
竹生島の宝物殿を出て階段を降りると、秀吉の命により移築された唐門を見ることができる。
唐門から船廊下を抜けると
都久夫須麻神社本殿へ。対馬旅行でもよく見られた、漢字多用系神社ですな🤣
これって一歩間違うと、不理異坐(フリーザ)大社とか穂露莉(ポロリ)権現とか、中二病的名前にも見えるからおもろいっすわwww実はヤンキーは神道の正式な継承者だった可能性が微レ存!?こりゃもうラップやヒップホップと祝詞を融合させるしかねえよな(・∀・)
ちなみにだが、先に訪れた宝厳寺とこの神社も、元は融合(神仏習合)していたが、神仏分離令と廃仏希釈の動きによって前者は廃寺になりかけたという経緯がある。こういう歴史を見る時、「八百万の神」だの宗教的雑多さなどを日本の伝統として述べるなら、それを時の政府が力づくで変更しようとした事実についても、正しく認識しておく必要があると思うのは自分だけではないだろう(日本の教団の変化や宗教的帰属意識の変化は、前回の「仏教教団と戦争協力」などで触れた通りである)。
その南側には龍神拝所があり、かわらけ投げができる。
なぜか子犬がオープンスペースで飼われていた(*´ω`*)
しばし眺めて和んだ後、船着き場の方へ向かうのであった。
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