
この前共感について問題提起をしたものの、しばらくはまとまった内容を書けそうにないので先に他のフラグメントを載せておくことにした。
<食え、残すな>
すでに題名が「祈り働け」を意識してるじゃん、禁欲とか清貧、金が無いわけではないのに一日千円までとか勝手に決めて夜の空腹に苦しんでいたことからすれば、禁欲というか貧乏性みたいなのが関係してるんじゃねーの?どっちかと言うて無駄が嫌い、美味いものに金かけるのは当然とか、対価の意識(スーパーとコンビニ)、中古で買おうとしたりする(高いか安いかというよりリーズナブルか否か)、禁欲って欲しいものも抑圧して最低限で生活する感じがするけどそれはないな。今日の飲み屋の残り物が全て自分のもとに来たらどれだけ食費が浮くことか!と考えたことあり。
※
下の覚書と合わせて長めの記事を書く予定。
<持ち帰りの境界線>
ボラアンティアなどには発展しない→個人的、意地汚い、がめついだけ。マイナスイメージ?まあ確かに金関連でえげつないのはそうかもしれん。しかしこれは誰にも迷惑かけてない(むしろその程度かと嘲笑)。もっとも、一般人がそれを意地汚いとする感覚はわかる。たとえば余所の食事に招かれたとしよう。そこで余ったものを持ちかえる人がいれば、おそらく私は引くだろう。でもそれは説明がつく。いくら捨てるとはいえ、仮にも「他人の所有物」だからだ。ゆえにすでに我々のものになっているレストランなどの食事には適用できない。いつでもやるわけではない。結局これも境界線。
※
最後の方はかなり理屈先行になっていて微妙な感じ。
<鈍感なエロゲーキャラ壱>
なぜエロゲーの主人公は鈍感なのか?がっつくのがイヤ(これは性的なものにも言える)、言い寄られる優越感、相手はやきもきするが、自分は知らない、相手が勇気を欲しいともとめるがゆえのセックス、歪んだ優越感 とはいえその真逆、つまり主人公ががっつく一方でヒロインたちが主人公を嫌うというのは、いかにもゲームとして成立しないようにも思える。実はそうではない。例えば臭作などを思い浮べてみよう。嫌われ者の汚らしいオヤジが追込みをかけていく話である。つまり鬼畜ゲーの一形式として成立している。
<鈍感なエロゲーキャラ弐>
鈍感→特定キャラにベクトルが行かないこと。色々なキャラを攻略できる必然性が生まれる(遥や水月への想いを細かく構築した君望が、サブキャラシナリオを攻略する必然性を作るのに苦労したのを想起したい)、あくまでプレイヤーが動かしている感覚、言われてからしか動かない→自信のなさの表れ、色々なレビューを見ていると、鈍感な主人公というものには否定的な反応を示すユーザーが多いように見受けられる。にもかかわらず、そういう主人公は後を絶たないように思える。なぜそうなるのだろうか?そこにある必然性。
<食え、残すな>
すでに題名が「祈り働け」を意識してるじゃん、禁欲とか清貧、金が無いわけではないのに一日千円までとか勝手に決めて夜の空腹に苦しんでいたことからすれば、禁欲というか貧乏性みたいなのが関係してるんじゃねーの?どっちかと言うて無駄が嫌い、美味いものに金かけるのは当然とか、対価の意識(スーパーとコンビニ)、中古で買おうとしたりする(高いか安いかというよりリーズナブルか否か)、禁欲って欲しいものも抑圧して最低限で生活する感じがするけどそれはないな。今日の飲み屋の残り物が全て自分のもとに来たらどれだけ食費が浮くことか!と考えたことあり。
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下の覚書と合わせて長めの記事を書く予定。
<持ち帰りの境界線>
ボラアンティアなどには発展しない→個人的、意地汚い、がめついだけ。マイナスイメージ?まあ確かに金関連でえげつないのはそうかもしれん。しかしこれは誰にも迷惑かけてない(むしろその程度かと嘲笑)。もっとも、一般人がそれを意地汚いとする感覚はわかる。たとえば余所の食事に招かれたとしよう。そこで余ったものを持ちかえる人がいれば、おそらく私は引くだろう。でもそれは説明がつく。いくら捨てるとはいえ、仮にも「他人の所有物」だからだ。ゆえにすでに我々のものになっているレストランなどの食事には適用できない。いつでもやるわけではない。結局これも境界線。
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最後の方はかなり理屈先行になっていて微妙な感じ。
<鈍感なエロゲーキャラ壱>
なぜエロゲーの主人公は鈍感なのか?がっつくのがイヤ(これは性的なものにも言える)、言い寄られる優越感、相手はやきもきするが、自分は知らない、相手が勇気を欲しいともとめるがゆえのセックス、歪んだ優越感 とはいえその真逆、つまり主人公ががっつく一方でヒロインたちが主人公を嫌うというのは、いかにもゲームとして成立しないようにも思える。実はそうではない。例えば臭作などを思い浮べてみよう。嫌われ者の汚らしいオヤジが追込みをかけていく話である。つまり鬼畜ゲーの一形式として成立している。
<鈍感なエロゲーキャラ弐>
鈍感→特定キャラにベクトルが行かないこと。色々なキャラを攻略できる必然性が生まれる(遥や水月への想いを細かく構築した君望が、サブキャラシナリオを攻略する必然性を作るのに苦労したのを想起したい)、あくまでプレイヤーが動かしている感覚、言われてからしか動かない→自信のなさの表れ、色々なレビューを見ていると、鈍感な主人公というものには否定的な反応を示すユーザーが多いように見受けられる。にもかかわらず、そういう主人公は後を絶たないように思える。なぜそうなるのだろうか?そこにある必然性。
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