草稿中の掲載第二段。
というか、この時期の草稿ってフラグメントよりむしろ意味不明なものが多いな…まあ一応全部説明は可能だが、それをあえてやらない方針ゆえ丸投げしまふ。
<ひぐらしの奇跡に潜む欺瞞> 2006-09-16 12:18:59
※この記事を読む前でも読んだあとでもいいので、姉妹編「ひぐらしのなく頃に:その「奇跡」価値について」も必ず併せて見てもらいたい。
ひぐらしで扱われた「奇跡」は、言ってみれば「団結による事態の打破」であり、例えばKanonのようによくわからないまま救われる他力本願・自動的なものとは異なると以前書いた(なお、Kanonについては「Kanonを斬る」を参照)。
そう考えると、ひぐらしはKey作品の方向性を取り入れながらもより中身のある「奇跡」を提示したということになるだろう。しかしよく考えれば、ひぐらしの「奇跡」の中にもかなり他力的な部分があるのが見えてくる。そもそも、「~編」という世界がどのようにして決定づけられるのかが全く不明である。そして「奇跡」が起こった皆編やら祭編は、圭一たちが別世界のことを「覚えている」とか羽○が見えたりなど、突如として説明なしの現象が起きている。とすれば、結局「奇跡」の根源は他力・受動ということになりはしないだろうか?ひぐらしの「奇跡」の価値で述べたように、もちろん「奇跡」そのものは能動的なものである。例えば皆編では鉄平の帰宅イベントが起こって一端世界が暗転し、そこから団結という「奇跡」に繋がるのだから。しかしその「奇跡」があまりに多くの「幸運」(梨花談)により成り立っているので、けっきょく「奇跡」の前提は他力・受動なのかと思うのだ。
そして厳しい言い方をすれば、皆編の明らかに奇跡的な状況を梨花が「幸運」と言って(「奇跡」と分けて)いるところに巧妙さというか欺瞞を感じる。
<人類、地球は存続すべきものか否か> 2006-11-30 02:06:59
今回は思考実験的な話。
「地球、あるいは宇宙にとって、人類が存続すべき存在であるという根拠はない」と私が書けば、おそらく人は「人類は滅びるべき存在である」という主張を読み込むだろう。しかしその主張は逆の極端に走っただけのことであり、それもまた根拠があるとは言えない(もっとも、そちらこそが真である可能性も無いとは言えないが)。要するに(地球・宇宙というレベルにおいては)どちらの根拠もないのだが、ここでは一つ後者について例を挙げてみようか。「人類は滅びるべき存在である」という主張には、やや極端だがこのような理由付けが想定される。すなわち、
「地球環境や生物に悪影響を与えている人間は地球にとって有害であり、滅びるべきだ」
いかにも極端なものではあるが、まあ一つの意見ではある。しかしこれは、よく考えると「地球が存続するのは正しい」と証明されないことには成り立たないものである。しかし我々は、人類や地球が存続すべきであると(熟考するのが馬鹿らしいくらい)当然のことのように思って生きているのはなぜだろうか?思うにそれは、生きたいという願望とそれを正当化する数々の理論によって、その基盤を信じて疑わないからである。しかし実際には、地球や宇宙にとって果たして人類が存続していくべき存在なのか、いやそもそも、地球にとって地球が存続していくことが正しいのかさえ不明なのである(※)。である以上は、人類が存続すべき
例えば、人類が異星人に取って代わられたとする。それは、正しくないのか否か。
※
根源的には、そもそも我々が価値判断や評価というものに縛られすぎることに原因があるように思われる。つまり、あくまで事実としては「人類が滅んだ」は「人類が滅んだ」でしかないのであって、「人類が滅んで悲しい」ではもはや評価になってしまっているということだ。
<そも> 2006-12-10 10:43:57
人類が存続すべきという考えは真理とは言えない
もし二年前に自分がこう言われていたら、宗教を信じている人はおそらく「神の意志が…」などと反論するだろうが、しかしこれは、「知っている」だけである。
そのことを初めて「理解した」のは沙耶の唄との出会いである。例えば宇宙人と戦うようなSF映画があるが、実のところ人間の勝利が真理に適っているという根拠はどこにもない。ゆえに、それはあくまで人間の「存続し続けたいという願望の吐露」に過ぎないのである。
そもそも地球が存続すべきという考えも未だ真理とは言えない。
「基準を相対化する」とはどういうことか。それをこの事例はよく示している。
<東方の美学> 2007-02-24 01:32:59
以前の記事で触れたように、東方シリーズは音楽やキャラ、そして弾幕によって独特の世界観を作り上げている。
ところで東方の弾幕について私が強く興味を惹かれるのは、「動かないことで避けれる」タイプのものと、
<12人のイカれる男たち> 2007-01-01 20:55:10
高校の時は、毎年秋頃に舞台を見る行事があった。一年目に何を見たか全く覚えていない。二年目に見たのが、「12人の怒れる男たち」だった。小学校の時以来劇などを見せられてきたが、
というか、この時期の草稿ってフラグメントよりむしろ意味不明なものが多いな…まあ一応全部説明は可能だが、それをあえてやらない方針ゆえ丸投げしまふ。
<ひぐらしの奇跡に潜む欺瞞> 2006-09-16 12:18:59
※この記事を読む前でも読んだあとでもいいので、姉妹編「ひぐらしのなく頃に:その「奇跡」価値について」も必ず併せて見てもらいたい。
ひぐらしで扱われた「奇跡」は、言ってみれば「団結による事態の打破」であり、例えばKanonのようによくわからないまま救われる他力本願・自動的なものとは異なると以前書いた(なお、Kanonについては「Kanonを斬る」を参照)。
そう考えると、ひぐらしはKey作品の方向性を取り入れながらもより中身のある「奇跡」を提示したということになるだろう。しかしよく考えれば、ひぐらしの「奇跡」の中にもかなり他力的な部分があるのが見えてくる。そもそも、「~編」という世界がどのようにして決定づけられるのかが全く不明である。そして「奇跡」が起こった皆編やら祭編は、圭一たちが別世界のことを「覚えている」とか羽○が見えたりなど、突如として説明なしの現象が起きている。とすれば、結局「奇跡」の根源は他力・受動ということになりはしないだろうか?ひぐらしの「奇跡」の価値で述べたように、もちろん「奇跡」そのものは能動的なものである。例えば皆編では鉄平の帰宅イベントが起こって一端世界が暗転し、そこから団結という「奇跡」に繋がるのだから。しかしその「奇跡」があまりに多くの「幸運」(梨花談)により成り立っているので、けっきょく「奇跡」の前提は他力・受動なのかと思うのだ。
そして厳しい言い方をすれば、皆編の明らかに奇跡的な状況を梨花が「幸運」と言って(「奇跡」と分けて)いるところに巧妙さというか欺瞞を感じる。
<人類、地球は存続すべきものか否か> 2006-11-30 02:06:59
今回は思考実験的な話。
「地球、あるいは宇宙にとって、人類が存続すべき存在であるという根拠はない」と私が書けば、おそらく人は「人類は滅びるべき存在である」という主張を読み込むだろう。しかしその主張は逆の極端に走っただけのことであり、それもまた根拠があるとは言えない(もっとも、そちらこそが真である可能性も無いとは言えないが)。要するに(地球・宇宙というレベルにおいては)どちらの根拠もないのだが、ここでは一つ後者について例を挙げてみようか。「人類は滅びるべき存在である」という主張には、やや極端だがこのような理由付けが想定される。すなわち、
「地球環境や生物に悪影響を与えている人間は地球にとって有害であり、滅びるべきだ」
いかにも極端なものではあるが、まあ一つの意見ではある。しかしこれは、よく考えると「地球が存続するのは正しい」と証明されないことには成り立たないものである。しかし我々は、人類や地球が存続すべきであると(熟考するのが馬鹿らしいくらい)当然のことのように思って生きているのはなぜだろうか?思うにそれは、生きたいという願望とそれを正当化する数々の理論によって、その基盤を信じて疑わないからである。しかし実際には、地球や宇宙にとって果たして人類が存続していくべき存在なのか、いやそもそも、地球にとって地球が存続していくことが正しいのかさえ不明なのである(※)。である以上は、人類が存続すべき
例えば、人類が異星人に取って代わられたとする。それは、正しくないのか否か。
※
根源的には、そもそも我々が価値判断や評価というものに縛られすぎることに原因があるように思われる。つまり、あくまで事実としては「人類が滅んだ」は「人類が滅んだ」でしかないのであって、「人類が滅んで悲しい」ではもはや評価になってしまっているということだ。
<そも> 2006-12-10 10:43:57
人類が存続すべきという考えは真理とは言えない
もし二年前に自分がこう言われていたら、宗教を信じている人はおそらく「神の意志が…」などと反論するだろうが、しかしこれは、「知っている」だけである。
そのことを初めて「理解した」のは沙耶の唄との出会いである。例えば宇宙人と戦うようなSF映画があるが、実のところ人間の勝利が真理に適っているという根拠はどこにもない。ゆえに、それはあくまで人間の「存続し続けたいという願望の吐露」に過ぎないのである。
そもそも地球が存続すべきという考えも未だ真理とは言えない。
「基準を相対化する」とはどういうことか。それをこの事例はよく示している。
<東方の美学> 2007-02-24 01:32:59
以前の記事で触れたように、東方シリーズは音楽やキャラ、そして弾幕によって独特の世界観を作り上げている。
ところで東方の弾幕について私が強く興味を惹かれるのは、「動かないことで避けれる」タイプのものと、
<12人のイカれる男たち> 2007-01-01 20:55:10
高校の時は、毎年秋頃に舞台を見る行事があった。一年目に何を見たか全く覚えていない。二年目に見たのが、「12人の怒れる男たち」だった。小学校の時以来劇などを見せられてきたが、
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