夏色まつりはリアル狂人なのか?(U.N.オーエン並感)

2021-01-06 11:39:39 | Vtuber関連

さて前回はでびでび・でびるがcuteなだけでなく、いかにエスプリの効いたVtuberであるかを紹介し・・・え?ただの片付けられない酒コアラだろって??

 

君は、ジャン・ジャック・ルソーという男を知っているかね・・・(by第四の名を持つ男)?一体いつから、叡智を持った人間が「あらゆる意味において品行方正」だと錯覚していた?それは端的に言えば、「自分が優れていると感得した人間に欠点などないに違いない」という馬鹿げた理想化行為であり、そういうナイーブさもまた、悪魔相談の中で諫められていたのを気づかなかったのか???

 

さういう、いかにも「良識派」が陥りかねない陥穽に対して敏感であるからこそ、悪魔が発する諸々の言葉は単なる「正論パンチ」のやうなものを超えて、我らの深奥に到達する金言となりたるを知るがよい( 。∀ ゜)

 

というわけで、でびでび・でびるという、RP(ロールプレイ)の名手としてはsecond to noneと言ってもいいほどのVtuberを紹介したわけだが、今回はある種その対極、すなわちほぼ「素」であるようにも見えるVtuberとして、ホロライブの夏色まつりを紹介しよふと思う。

 

・・・と書いてみたはいいが、「まじめに」夏色まつりを紹介しようと思うと、鈴鹿詩子やでびでび・でびるに比べてはるかに難しいのう。まあ彼女の特徴が(多少マイルドな感じで)最も端的に表れているのは、最近のこの動画だろうか。

 

 

ちなみにこの動画はリアルタイムで見ていたので状況はよく覚えているが、トークテーマはまつり自身がコメントから拾ったものである。で、そこで「母親にパンツの色を聞く」というテーマを提案するリスナー(まつりす)もリスナーだが、それを実際にトークテーマにして本当に質問する彼女も彼女だし、それにノリよく答えるまつりの母親(ままつり)も母親ってことであるwwwともあれ、この短い切り抜きでも夏色まつりのキャラクターと、それをどうリスナーが受け止めてるか、そしてまつりと母親(あと元動画ラストの弟くん)の関係性がある程度理解はできると思われる。

 

その他だと、姫森ルーナとのコラボで自分から攻めにいったのに結局受けに回る様やサプライズプレゼントに号泣する様子、

 

 

あるいは黛灰に限界化する様子、

 

 

が参考になるだろうか。これらの反応からすると、良くも悪くも感情表現がストレートすぎて大丈夫かと、いささか心配になるほどである(その直截さは、でびでび・でびるのカップリングとみなされながら対極的存在の鷹宮リオンと近いと言えるかもしれない)。ただ、こういった屈託のなさが、そのNGなしのアグレッシブな発言のおもしろさとあわせて、彼女がある種の「おもしろい」・「信頼できる」Vtuberとしてファンを集めている要因の一つではないかと思う次第である。

 

では、もう少し踏み込んだ動画を紹介してみよう。

 

 

夏色まつりと言えば、そのぶっ飛んだ言動から「サイコパス」と呼ばれることも多い(まあエキセントリックなものを何でも「サイコパス」と呼ぶ風潮は正直どうかと思うけど)。例えばこの動画をそのまま見れば「ヤベー奴」の一言で終わりなんだろうが、他での「大人の男を飼ってみたい」とか「法律が無かったら人を〇してみたい」などの発言を見ると、ひろゆき(西村博之)などにパターンが似ているように感じられる。彼がよくする「~してみたら自分がどんな反応するのか興味あるんすよね(半笑い)」的な言動は特にその典型と言えよう(ちなみに、私が以前書いた「なぜ人を殺してはいけないのか?」→「実際それが許可された社会を想像してみる」といった話も、同じタイプに属する思考様式・思考実験である)。

 

これは別段彼女をフォローしているとかではなく、例えば社会規範の理解の仕方が「みんながそう言っているからダメだ(やらない)」ではなく、「AはBであるがゆえにダメだ(やらない)」という風に自分で納得しながら積み上げていくタイプであることを伺わせる、というだけのことだ(ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね(=ちゃんと客観的な証拠を見せてみろよ)」発言はそれを最も端的に表すものと言える。ちなみに、この手のタイプの若い頃=論理や経験の蓄積が少ない時期は、その特性ゆえに頭の良さが行動や言動のエキセントリックさと噛み合わないように見えるケースも多い印象がある)。その意味で、夏色まつりが例えばAmong Usで見せる手際の良さ=クレバーさは不思議どころか、むしろ当然の性質であるようにも見えるのである。

 

では、これまで述べてきた感情表現がストレートすぎる部分と、エキセントリックに見える言動というのはどのように架橋しうるのだろうか?

 

 

そこで興味深いのは夏色まつり・ままつり・犬山たまきの鼎談である。まあ詳しくは動画を見てもらうのが一番よいと思うが、全体として印象的だったのは、「この母の包容力にしてこの娘あり」ということだった。まつりが学校に馴染めない時期があったりエキセントリックな行動をしたりした場面(その典型は「包丁」事件だろう)があったことは1時間の鼎談でも随所にうかがえたが、それでも全体的にままつりがまつりのことを否定はしない(≠全肯定)ことが共通していた。

 

なるほどそれだけなら公の電波に残る場面で表面的にそういう言動を繕っただけというケースも考えられるが、ままつりが全体を通して唯一冷静というか突き放したトーンで「普通って何?」と犬山たまきに聞き返す場面からすると、その可能性は低いと思うのである(犬山たまきは万全な準備をして配信するタイプなので、もちろんこれが完全な「プロレス」であるという想定も可能だ。しかしそれにしては、ままつりの発言に犬山たまきは一切反応しておらず、もし仮にこの発言を意図的に組み込んだとすれば、それが何の広がりも見せなかったことが全くのところ不可解なのである)。

 

というわけで色々予測を書いたが、母親とのやり取りや、家族全員まつりがVtuberとして配信していることを知っていること、かつ弟すら動画に出演したことも踏まえれば、家族からかなり理解のある(少なくともまつり自身はそう感じている)状況なのではないかと推測される。おそらくそのことが、夏色まつりというVtuberの自己肯定感の根幹となっており、またそれが自己のストレートな感情表現や他者への対し方を形作っているのではないだろうか。

 

この見立てが正しければ、夏色まつりを「自分さえよければ他人のことはどうでもいい」といった、他者への配慮が欠落した「サイコパス」的人物と評価するのは端的に誤りであると言える(例えば桐生ココは、犬山たまきとの対談においてわざわざ夏色まつりの名前を出した上で、色々アドバイスをもらって助かったと話している)。しかし一方で、非常に危ういと感じる部分が多いのも事実だ。それはルーナと何度かコラボした後で、まつり自身が「心から気を許せる人がいない」と発言していることにも表れているが、自身の言動や行動が「悪い人ではないとわかるのだけど、突拍子もない事をするため掴み切れない」タイプ、すなわち相手にとって距離感を非常につめにくい振る舞いをしているにもかかわらず、そのことを本質的に理解できていないことから来ているように思える。

 

これは同じ「horny」なキャラクターとしていじられる宝鐘マリンと比較するとわかりやすい。彼女は夏色まつりと同じくホロライブメンバーにボディタッチ含めて距離を縮めるムーブをし、相手にあしらわれる所まで含めて「おいしい」=一連のネタとなっており、その意味ではまつりと近しいと言える。しかしながら、兎田ぺこらとの対談でマリン自身が話しているように、相手は慎重に見極めており、人見知りで他者と一定の距離感を保ちたいぺこらにはそういった振る舞いを意図的にしていないのである(宝鐘マリンも極めて興味深いVtuberの一人であり、別の機会に記事を書きたいと思っている)。ぺこらが、配信中こそハイテンションでイキり発言が多いけれども、オフでは人見知りなことは箱の外の人間からもいじられるほどであり(例:犬山たまきとの対談)、まつりも知らないわけはないだろう(「ホロ深夜女子会」などは好き勝手言ってるだけだが、メンバー内での認知のされ方としてはわかりやすい)。にもかかわらず、宝鐘マリンとは違ってまつりはぺこらにも他のホロライブメンバーと同じような接し方をしてしまっており、結果としてぺこらから嫌がられるということが起こってしまっていたようだ。

 

夏色まつりのこれまでのエピソードを聞く限り、行動様式はVtuberになる前とさほど大きく変わっていないようであるから、同級生から避けられたりするようなケースも少なからず経験してきた可能性が高い。そこからすれば、あるいはもしかすると、まつりの距離感の詰め方は、彼女なりの「踏み絵」でさえあるのかもしれない。

 

しかし、これは前回紹介したでびでび・でびるも言っていたように、他人の頭の中を見ることはできない。そして「人間は嘘をつける」のである。つまり、他者を全面的に理解することも、逆に他者から自分がそうしてもらうことも、そもそも不可能事なのである(だいたい、自分で自分のことを100%理解しきれているのか?たとえば己のあらゆる行動を他人が納得できるように説明できるか、あるいは説明できないものについてはその事情が全て納得してもらえるかを想像してみればよい。なお、私が「共感」なるものを危険視する理由は、そういった現実を忘却させかねない所にある)。

 

このことは一歩立ち止まって考えれば自明なのだが、それにもかかわらず他人に全面的理解と承認を求めてしまうのは、つまるところ夏色まつり自身が根源的に不安を抱えているからなのだろう(ちなみに全面的理解と承認を相手に求めたくなった時、自分が他者に対してそれができているかを真摯に自問すれば、その不可能性は自ずと明らかになると思われる)。この見立てが正しいのであれば、次のようなスタンスに立った方が、最終的に彼女を安定させる方向に向わせると思われる。すなわち、「他人とは根本的にわかりあえることはない。しかしそれでも、人とわかりあえる・認め合える部分はある。ゆえにそのような部分を、そしてそれを持ってくれる人を大事にしていこう」と。

 

以上のような他者に対するある種の断念と、それに基づいた適切な距離感を夏色まつりが身に着けた時、彼女の魅力はそのままに、よりバランスのとれたVtuberとなっていくのではないか、とは思うのである。

 

応援しているVtuberの一人ではあるので、今後の動向を見守っていきたい。


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