ローテンブルク城壁巡りは続く。
もし車がなかったら、中世にタイムスリップしたと言われても信じてしまいそうな光景である。
これは・・・城壁に刻まれた(書かれた)名前を見て、私はこの都市を襲った誤爆と復興のことを思い出した。1945年3月、ローテンブルクはアメリカ空軍機の空襲を受け、39名の人名が失われるとともに、旧市街東部の約45%が損壊するという惨劇にみまわれた。以前も述べたように、ローテンブルクはナチス・ドイツの民族主義の中で理想的な町としてプロパガンダに利用されてはきたものの、軍需工場があったわけではなく、空爆の必要性は皆無に等しい場所であった(その意味でアウクスブルクや川崎とは状況を異にする)。にもかかわらず空襲を受けたのは、元々の目標が霧のため攻撃できず代替としてこの町が設定されたからだが、繰り返しになるけれども、そこには何ら必然性はなかったのである(念のため言っておくが、たとい戦略的必要性があったとしても、民間人を巻き込んだ無差別爆撃が肯定されるわけではない)。
この空襲の後、世界から寄付金が集まって町は復興したのだが、その時の寄付者の名前が城壁に刻まれている、というわけである。
城壁から聖ヤコブ教会をのぞむ。一枚目の写真なんかは、そのままおとぎ話の世界に出てきそうである。ただ、ノイシュバンシュタイン城周辺もそうであったように、かなりの人工的な努力があってこの景色が存続している、ということを忘れてはならないだろう。
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