goo blog サービス終了のお知らせ 

間違いだらけの日本無宗教論:公式発表も「終わって」いるので、「真理」より認識のあり方を探求すべき

2020-03-14 11:02:28 | 宗教分析
(登場人物)
ダラディエ=D、ブルム=B
 
 
D
嗚呼、コロニャでフランス逝きが遠ざかっていく・・・
 
 
B
パリがダメなら、またミュンヘンに行けばいいじゃない(アントワネット並感)。
 
 
D
ミュンヘン、宥和政策、うっ頭が・・・
 
 
B
なんかシュンペーターのせいで頭の中が戦前に戻ってるらしいが、今日は日本の無宗教に関する話だよな。
 
 
D
おっとそうやった。じゃあまず、前回の記事が長かったんで男塾規則に則り、内容を3行でまとめてたもんせ。
 
 
B
立ち直り早いな・・・まあこんな感じじゃね?
 
1.日本で一般的とされる仏教にも神道にも、信徒となる明確な基準がない
 
2.とすると、仏教徒であるとか氏子であるとか、その人やその集団の基準によって好きに言えてしまう
 
3.ゆえに「本当に無宗教であるか否か」を問題に設定しても無意味で、「大半の人が無宗教であると自認している」ことを問いの根源に据えるべきである
 
まあそういう理由で、根源となる問いを適切に設定すべきという意味で、前回は副題が「コギトエルゴスム」だった、という感じでええかい?
 
 
D
はいよろし。ほいで今回は、「曖昧な基準」と「その基準が国民の多くに全く共有されていない」ということの何よりの証左として、宗教法人の自己申告による信徒数(文化庁の公式資料に掲載)を取り上げるよん。
 
 
B
ああ、あれね。神道が9100万強、仏教が8700万弱・・・足したら1億8000万になって日本の人口超えちゃった(・∀・)いやーこれ見た時久々に笑わせてもらいましたわwww
 
 
D
こういうのってずっと発表し続けられてきたのに、時折疑問を挟む人はいても、真摯に疑問を提起するような事例がなかったのは何ででっしゃろ?ある程度厳密にカウントしてると思われるキリスト教的やり方が絶対的に正しいとまでは言わんが、この数字は端的に言って、完全な茶番じゃん。戦略的思考でやってるなら、数字を大きく発表することでインセンティブがあるということだろうし、素でやってるなら教団の苦隷自慰さの表出ということになんだろうけど、正直どちらだろうが欺瞞であることには変わらんよな。
 
 
B
まあ取材・調査する側に立って考えると、公式発表に噛みつくと教団から反発食らったり取材や調査がしにくくなって面倒くさいからじゃね?そして次に、ほとんどの人にとって「どうでもいい」からニュースソースとしての価値が低いからではないかな?「神社の元締めとか仏教教団が何か言ってるけど、まあ何の実害もないし別にどーでもいいわ」て感じで。そして「自分らはまあ帰属意識なんか感じねーから、無宗教として勝手にさせてもらいますわ」という具合。
 
 
D
そういう意味じゃあ、教団自称の信徒数(と国民の宗教的帰属意識に関するアンケートの数字の乖離)ほど、神道や仏教における「信徒」の境界の融通無碍さと、国民の宗教的無関心を適切に表したものはないっていうのは、何とも皮肉な話ですな(・∀・)
 
 
B
まあだから、前回のまとめに戻るけど、そこまで宗教的帰属意識のラインがズブズブになった現代日本において、「無宗教であるorでない」という実態を考察したとして、そこにどんな有用性があるのかって話だぜ。それなら、どうしてそういう乖離が生まれたのか、日本人の多くが持っているであろう宗教的帰属意識とはどのような特徴があるのか、それはどういう歴史的文脈で構築されたのか、という認識論にフォーカスした方がいいでしょ、という話だ。
 
 
D
そういうわけで、改めて日本の無宗教に関する問題設定は「いかにして日本人の大半は自身を無宗教と認識するに到ったかになるわけだな。
 
 
B
いかにも。
 
 
D
で、そうなると注目すべきは自分の調べた限りで、以下のようになる。
 
1.神仏習合とそれが帰属意識に与えた影響
(これをもって日本人=特定宗教・宗派に属さないと言う人も少なくないが、それだと1952年の調査結果の説明がつかない。同様の理由で、「宗教という言葉が比較的新しく作られた外来語で日本人の宗教意識を掬い上げられない」といった言語概念にフォーカスするアプローチも同様)
 
2.江戸時代の仏教教団自動登録システム=宗門人別改帳・檀家制度
(これが帰属意識の希薄化に影響したとする考察は多い。前回批判的に取り上げた『日本人は本当に無宗教なのか』も同様)
 
3.明治時代の神道無宗教化
(これを指摘したのが阿満利麿の『日本人はなぜ無宗教なのか』。これはこれで参考になる部分はあるものの、著者自身が真宗に深く関係しているからか、仏教教団への帰属意識希薄化に関する言及が甘い。1952年の調査結果という客観的なデータに依拠する限り、少なくとも戦後日本の無宗教化進展は明らかに仏教へ帰属意識を持つ人間が減っていることがわかるのに、だ)
 
4.2と3によって宗教的帰属意識が剥落し始めたところへ、戦後に伝統共同体からの大規模離脱が生じた
(上京などによる就職、高学歴化、核家族化といった現象を差す。高学歴であるほど宗教に帰属意識を持つ人が少ないのはデータが示しているが、とするなら戦後の高校進学率や大学進学率の上昇は当然宗教的帰属意識の希薄化に寄与した可能性大で、ましてやそうした状況を経た若年層が伝統共同体から切り離された状態で核家族を形成すれば・・・という話である。これに触れたのが例えば井門富士夫の『世俗社会の宗教』だが、現状の仮説ではそうやって根無し草となった人々を包摂したのが企業共同体という擬似的宗教集団ではないか?私が今『企業墓』『むかし大名、いま会社』などを読んでいる理由もこれに関係する。ちなみにだが、そうした伝統共同体から切り離されて都市部に出てきた労働者を取り込んで拡大したのが創価学会なのはよく知られる通りだ)
 
 
B
うわー、また要約が必要な感じのが出てきたよ・・・まあ日本人の無宗教というものを考える際に、複数要素と重層的変化を考慮する必要があるってことやな。こういった視点から次回以降日本の無宗教を考えていこうってわけだね?
 
 
D
Exactly!(その通りでございます)
 
 
B
いやそれはエジプトの話・・・
 
 
D
細けぇこたぁいいんだよ(・∀・)!ナポ様も遠征してた地だしな。まあそういうわけで、オーヴォワール!!
 
 
B
無理やりフランス感出すマン乙・・・

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドイツ旅行 初日編:ハイデ... | トップ | フラグメント221:甲子園... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

宗教分析」カテゴリの最新記事