
安土城跡でその地形的(地政学的)な意味を実感した後に考古学資料館に行こうと思ったら、改装のため臨時休館中、だと( ̄□ ̄;)!!
しかし近くに、「信長の館」という厨二病みたいな名前の展示館があるらしいので、そちらに移動してみた。


どうやら、複数の施設が寄り合い所帯のようになっているらしい。
その中でノッブの館にお邪魔すると、



なるほど、これはまさにノッブの「俺が考えたサイコーの城😆」みたいなアピールの仕方で、まさに「信長の館」に相応しい展示だw
ただ、そうかと思えば

黄帝とか太公望など、儒教的世界観にまつわる展示もあって単にきらびやかさだけやないで~というテイストになっているが、それなら少なくとも山城の写真を載せて、単に戦術的・戦略的な意味合いだけでなく、政権の象徴として自らの正統性・権威を誇示する点でそれまでの城と大きく異なる性質のものであったことをビジュアルで示さないと、ピンと来ない人が多いんじゃね?と思った。
これは別に比較対照をすることが理解を助けるというだけの話ではない。今でもなお信長を「改革者」「旧秩序の破壊者」とするイメージは根強いが、仮にそうであるなら、なぜ儒教の理念型を自らの居城でアピールする必要があったのだろうか?
そこには、一介の守護ですらなかった信長が、室町幕府や朝廷を補佐することが自らの正統性の源泉であると理解し、ゆえに旧秩序に配慮しながらその勢力を拡大していったというのが実像であったこと。そしてそれゆえに、自らはただ力をもって世を支配する覇道をいく者ではなく、徳をもって世を治める者である(まさに「天下静謐」)とアピールする意図があったと思われる。
こういった小説的・ゲーム的理解ではないリアリスト信長の姿を理解するにあたり、他の城との比較やその特徴解説は極めて重要であり、その点においてここの展示はかなり舌足らずな感が否めなかったと述べておきたい。
と言いつつ、そういうの見たい人は考古学資料館や城郭資料館に行ってくんなまし、と棲み分けをする意図に基づくなら、ないものねだりというか的外れな注文ではある。また、冒頭の写真(加工したもの)のように、城内の絢爛な姿の展示はなかなかに見応えがあるのも事実だったことは、念のため記しておきたい。

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