せっかく「雫」の話をしたんで、この機会に昔のゲームレビューを復活させておきますよと。まあ内容は下の文を読んでもらえれば大方わかる・・・と思うが、かつて貼っていたリンクが無くなっていたりもするのでその辺はご了承をm(_ _)m
ちなみに、「痕よりも雫の方が印象に残っているのは自分にも主人公と同じ滅びの希求」という下記の内容は、おそらく明確に反証できる(まあ自分でも牽強付会な感じはしてたんだけどw)。というのも、雫には別段その衝動をめぐるカタルシスなどが描かれているわけではないからだ。つまり、その想念(怨念?)は明確な対象に向けられるわけでもないし、それゆえに広がることも掘り下げられることもなく、ぶつけることさえなく終わっているのである(そもそも月○さんもタブーや孤独、思慕の観念がないまぜになった葛藤に苦しんだ挙句、暴走しちゃっただけのことだし[だから反動でやたらセックスセックス言ってるわけ]。言い換えれば、社会的な不正へのやり場のない怒り、とかじゃないわけですわ。まあ個人的な不全感と社会への怒りとかって明確に峻別できるんすかねえ?って疑問もあるわけで、この点は「接吻」に関する覚書などを読んで比較してもらうとわかりやすいかもしれない)。主人公の漠然とした怒りを伴う妄想がどこか他人事には思えない(=それほど違和感なく主人公に入り込める)ことはあるにしても、それを自分と主人公のアナロジーに短絡したり、あるいは個別化するのは問題の多い見方だろう(余談だが、月姫とFateの記事もいずれ復活する予定)。
最後に、「雫」が描くような閉鎖空間の狂気に関心があるのならば、前に挙げた「明日、君がいない」や「ボウリング・フォー・コロンバイン」以外にPCゲームの「さよならを教えて」、映画「14歳」などがお勧めであります。
[原文]
先日、「痕より雫の方が印象に残っている」理由が「世界よ滅びろ」という考えにおいて主人公(長瀬)と共通しているからだ、というところまで書いた。今回は、それについてより詳しく述べる。
グラフィックの出来という部分で見れば、雫より痕の方が勝るし、シナリオも後者の方がより整っているように思える。にもかかわらず、自分の中でむしろ雫の方が印象に残っているのはなぜだろうか?ここで注目されるのは、主人公の人となりが大きく異なっている点である。雫の長瀬は、冒頭からノートに落書きしながら腐敗した世界の滅びを妄想しているように、世界を嫌悪している。いや、その感情の激しさは憎悪と言ってもいい。ところが、痕の耕一にはそのような世界への憎悪が全くと言っていいほど見られない(※)。この違いが評価を大きく分けているとすれば、以前書いた「滅びの希求」との繋がりを考えるのが自然だろう。ゆえに「長瀬と俺の近似性…世界よ滅びろ。痕の耕一にはそういう狂気への傾倒がない」と書いたわけである。
※
あらかじめ断っておくが、痕はそもそも狂気の要素を(雫ほどには)重視していないところがあるため(単純化して言えば、ライトノベルの趣が強い)、狂気の描写が弱いことだけを基準に「質が低い」と断じてしまうのは作者側の意図を考慮しない評価である。
以上から、雫の方が印象に残っているのは雫・痕の側の問題と言うより私の側の問題であった(まさしく作品に「自己が投影」されている)と言えるが、これは雫に限ったことではない。例えば沙耶の唄においては、人類にとってプラスのはずのエンディングがどうしてもバッドエンドにしか見えなかったりする(沙耶の唄についてはネタバレでよければ「沙耶と「恋愛」が見せるもの」などを参照)。演出の効果はあるにしても、そこには現世界というか、「普通」への執着の薄さが反映されていると考えられる(※2)。
さて、「滅びの希求」、あるいは正気と狂気の境界線の描写が作品の評価と関係しているのは理解されたと思う。しかし、実は痕にもその要素は存在するのだ。ではなぜ、それが印象に残らないのだろうか?二つの理由が考えられる。一つは、狂気の発露が暴力や性欲の解消という単純な形態でしかないこと(私が求めたのは、暴力ではなく滅び・消失であった)。そしてもう一つは、狂気が他者のものであることだ。ゆえに狂気はしょせん風景でしかなく、また主人公たちの側はそれを倒す「正義」の側という構図が成立している(そこまで露骨に書かれてないが)。ゆえに、確かに痕にも正気と狂気の境界線は存在するのだが、それは「正気」の自分と「狂った」他者の間に存在するだけだし、正気と狂気の境界線が突き詰められることもない。一方雫では、狂気を抱える人間と関わる中で、主人公の狂気が相対化されたり突き詰められたりしたのであった。このような「隣にある狂気」「狂気の探求」に比べると、痕のそれはいかにも単純で平板な内容ではないか。この点も、痕より雫の方が強く印象に残った一因だと思われる。
以上まとめよう。
痕より雫が強く印象に残ったのは、
1.自身が滅びを希求していたため、雫の主人公の考え方に興味が湧いた。
2.雫に比べて痕は狂気や境界線の描写が平板である。
という少なくとも二つの要因が推測される。以上。
※2
その他では、Fateより月姫の方が(ある部分において)印象に残っているのも注目される(Fateレビュー1、2、3、4)。Fateと月姫の主人公を比較したとき、前者(衛宮士郎)には狂気の要素がない一方で、後者(遠野志貴)は狂気と正気の境界線を行ったり来たりしているのが関係していると思われる。主人公と敵が無意識下で繋がっている点など月姫は痕との類似点が認められるが、秋葉や琥珀などの内面、壊れ方が痕など比較にならないくらい書き込まれていることを想起すれば、別に不思議なことではないだろう。
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