フラグメント183:沙耶の唄、丑三つの村

2015-04-19 12:30:13 | フラグメント

2011/08/06

 

<沙耶>

そのような思考の枠組みの矮小さと閉塞にもかかわらず、「理性も狂気」などと高い視点に立てているような錯覚をした発言をしているがゆえに、私はそれを批判する。たとえその境界線の曖昧さを理解していたとしても、私たちは様々な制約に縛られているのであって、高みに立てるなどと思うのは傲慢さの産物としてメタ視点を批判し、その上で沙耶を異物と言うのなら完全に筋が通っているがね。

 

<沙耶代案>

~のような作品もあるので、沙耶は普通に異物に見られると思っていた。だから恋愛モノだと受け取られたと聞いて最初は戸惑ったんですよ。でもよく考えてみれば歴史的には宗教戦争や民族紛争とそれに絡む大量虐殺が繰り返されてきたわけで、はたから見れば馬鹿馬鹿しいものも多い。境界線、排除の論理、村八分?プロパガンダ、ちょっとした演出によって人間の感情移入なんて簡単に操作できてしまうんだなあと思いました。とか言うなら明晰だ。まあそれでも、あの演出で境界線の曖昧さが意識されないと思うってどういう発想をしてんの?とは思う

 

<ゆめにっき>

いっそ自意識に特化して。欝になりそうってのわかる。背景、コミュニケーションない。荒唐無稽さ、信号の論理→総合失調症。合目的的でないことに解放。放浪は予定調和からの解放、ここではないどこか、何処なりと~。外部を失えば最後は飛ぶしかない。日常に埋没しかねない空間を非日常に留め置く方策。変形意識希求。夜無人商店街、大雨の後の等々力、船戸工場群。必死なら病的。泣けるというより喪失感。冷静に見れば単なるオチ。全てがどーでもよくなる瞬間。エアポケットに落ち込んだような感覚。死にたくなる?いや、それすら面倒でただぼーっと虚空を見つめてるだけ。

 

<丑三つ>

主人公を「イタイけど理解可能な奴」として描く。ベタに戦中的な価値観を信じる(斜めに見ていない)。だから挫折のショックが大きい。何とか関係性を回復しようとして失敗。母を殺してふんぎりをつける。ただ従妹の献身に必然性が感じられない。

 

<ゆめにっき2>

いま、ここを受け入れられてないってこと?そう。大いなるものに逃避する可能性がある。六年前の談義に反して、私は大いなるものに~する可能性がある。

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