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「共感」の問題点:戦略性と再帰的思考

2010-09-19 20:26:47 | 抽象的話題
このブログにおいては、「共感」というものの虚構性・危険性について繰り返し述べてきた。それらをまとめるものとして、今回は「共感」が重要視される状況やそれがはらむ危険性などについて書いていきたい。


「共感」の語に疑問を持ったのは、「君が望む永遠」という作品の主人公に関して多くのレビューで「共感できない」「感情移入できない」という評価が見られたことに遡る。私は、プレイヤーたちが本編の内容を読み込めておらず、自分たちの理解力が及ばなかったことを単にそう表現して正当化しているだけだと批判するとともに、「『共感』という名の幻想」などの記事で「共感」なるものが本当に起こりうるのかと疑問を提示した(なお、プレイヤーの独善的・閉塞的思考については「『ヘタレ』と自己認識」や「主人公とプレイヤーの共犯関係」などでより詳細に触れている)。


そもそもの問題は、辞書的な意味と心理学における「共感」、あるいは哲学(思想)関連の本で取り上げられるそれのニュアンスにおそらく受け手が違った印象を持つことにある。具体的には、広辞苑のように「他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解したりすること」というものもあれば、「自分が相手と同じ境遇になりうること(偶有性)を理解し、そうなった時の自分の感情などについて考えようとすること」(『自由を考える』で大澤真幸が言った発言などがこれに近い)というような意味付けをしているものもあるが、おそらく両方を見た人は同じものだと理解できないのではないか、と感じられた(詳しくは後述)。もっとも、私はそれらの専門家ではないし、また二次的な問題に拘泥する気もなかったので、最も重要な問題、すなわち「共感」の重要性を訴える意図やその有効性に注目することにした。別の言い方をすれば、「共感」という語が実際に与えるであろう印象・効果、つまり「共感」という語の戦略性・機能主義的側面から考える(「真理」を論じることから機能を論じる)方法に変えたということである(余談だが、「真―偽の二元論を超えて」や「天国と地獄」がアプローチ的に似ている)。


では、そのようなアプローチからは何が言えるのだろうか?
それを論じる前に、まず現代社会というものが、「大きな物語」の凋落であるとか、それに関連する価値観の多様化、島宇宙化を特徴としていることに注意する必要がある。それはつまり、人は相対主義という正当化のロジックをもとに各々(=個人・小さな集団内)の「真理」に閉じこもり(全てを包摂する「真理」を無視して、という意味ではない)、その中で多様な嗜好に対応するため提供される物品は多品種少量生産となり、また作品については、消費者は自分の快楽原則に逆らわない自己肯定のジャンクばかりを求める、ということである。このような状況はほぼ不可逆であるのだが、残念ながら互いにうまく距離をとって島宇宙化した状況で安定、とはなっていない。それは不安のポピュリズムや多様性フォビアといった様々な言葉で説明できるが、簡単に言えば自分の「真理」が社会(世界)全体の「真理」でないことに我慢がならなかったり、また自分の「真理」が他人に通用しないとはわかっていてもそれを要求してしまうという行動・思考様式に現れる。具体的には、「空気」コミュニケーションやそれと裏腹の「本当の自分」なる信仰、あるいは繰り返し摂取した自己肯定のジャンクといったものが思考を支配し、自己肯定を通じて社会で生きるためのサプリメントとなるはずのものがいつの間にか麻薬へと変貌し、それを強迫的に求めるとともに、枠組みから外れたものに対しては思考を飛ばして過剰な敵意をむき出しにする、といった反応をするようになるのである(ニュータウンの病理ではないが、ノイズの消去がそれへの耐性を低下させ、ちょっとしたことにでも過剰反応するようになるというわけだ)。こう言うと単なる自意識の問題に聞こえるかもしれないが、社会的再配分などにも深く関わる重大なファクターである。また特に日本に関しては丸山真男が指摘したように「作為の契機の不在」と「セクショナリズム」という特徴を持っているため、自浄作用を期待するのは極めて難しいことも指摘しておかなければならない(簡単に言えば、前者ゆえに自分たちが拠って立つ社会の枠組みそのものについて考える態度が薄弱であるため戦略的なものがすぐに教条主義的なものへと堕す。また後者ゆえに部門ごとの縦の組織で閉じやすく、横の連携に関して非常に風通しが悪くなる。つまり、島宇宙化に最適な環境というわけだ)。


以上が、現代社会の置かれた状況である。ところで、著作を網羅したわけではないので断言はできないが、このような状況を打破するための方策として「共感」の重要性を説いている人がどうも多いように思われる。簡単に言えば、価値観の多様化した社会で相手を理解し、共生するための方策として、「共感」が必要だということである。もしこの見通しが正しいのならば、結論から言ってしまうが、完全に逆効果だからやめた方がよい。例えば先に述べたように、広辞苑で「共感」は「他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解したりすること」とされているが、それと同時に「共感」は「自然に備わっているもの」で、かつそれが欠落しているのは一種の病だとも言われる。これらの説明が今日的状況ではどう受容されるだろうか。例えば日本で言うなら「作為の契機の不在」、つまり自分の生活・思考の前提となっているものを考える(再帰的思考)態度が薄弱なので、「共感」はますます島宇宙化を促進するだけでなく、「共感」できない存在を異常なものとしてその排除を正当化する結果にさえなりかねない。要するに、もし論者が島宇宙化した社会における共生の実現(多様性フォビアの緩和など含む)を目指すために「共感」が必要だと考えるのならば、「共感」がどんなものかを説明し、その重要性を説くのは有害無益であるということだ(もちろん論者の意図を汲んでくれる人もいるだろうが、そういう人たちのほとんどはそもそも「共感」の必要性を諭される必要がない人たちではないか?なお、「共感」は「真理」なのだから私たちは本来わかりあえるはずだ、などというナイーブな主張をする人々は論外なのでここでは捨て置く)。


では、「共感」を共生のために戦略的に活用するなら何が必要なのか?まずは先に触れた大澤の「共感」の話のように、徹底してそのプロセスについて説明しなければならない。つまり、「共感」とは外側から感情の表出を見ていてその精神性や必然性が理解できるだとかいう類のものではなく、相手の置かれた状況へと遡行し、自らがいかに感じ、振る舞うかという非常に想像力と思考力を要する作業だと定義するわけである。こうなると、自分の思考様式は現在の環境によって作り出されているものにすぎないという突き放した思考が必要になってくるわけで、そうそう容易にできるものではないと受け手も理解できることだろう(「人は経験に学ばない」、「極限状況への無理解」なども参照)。逆に言えば、そこまで困難な営為であることを示さないと、各個人の快―不快の二分法にお墨付きを与え、島宇宙化と排除を促進するだけに終わるのである。かように、もし目的が「人は理解し合えるはずだ」と信仰している人間に一時的な癒しを与えること(サプリメントとしての効果)なら話は別だが、長期的に見て共生を促進したいのなら「共感」の重要性を説くのは逆効果なのだ。もう少し詳しく説明するなら、再帰的思考や偶有性・偶然性(合理的思考の限界)への理解を徹底して身につけるという前提があって初めて「共感」は有効な戦略たりうるのであって、そのような思考様式やそれを通じた断絶への気付き・断念を経由しない「共感」などというものは、今日においてはますます島宇宙化を促進するだけ、ということである(逆に言えば、それが狙いなら「共感」をどんどん奨励すべきだ。そうすると、排除促進→ノイズ耐性低下→他者への敵意強化→監視マンセー社会という循環になること間違いなしwまあノイズを排除したニュータウンから榊鬼薔薇[郊外型犯罪]が出たといったことをもっとちゃんと考えた方がいいですぜ、て話だ)。


さて、以上のような言葉の誤配の危険性であるとか今日の強迫的な「空気」コミュニケーション(=ノイズの病的な排除)などを考慮すると、そもそも「共感」を促進することで共生を目指そうという志向自体が戦略的に有効ではなく、むしろ「そもそも再帰的思考に馴染まない日本人には同情はできても共感はできない」くらい言って「共感」幻想にしがみつく輩を振り落とすくらいで丁度いいのではないかと個人的には思う。いずれにしても、「共感」とは扱い方を間違えれば非常に厄介な反応をもたらす言葉であり、再帰的思考の芽吹かない場所においてはむしろ使わない方が望ましいように思われるのである。


(余談)
ところで、再帰的思考ができるようになりさえすれば、「共感」が可能だと思っているわけでは全くない。むしろ一度自分の思考の前提に立ち返り、相手の境遇や思考・行動について思いを巡らした時、いかに自分本位にしかものを考えられない(真剣に考え抜いても理解できない)かに気付いて愕然とする経験こそが重要だと私は考えている(ネタにして無害化しているような環境では永遠にそういう経験は生まれない)。あくまでその契機を作る一つのツールとして、「共感」は有用だというだけのことだ。そのような断絶・断念から世界の理解を始めれば、強迫的な同一化傾向など生まれるべくもないと思うのだが。
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