明治発の学校システムは、すでにオワコン化しているという話

2023-12-05 11:17:58 | 感想など

 

 

こないだ映画「ナポレオン」に絡めて近代や国民国家(ナショナリズム)の話をしたので、学校という仕組みの来歴と、それがもはや今日通用しなくなっている件を述べた動画を掲載してみた。これについてはフーコーが『監獄の誕生』で述べたベンサムのパノプティコンが有名だが、近代における学校というものは、理想的な国民を養成し、国家を支える兵士や労働者、あるいはテクノクラートとなってもらうための訓練を行う場所とされていたのである。

 

であるならば、大きな物語(経済的にはフォード主義)が崩壊し、すでに成熟社会化(ポストフォード主義=多様化)した今となっては、金太郎飴を量産するために作られた仕組みが機能不全に陥るのは極めて必然的なことと言えよう。いわんやAIの急速な進化の中でをや、である(前も話したように、こういったミスマッチを踏まえれば不登校児の数が増加するのは必然であって、むしろそうならない方が不思議とさえ言えるだろう)。

 

もちろん、社会システムがいまだ学歴に紐づいて動いている以上(高卒以上や大卒以上を条件としている仕事がどれだけあるかを考えればわかる)、「ならば学校に行かなければ万事解決だ」というのは世間知らずにも程があるというほかない(ちなみに割と有名な話だが、海外では会社で上位の職に就くのに大学院を出ていることが必要であったりと、学歴での選抜は日本や東アジアの専売特許では全くない)。

 

しかしながら、既存のシステムを変えもせず、そこにプログラミングの教育だのをさらに新しく付け足していくだけなら、仕事が回らなくなって現場が疲弊するのは当然のことであり、それを小手先の求人で誤魔化そうとしているあたり、救いがたい愚鈍さと言うほかない。そういった「奴隷」をどこかから連れてくる思考をやめ、まずは部活のアウトソーシングを行い、そして取り入れられるところからAIや動画を用いた教授法も入れていき、教師の負担を軽減していく必要があるだろう(まあ教育委員会や官僚の思惑・思い込みもあるので実現するとは全く思ってないが。そもそも、家族の単位が小さくなって学校に託児所的役割まで求められたり、多種多様な生徒のあり方尊重する運用まで求められれば、既存のシステムで回せるはずがなく、様々な点で引き算をしないと土台無理な話である)。

 

まあICT化も韓国に遅れるなど変化の鈍足さで定評のあるJapanなので、今述べたような変化・適応も遅れに遅れ、どんどん教育現場の状況は悪化していくものと思われる(まあ少子化がどんどん進んでいるので、地域によっては事情が変わってくるかもしれないが)。かくして、「人が死なないと変わらない国」の様態が教育分野でも大いに発揮される、というわけだ。

 

・・・とまあ皮肉に満ちた未来予想はさておき、動画内で言われていた宇垣一成であったり、あるいは戦前の学校の仕組みついての動画もついでに掲載しつつ、この稿を終えたい。

 

 

 

 

 

 


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