VRテンガ・・・それは好きな時に合一可能であり、しかも自分に最適化されていくため、ノイズを発する「他者」=人間より都合のよい存在である(北斗の拳ナレーション風にw)。そのようなものが開発された時代に、人はこれまでと同じく生身の人間を求め続けるだろうか?否求めない。
もちろん、駆け引きが楽しいという人間もいるだろうから、生身の方がよいという者は残る(グーグルマップがあっても、あえて調べずに知らぬ道を歩いてみようとする輩がいるのと同じだ)。ゆえに0か100かという議論はナンセンスであり、技術の発展に伴い人間への期待と他者との関係を重視する割合はおそらく右肩下がりになっていくが、それでも全員がテンガリストになるわけではない点注意を要する(もっとも、そのことは希望にはならず、むしろ両者の間に深刻なコンフリクトを惹起しうるだろう。それはまた別の機会に)。
とはいえ、VRテンガが抜山蓋世の力を発揮するのには、いくつかのハードルがあるのも事実だ。なるほど確かに、セックスというものが「コミュニケーション」から変化してAV的な振る舞いをシミュレートするための実験でしかなくなり、もはや「二人オナン」状態が増えているならば、対象がVRテンガに変化しても大して問題ではない。
しかしながら、「DT松の謎」で書いたように、性愛というものはそこに承認欲求が関係してくる(でなければ「モテ」とか「非モテ」とか話題になるはずもないので)。これはAIの発達による「労働からの解放」にもついて回る話だが、要は「パンとサーカス」のみに人は生きるのか?というアーレント的根本問題に他ならず、VRテンガ(人口痴脳)であれAI(人口知能)であれ、もし技術革新を真剣に考えるならば、個人の領域は個人に任せるなどという牧歌的発言は実のところ思考停止でしかなく、社会のガバナンスについても(それがボランティアの促進であれ、報酬系薬物によるコントロールであれ)意を用いないわけにはいかないのである。
次の問題は価格だ。日本経済の墜落でVRテンガの値段が相対的に上がるようなことがあれば、それは上級国民の嗜みに限定されるかもしれない(例えば、途上国のある国ではiPhoneを買うために臓器を売る、なんてことも起きたりしているので、命を張って買う人間もいるだろうがw)。いや、彼等は社会資本を大事にするから、敬遠する人間も少なからずいるだろう。
ならば最初はいかに中間層に訴求するかがカギだ。これまでは体面として結婚や出産が問題にされるケースもあったが、非婚が多数派になればもはやそれは基準にならない(せいぜい「高尚な趣味」といったところか)。このようなオナべーション、もといイノベーションによって安価に大量生産が可能になれば、アンダークラスでも楽しめるようになり、こうしてあとは配給制の飯(「環境に優しい」ソイレントグリーン?)が配られれば、現代版「パンとサーカス」は完成し、シンギュラリティがきても世の中は丸く収まるって寸法である。
このような状況が到来すると、先に触れた上級国民たちはアンチエイジングに金をかけるだろうから、上層は今より長生きすることとなり、一方で中間層以下は子供を産まずにボコボコ死ぬ状況となる。すると、AIによる技術革新で問題となる人余り及び再配分の対象となる人間たちは激減するわけだから、世の中は安定することになるのだ。
今、地球の人口が100億まで増加するという予測もあってそのサステナビリティが問題となっているが、今述べたような流れで先進国の人口が激減すれば、多少は地球の延命にも貢献できるという寸法である。
このように考えてみると、VRテンガはひとり快楽のイノベーションなどというものに留まらず、地球存続という意味でも極めて重要な、まさしく性器もとい世紀の発明と言えるのではないだろうか。
以上壮大な話をしてしまったが、表題のナイトワーカー視点で言うと、日本人の大多数の財布はこれから死亡遊戯となる。そしてその少ない財はVRテンガがかっさらっていくだろう。こうなると、ひとまずは外国人と高齢者にターゲッティングするしかあるまい。いわゆる「4技能」が必要なのは、子どもたち以上にナイトワーカーではないか、と問題を提起しつつ筆を置きたい。
【以下暇な人用w】
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