7/9に音楽家の山下某が、ジャニーズ問題を大々的に取り上げるべきだとした人間との契約を終了したことについて数分間説明した。私はこれが大変社会的に価値ある発言だったと思う。
というのは、以前は別の体制を批判する発言もしていた山下某に失望したという声が広がることで、問題の一般性がより意識されるきっかけになったと思うからだ(ちなみに、私は山下某に何らの興味もないので、始めから期待もないし、ゆえに失望もない)。つまり、松谷創一郎の分析にもあったように、感情的紐帯と損得勘定を軸にした閉鎖的仕組みを土台とする芸能界、さらに言えば日本的組織の構造とはこういうものかと再認識されたのではないか、ということである(前にも取り上げたが、『「空気」の研究』、『日本人の法意識』、『タテ社会の人間関係』、『「心でっかち」な日本人』なども参照)。
ここで重要なのは、冒頭の動画でも話されているように、会社運営側の発言としてはむしろありふれたものであり、言い換えれば今回のようなスタンスの発言が合理的・戦略的となるのが今の日本社会であり、ゆえに特定の世界だけでなく、そこかしこでこのような振る舞いが見られるのだと言える(外から見ていると問題があると感じられる組織について、「頭がいい人がそこに参画すれば全て解決するはずだ」というのはありがちな勘違いである。というのもそこでは、「頭がいい人も仕組みを変えるコストを払ったり追い出されるリスクを負うより、仕組みを理解してそれに上手く乗っかった方がコストもリスクも少ない」という頭がいい人による合理的適応・戦略的振る舞いと、それによる仕組みの再強化という側面が全くのところ等閑視されているからである。そしてこの典型は、マックス・ウェーバーも指摘するようにシステム維持を追及する官僚組織だ)。
とはいえ、このような振る舞い(が合理的である要因)に感情的要素だけでなく、今述べたような損得勘定も深く関係していることは注意を要するだろう。すなわち、「潮目が変われば、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに雪崩を打った如く大々的糾弾が始まる」可能性があるということだ(これは「鬼畜米英」・「一億総火の玉」とか言っていた戦前の日本が、舌の根も乾かぬうちに「アメリカさんありがとう」・「一億総懺悔」に国民が鞍替えしたことを想起したい→「『シニア右翼』たちの来歴」。なお余談だが、鎌倉幕府は何で滅亡したのかよくわからないと言われるけれども、それは一大決戦やクーデターなどわかりやすい事件での一挙崩壊ではなく、後醍醐側のゲリラ戦によって徐々に幕府側が削られていった結果、粛清の不安や所属のメリット(A)>幕府への不満(B)が、A≧B、A=B、A≦B、A<Bとなり雪崩をうったようにBが各地で噴出したからではないかと思われる)。
その点においては、このジャニーズ問題が長引き、その中で競合集団の成長、スポンサーの加速度的離脱、ファンによる売り上げ減少といった形でジャニーズという会社集団の力が減衰し、そこへ追い打ちをかけるように「私たちは最初から批判的姿勢でした」とばかりに恥知らずの大手マスメディアが袋叩きを始める、というのがジャニーズ側の最も恐れる事態であろう(だから、最大の原因が亡くなっているのに「再発防止」などというお為ごかしの組織を作り、仕事をしているかのようなポーズをとって批判をかわしつつ、問題の収束化を息を潜めて待っているわけだ。ここまで書けば、「沈黙は金」という言葉がジャニーズ側にとって至上命題で、そこを突き崩すなら逆の戦略を採り続ければよい、ということもわかる)。
その意味において、山下某による今回の発言は、単に問題の構造が非常に一般的であることを世に知らしめたのみならず、最後にした「聞きたくない人は聞かなければいい」という余計な捨て台詞も加えることで、わざわざ燃料投下までしてくれたのである(ナポレオンではないが、「有能な敵より~」とはよく言ったものだ)。このような形で、ジャニーズ問題の奥深さを再認識させ、さらにその認知度を高めたという点で、山下某の発言は非常に社会的意義があるものだったと言えるだろう。
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