権は存在しないし、また戦略的思考・行動ができない人間はたとえそれまでの業績があってもすぐ梯子を外されかねないという教訓は世に残したとは現時点で言えるのではないだろうか。

 

なお、次回は宮台真司の報道について取り上げる予定。

 

それでは、さよなら、さよなら、さよなら・・・

 

 

(注)

なお、これは立川志らくのXに投稿についても類似性を見出せそうだ。すなわち、「週刊誌が報道=真実となることで言ったもん勝ちの状況は不健全である」と指摘したところまでは全く正しかったし、反論するのは難しかっただろう。よってここで「松本人志には恩義もあって個人的には応援しているが、今は裁判の結果を待ちたい」ぐらいに書いて締めくくっておけば、松本に反感を抱く人々も非難しづらかったものと思われる。そしてそれにもかかわらずイキり立って攻撃してくるなら、そこを冷静に対処すればこちらの妥当性を示せるのみならず、反松本派の一部のヒステリーに引いた人々によって内部分裂を促進する効果さえ見込めたかもしれない(あんなのと一緒にされたら叶わんわ、てヤツだ)。

 

要するに、立川のX内容の後半は全くのところ蛇足であり、折角の提唱や疑義も、批判によってノイズまみれになったと言えるのではないかと思う。え?自分の言いたい事の何を発信しようが個人の自由だって?もちろん、それはおっしゃる通り。説明責任などは伴うにしても、我々にはその権利が認められている。

 

しかしそれなら、こう問うてみたらよい。つまり、「あなたがこの投稿をした目的は何ですか?」と。おそらくそれは、理性を欠いた社会における集合的沸騰の抑止であり、また知人松本の応援だったのではないか?この推論が正しいのならば、次のように聞いてみたらよい。すなわち、「なるほど、つまり貴方は、『ただ自分の言いたいことを言うという自己満足のためには、恩義ある人の利益になりうる行動を台無しにしたり、あまつさえ不利益になることをやったとて何の問題があるのか?』とおっしゃりたいわけですね?」と。

 

戦略的思考やメタ認知を欠いた行動とは、まさしくこういうものである。以上。


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