2011/08/13
<沙耶と整形>
もちろん、AKBの隆盛などを見れば、マスイメージという視点も必要なのは言うまでもない。実際に中身がどうかなんて知ったことではない。キャラをいかに作るか、あるいは作らせるか。そういう土壌においては、対象がハリボテにすぎないことを暴露してしまう整形というファクターは忌み嫌われるのだ、という言い方もできる(ただまあこれは単なる印象論だけど)。しかし、操作する側の視点ではわかるとしても、受ける側には引きずり下ろしの精神と生理的嫌悪感が混在しているのではないか(異性か同性かで大きな違い?)。で、生理的嫌悪感の由来を問題にしたい。
<ひぐらし>
レナたちの行動(正確にはそれを善いものとみなす心性)を批判するのに非常にいい例がある。津波の時はとにかく自分が逃げなさい。それが結果として他の人も救う(てんでんこ)。安っぽいヒューマニズムならどんな時でも家族の安否を最優先に(自己犠牲の精神)、とかなるだろう(火事の時の描写)。で、結果としてみんな流されると。論理的思考の末に閉塞していく様が観察された。必然的、論理的な、あるいは誠実さの結果。あえてズレてるけど、いざとなったら論理的思考を元に~できると考えてる連中のなんとナイーブなことか!君が望む永遠への反応から見えた凡庸さ。
<ひぐらし2>
その津波の教訓、断念に比べれば、呆れるほどのナイーブさだと思いませんか?でも百歩譲ってそういう表現になるのはわかる。最初の作品、解答編を意識して作ってない。何より祟殺しで親密な者に対する自然な感情の発露とその悲劇を描いているのでまあ作者もわかっちゃいるだろうと思うし。しかし、そういう屈折なしであれに感動したり、疑問に思わなかったりする人たちって一体何なんだろう?身体張って助ける話に洗脳されてるんじゃない(週末)。そんなナイーブな連中がいるのを見ると、共感なんて枠組みを決して与えてはならないと思うね。
<ひぐらし3>
それは飛躍が…いや、要はそれに感動するのは善意があればいいという精神主義(行為を全肯定するのは論外)。地震の喩で言うと、一生懸命節電することに意味を見いだす、反対運動することに価値を見いだすメンタリティー。で、日本人はあんなに協力して節電するなんてスゲーとか言われて喜んでる。アホかと。問題は喉元過ぎれば熱さ忘れること。牛肉と同じ。アンチー信者という二項対立も同じ?。余計な手は出すなと?然り。ただ、たらい回し編あるんで言っておくけど、デタッチメントこそ正しいという意味ではない。やけに政治や社会に。作者は皆殺しで空気の問題扱う。戦争、丸山。
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